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【2024年6月】

こないだnote5月中に書き損ねたなあ~て思ってたらまた遅刻です。はやい!

岸田奈美 『国道沿いで、だいじょうぶ100回』ドライブスルー母 を読んで

1年ぶりに前作、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を引っ張り出したら、レシートが出てきた。この町に引っ越してきて初めて買ったのが岸田奈美さんのエッセイだった。

新作を読んで、思い出したことがある。
高校2年の時、父が倒れた。父が倒れたのは2度目だった。
1度目はまだ弟が小さくて、でも病院で買う自販機のネクターが好きで、それくらいしか覚えていない。
2度目に父が倒れたと聞いた時のことはよく覚えている。高校の帰り、中央線に乗っていて、その日に限って友人を家に呼ぼうとしていた。母に無断で。そんな時、母からLINEがあった。父が倒れたと。
ドラマみたいなセリフを友達に吐いた。「お父さんが倒れたらしい、今日家には呼べない。」我ながらベタベタすぎて嘘みたいだなと思った記憶がある。
そこからのことはあまり覚えてないが、一度だけふと、掃除をしていた時に父のベットに倒れ込んだら父のニオイがして泣いたことは覚えている。

思い出したことは、わたしもよく父の見舞いに行ったな、ということだ。
父のお使いは、新聞とスタバの抹茶フラペチーノだった。病院の1階にスターバックスが入っているタイプの病院だった。今思うと父はフラペチーノなんて飲んではいけない病気だったはずなのだが、わたしはせっせと運んでいた。お使いする代わりに自分の分も買っていいと言われていたからだ。
高校2年生。スターバックスフラペチーノ全盛期である。全盛期にも関わらず金がない。金を手にした時には既に歳を重ねてフラペチーノは冷たくて飲めない。父は全盛期にフラペチーノを与えてくれる神であった。病人だけど。
正直、父となにを喋っていたのかは覚えていない。どれくらいの時間そこにいたのか、父がそれを覚えているのかもわからないが、10年ぶりに思い出した。
今度父と話すことがあれば、あの時わたしがどう見えていたのか聞いてみたいと思った。

今月の一枚

夏。


今月の一曲

果てしないと思えてもいつか終わりがくると
知らなかった昨日までより優しくなれる気がした

に何度も助けられている。

今月の短歌

いつまでも磨かれないままそこにいる歯列みたいな積読たちよ

炊飯の汽笛が響き渡ったらこの祝祭は永遠となる

その次の10000日の褒美にはささやかな日々がありますように


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