たくさんの愛情をありがとう。

先日ネットで何気なく見た記事がずっと心に引っかかっている。

「保育士のスキルをカレンダーに。親に寄り添い虐待防止まで——出発は「誰にでもできる発言」への怒り」(BUSINESS INSIDER JAPAN 治部れんげ)

この記事を見た時、私は暑さから逃れるように図書館で過ごしていた。読書の合間に、ふと読んだこの記事にとめどもなく涙があふれた。
たくさんの親御さんと、保育士さんの両方の気持ちを大切にする保育園を作り、想いを具現化した宮村柚衣さんと、彼女の想いに寄り添う文章で、「大丈夫!カレンダー」ができるまでの過程を紹介した治部さんの優しさ。
ハンカチを忘れた私は、着ていたTシャツで涙もろもろを拭うしかなかった。
後に、ああこれが更年期ってやつなのね、と別の理解をしたのだけれど。
まあ、そんなことは置いておいて。

どうしてそんなにも涙が溢れたかというと、遠い昔、ムスメと親である私が本当に保育士さんたちに助けていただいたからだ。
ムスメが2歳からお世話になった保育園は、その地区ではまあまあ大きい私立の保育園だった。かつて自分も通っていたその園は、園長の方針なのかわからないが?若くてかわいい先生ばかりだった。(今思うと、長く勤める環境ではなかったのかもしれない)
ムスメが特にお世話になったのは、入園から卒園までずっと担任をしていただいた ヨウコ先生だった。若いのにしっかりしていて、(しかも竹内結子似のとびきり美人)ムスメも夫(お父さんたちからの人気もたくさん!)も、もちろん私も大好きだった。

入園してからはじめてのクリスマスイブの前日、ヨウコ先生から毎日の連絡帳ではなく、わざわざお手紙をいただいた。「クリスマスに、ムスメちゃんがみんなと一緒に食べられるよう、卵抜きのホットケーキを検討していますが、大丈夫でしょうか?」
という内容だった。読み進めるうちに、先生のあたたかい気持ちに涙があふれたのを覚えている。
<「これは、食べたらカイカイなの」と言うムスメちゃんにも一緒に食べて
 クリスマスをお祝いできたらと思っています>

ムスメは生後3か月で重度のアトピーと診断されていた。乳、卵、鶏肉と(喘息に移行した時に備えて)ピーナツを除去する生活だった。アレルギーマーチといわれる、喘息、アトピーはもちろん、その他の皮膚炎、鼻炎、滲出性中耳炎と病院巡りが日課で、生活全般に神経質になっていた。
ムスメには「これを食べるとカイカイだから、こっちのお菓子にしようね」と言い聞かせることも多かった。
そんな中での、ヨウコ先生からのお手紙だった。
ムスメの気持ちを一番に考えてくれる、その言葉に、私はムスメが「カイカイ」にならないことに心を砕き、一番大切なムスメの気持ちをないがしろにしていたんだと気付かされた。

経済的に、時間的に、精神的に追い詰められていた、そのころの私は、日々の生活をおくるのに精いっぱいだった。そんな中、あの時担当していただいたヨウコ先生はじめ、たくさんの若い先生方、時間外保育のお母さん先生方、もっと言えば保育園だけでなく、小学校の学童の先生方、みなさんがどれほどムスメに愛情を注いで育ててくださったか、感謝してもしきれない。
こんなこと胸を張って言うことじゃないと思うが、それでもあえて言いたい。

ムスメは母親の私よりも、たくさんの先生方に愛していただいて、素敵な子に育っています。本当にありがとうございます、と。
親バカ全開だが、本当に心からそう思っている。

とここまで書いてきて、また涙があふれてきてしょうがない。本当に更年期にはやれやれだなあ。反対にムスメはキラキラ輝いている。若いっていいなあ。

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