見出し画像

「幸せ」に縛られない

テレビがつまらないと言われている昨今の中で
テレビドラマばかり観て一日を過ごす日々。
この生活については、後日綴るとして。

昨日も、ずっと楽しみにしていたドラマが始まった。
母親の期待を一身に背負い、仕事に打ち込むアラサー(女子と続けたくないので省略)と、
おじさんと呼ばれながらも、完璧な家政夫として、彼女をサポートするお話。

ドラマと現実の違いは別として、こうやって日々、身なりを美しく整え
激務をこなしている若い方々、たくさんいるんだろうなあ。
お掃除後に、同じリモコンが5つ、同じリップが10個が出てくるシーンに
これだけ忙しければそうなるよね、とうなずいてしまった。
余裕がなくなって、もう(探すより買っちゃえば)いいやって感覚。

普通ならとっくに倒れそうな生活を、彼女がこなせてしまうのは
優秀であるが故、エースとしての自負と、責任感と
母親の期待に応えることへのプレッシャーがあるため。

彼女の母親は
「本当は働きたかったのに、専業主婦でいることを求められた」
という思いにとらわれ続け、自分の娘には
「男性に負けないよう、バリバリと働く」ことを求め続ける。

母親が望んだ生き方を娘に託してしまうという、はたから見れば
苦しさ満載な、この時代の言葉で表現すれば「毒親」ということになるのだろうか、とにかく娘にとっては呪いでしかなく、重たいことだ。

私もこの年まで感じてきた、母親からのプレッシャーを思い返し
(といっても、彼女と比べたら些細な事柄ばかりだ)
ムスメには、自由に人生を選んでほしいと、とっさにメッセージを打った。

「ママは、アナタが将来
 仕事をがんばるのも、専業主婦になるのも
 子どもがいても、いなくても
 その他いろいろなことでも
 アナタがその時に幸せだと思うことを選んでほしいと思っています」

今回が初めてではない。なにか思ったり、感じる度、衝動的に伝えてきた言葉だ。何度も何度も。ムスメからしたら「はいはい、分かりましたー」と言われるぐらい。

「幸せになってほしい」
望んでいたのに叶わなかったこと、できなかったことが
叶ったり、できたりすることが、自分にとっての「幸せ」
子どもに「幸せ」になってほしいから
自分が望んでいたことを、子どもに託してしまうのではないか。
ならば、「幸せ」ってこの上なく、重たい言葉なのでは。

ドラマの中の、母親だって
「社会にでて、バリバリと働く」=「幸せ」だから
彼女に望んでしまうのだ。そしてその思いに応えてくれる娘は誇らしい。
「娘は幸せに生きている」と信じて。
本当の娘は「仕事で結果を出せない自分は意味がない」と
プレッシャーに潰されそうで、観ているこちらまで辛くなる姿。

送ったメッセージを読み返す。
ああ、ムスメからしたら、ものすごく重たいや、きっと。
既読にならないことがその証拠。
送信取消をする。私の気持ちも軽くなった。
ごめんよ、ムスメ。重たいメッセージを衝動的に送ってしまって。

「幸せ」は自分が感じるかたちなんだ。
そんな当たり前のことを、すぐ忘れてしまう。
母親から言われる「幸せ」なんて、ムスメの「幸せ」なんかじゃない。

もう「幸せ」を連呼するのはやめよう。
いや、すぐ言っちゃいそうだから、しっかりと心に留めておこう。
何も言わず、見守っていくこと。
そして、自分に対しても「幸せ」に縛られないようにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?