ピリカなアドレセンス
夢について書けと言われたので、書く。
(どっちの?)
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わたしは特に大層な夢がないので、夢を持つことへの憧れというのが昔からある。
半端な下町に生まれ育って、
特に不自由なく暮らしてきたことによって
得ることのなかった夢や憧れというのがきっとあって、
それは簡単に言えば「田舎から夢を持って上京する」というシチュエーションに対する憧れなのかもしれないけど、
わたしはその絶対に叶うことのない夢に夢見ている。
田舎の高校を出て、東京に憧れて、現実を突き付けられる、みたいなことって東京に生まれた時点でもう絶対的に起こり得なくて、
例えばスガシカオの曲に「おれだってギター1本抱えて 田舎から上京したかった」というのがあるんですけど、そんな感じのテンプレートに憧れる。
まあ実際、わたしが他のところで生まれてたらどうのということはなくて、
生まれる地が違うだけでそんな気概が備わるくらいの人間ならきっとこんな暮らしはしていない。
むしろ今よりも悪化した事態しか想像できないので、
結果としてこの地に生まれて良かったなあとは思う。
この締め方ちょっと嫌味みたいで嫌だな。
あと、わたしが夢を持たないで生きてきた理由を考えてみて一つ思い当たるのは、
努力をしなくて済むから、ということ。
夢を持つということは、
叶えるために努力をする必要があるということで、
別にしなければしないで叶わないだけだから良いんだけど、
そもそもそう思わなくて良いように、
保身のために夢を持たなかったのかな~と思います。
そんなようなことを考えていたら「ここは退屈迎えに来て」という映画を思い出しました。
万人に薦められるかといえば難しいけど、わたしは結構好き。
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ここからは眠る方の夢の話。
だいたいの夢は、いつも起きると忘れたり、
まあ意味のわからないものだったりすることが多いけれど、
たまに、夢が現実より楽しい時がある。
割とあることだとは思うけど、
寝て起きて、楽しかったな~って思うの、
確実になにかを間違えている気がする。
人生自体か?
なんてったって、夢は都合が良い。
都合が良すぎるから、都合の良い人と都合の良いやりとりをして舞い上がる夢を繰り返し見続けて、
それはつまり本能的にそれを欲していることへの裏付けだと突き付けられて虚しくなったりする。
そんな都合の良い夢の中で一番強く覚えている夢がある。
それはわたしが高校を中退した頃に見たもの。
ふと、高校で一番仲の良い、年齢が一つ下の友達に中退することを伝えていなかったことを思い出したわたしは、
さすがにそれは言いにいかないとなあ、と思いながら夢から目を覚ます。
寝惚けてぼんやりとした頭に、そいつの顔と学校の風景がパーっと脳裏を流れる。
時刻は夕方の少し前。
今から学校まで向かえばギリギリ間に合うんじゃないか?と、少し前まで毎日繰り返していた通学の順路を思い出す。
家から駅までの道、駅からの乗り換え、高校の最寄り駅、最寄り駅から高校までの道。
思い出していくうちに、とても大きな違和感に襲われる。
自分が今まで繰り返してきた通学の流れと、
夢で見た高校への通学の流れがまったく違うのだ。
そこでぜんぶ気付く。
わたしが夢で通ってた高校も、
ひいてはその友達自体もぜんぶ夢の中のものだった。
この時わたしは、夢と現実がごちゃごちゃになるという体験を初めてして、
完全にいると思い込んでいた友達がいなかったことで、
友達を一人失ったみたいな感覚になって、
その日はめちゃくちゃ悲しかったのを覚えている。
「あいつ、いないんだー…」というやつ。
夢はだいたい覚めると夢だとわかるけど、そうならなかったのは初めてで自分でもすごいびっくりしたし、
あの感覚はあまりにも怖すぎるので、もう見たくないです…
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さんざんゆめゆめと書いたけど、「ゆめ」より「めゆ」の方が可愛くないですか?
寝て見る方も起きて見る方もどっちも「ゆめ」なのはややこしいんで、
どっちか「めゆ」に変わってくんねえかな。
めゆ~~~~💤
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