ゆめうつつ

以下、ごちゃごちゃの頭の中を言語化して切り離そうの回です

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・ここ数ヵ月ほど、幸せな夢ばかりを見てしまう。なんと能天気なことかと思うけど、目覚める度に落胆させられるので、それはそれで勘弁してほしい。夢側が人生を完成させてくると、目覚めた瞬間から不足を実感させられて、常に今朝の夢の恋しさを抱えながらずっとふわふわと生活することになる。例に漏れず今日もその日で、ずっと夢の中の幸福が抜けない。

・思えば私は悪夢というものを見たことがなく、中身のない無味な夢しか見てこなかった。熱の時に見る夢、というある種のあるあるネタも全然ピンとこない。花粉症や口内炎のつらさも知らない。この世は私の知らない苦痛で満ち溢れている。

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・最近のTwitterの感じが本当に嫌なんですけど、Twitterが最悪なのではなく、最悪な人間と最悪な社会をありのままに写しているのがTwitterというだけなのかもしれない。

・炎上とかそういうものに対しての野次馬心に対して、元はそちら側なので否定こそしないんですけど、そういうものに対してどうでもよくなってしまったというか、炎上の御輿に担がれてる人がどんな過ちを犯していてもなんかもういいじゃんとなってしまう。

・人間ってそもそもしょうもないものなので、ぜんぶ許した方が早い。アイドルが裏で何してようがサッカー部員が寮で酒飲んでようが、なんだっていいじゃん。人間って善も悪も併せ呑んだあべこべのキメラみたいな状態がむしろ健全だと思うし、どちらか片方だけの方が気持ち悪い。

・まあ実際その問題自体には私と同じようにどうでもよく感じている人が大多数で、それでもなぜこうなっているかというと、多くの人が「間違いを犯した人への批判という体裁があればいくらでも他人を虐められる」ということに深層心理で気付いてしまったというだけだと思う。Twitterというものが「虐めをしてはいけないという理性を備えながらも本能的に誰かを虐めたくて仕方がない我々人間には願ってもないほどにぴったりなツール」になってしまった。

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・でもなんだかんだでTwitterは最高!!!

・こういう、すごすぎる短文を見れるので

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・他人を嫌うこと、というのは「その人を嫌いになってしまうような境遇になった自分自身の責任に目を向けるのが嫌なので、逃避として他人側に100%問題があるということにする」というのをひっくるめて他人が嫌いなんだよな、ということをたまに思う。これは誰が、という話ではなくて完全に自分個人の所感として………

・例えば、ある嫌いな人が自分に加害性を向けるのって自分が自分以外の人間、人格でなければ向けないかもしれないじゃないですか。極論を言えば、その人が相対している対象が菅田将暉や小松菜奈相手だったらおんなじことにはなってないというか。心身のどちらかあるいは共に不足しているからそのような状況を招いてしまうみたいな、まあそこを突き詰めるといじめは被害者に問題がある論みたいになるのであれなんですけどね…………。

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・まあこういう人間のしょうもなさに向き合う苦痛から逃げて引きこもり続けているおれが一番しょうもないということを言い訳っぽく最後に付け加えておくことで自衛をします。くたばれ!!!!!!!!!


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