大津祐樹_2章

このころの大津祐樹は「チャラ男」というあだ名がついていた。
長めの前髪に茶髪。
ユニフォームを脱ぎ、
外を歩けばホストやギャル男に間違われるであろう風貌をしていた。

そんな中大津祐樹は自分の写真集「おーつゆーきです。」を発売。
大津ファンなら持っている人も多いだろう。

私も当然持っている。
海外時代は試合を見れる環境になかったのもあり、
あまりサッカー関連で書けることがないので久しぶりに「おーつゆーきです。」を読み返してそこから感じたことなどを書いてみようと思う。

読み返してまず感じたのが、
「喜んでくれる人のため」
「日本サッカーのため」
「自分自身の成長のため」
と今と変わらない熱い思いを抱いていたのだなということ。

ミスした選手がいればフォローできなかったチーム全体の責任と発信。
誰かを責めたりなにかを言い訳にしない芯のある大津祐樹が少ない活字からも垣間見れた。

当時はブログを頻繁に更新してくれていて、
そこには海外チームに所属していたあらゆる選手が登場していた記憶がある。
仲の良さが伺え、
大津祐樹の人柄にたくさんの人が集まってくるんだなと楽しくチェックしていたことを思い出す。

そこにも彼の「人のために」という思いがあったように思う。

日本国内とは違い海外ともなると会いに行ったりがなかなか難しい。
そんな中で選手本人が発信してくれる情報の多くは試合のことだったりメディア出演のお知らせだったり…
今でこそSNSが発展したが、
当時はブログが主体で軽くつぶやくといったことがなかったように思う。
(記憶上なので語弊があるかも…)

そんな中でも大津祐樹のブログはOFFに〇〇選手と遊んだ等プライベートなこともよく書き込んでくれていた記憶がある。

誰かが喜んでくれるなら、
大津祐樹を知らなくてもなにかのきっかけで知ってくれれば…
そんな思いがあったと思う。

大津祐樹はロンドンオリンピックで注目されメディアによく取り上げられていたが、
かっこいいイケメンの部類に入る風貌に加え写真集を出したことで女子ファンがたくさんついたように思う。
当時はそういったサッカー以外の露出も増え、
「顔ファン」と言われる層も出現。

私も当時はその層に近かったかも(笑)

それについては一つ聞いたことがあるエピソードがあるが、
次の章で紹介したいと思う。

当時は学生でお金がなかったから会いに行けなかったけど、
今考えればちょっと無理してでも海外で挑戦している姿を見るべきだったなと思う。

あとはフェンロのユニ欲しかったな…
ボルシアのユニは手に入れられたけど。