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演劇を経て漫才をすること

松永です。

今日は演劇を経てお笑いをやり始めた時にギャップを感じたことを書きます。
知っている人は知っているかもしれないのですが、僕たち十九人の出会いは大学の劇団なんですね。で、出会いは大学なんですが演劇自体は僕も相方も高校の時からやっていて、そのせいでお笑いを始める時にも演劇的な「クセ」が抜けないことがありました。

特に十九人を結成して最初の頃は、台本を書いてきて練習していると相方が「ゆッちゃんw」というキャラクターで演技をしているような感じがしました。動きと喋りが演技っぽかったんですね。またあまり自分では意識していなかったのですが、最近になって当時の映像を見返すと僕も僕で「松永くん」というツッコミのキャラクターをやっているな、という感じがします。
なんとなくですが、僕は漫才は「演技」でするものではないと思っているので、相方には常々「『素』で喋ってくれ」と言っていて、僕も『素』で喋れるように心がけています(おかげで、よく噛みます)。

稽古の話をすると、演劇の稽古をしてる時って、必ず誰か演出の人が見ていて、セリフ回しとか振りに口出ししてくれるんですよね。でも二人で漫才の稽古をしてるとそれがないから、客観的に見てどうかわからないんです。
じゃあ今度は自分達が漫才してる動画を撮ってそれに自分達で口を出してみようという話になって動画を撮り始めるんですけど、そしたらさらに自分達の一挙手一投足が気になり始めて、イライラする。
そのうち一個一個をキレイにしたくなって面白いとかじゃなくだんだん演技の話になってくる。そうすると、ただただ洗練されただけのウケないネタが出来上がってしまう。

漫才を始めた当初はとにかく、稽古をしてできるだけネタを上手に、キレイにできるようにしようとしてしまうのが悩みでした。

演劇って、基本的にはウケないんですよね。ウケるために作っていないというか。逆にお笑いはウケるために作ってるし、お客さんも笑いに来てるし。演劇とお笑いどっちの舞台も踏んでみて思うんですけど、お笑いの舞台の方が難しいですね。
演劇って基本的には劇場に来てるお客さん全員その劇を見に来てるから、客席が暖かいんですよね。一方で、お笑いっていろんな人が出るライブとかだと自分達を目当てに見に来ているお客さんはそう多くないし、なんならお客さんもお客さんで目当ての芸人以外を見ている時間の方が長いなんてのもザラじゃないでしょうか。そうなると、気持ちの部分で少し冷めてしまうところもあるだろうし。
始めてすぐの頃、相方が「なんでお客さんは笑いに来てんのに笑わないんだろう?」って言ってたのを思い出します。演劇のお客さんに慣れていたからこそ、ギャップを感じてしまっていたわけですね。

まあだからそう言った部分で、僕たちは演劇を経てお笑いに来たわけだけれど、(もちろん舞台への慣れとかの点では演劇をやってて良かった点はあるにしても)演劇での経験が漫才をやるときに変なギャップを生んでしまうことがありました。という話です。

最後にちょっとだけ。

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これ、昔のネタ台本の一部です。こんなんで晒すの正直めっちゃ恥ずかしいんですけどね。

他の人のネタ台本とか見てみると、割と横書きの人多いんですよね。ノートに書いてたり携帯のメモ機能使ってたり。
僕らはこれを印刷した奴を持ち寄ってさらにやってるうちに変わったところは書き込んで…という感じでした。
今はこんな風に書いてない(というか台本自体書かない)んですが、こういう風にわざわざワード縦書きにしてト書きまで書いてるのは、完全に演劇やってた名残だなー、と思います。

そんで、これを含む10本以上のネタ台本が

このクラウドファンディングで支援して頂けるとおうちに届きます。

いかがでしょうか。おしまい。

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