見出し画像

石川雄洋への思い

はじめに

実はnoteを活用するのはこれが初めてであり、長文を書くのは大学生のときに作成した卒業論文以来(笑)
これから始まる文章は拙く、何を書いているのかさっぱりわからなくなって眠くなってくると思う。ずっと読んでいると痛い自分語りにも感じてくるかもしれない。それでも最後まで読んでくださると幸いです。
2021年6月5日横浜スタジアムで試合後に石川雄洋は大勢のファンの前で引退の挨拶を行った。
今回は俺の中にあった彼への思いを明かそうと思う。

・石川雄洋知る

彼を知ったのは俺が中学一年生の頃だった。
当時、俺は阪神ファンだったが何気なく横浜ベイスターズの試合をテレビで見ていた「出た出た遂に必殺バットマン~♪」ベイスターズの左打者汎用の応援歌が流れる中、石川が打席に立っていた。これが彼の名前を初めて知った瞬間だった。
石川はその翌年レギュラーを獲得した。俺は人生で初めて横浜スタジアムに行った。そしてその試合に石川は出ていた。試合終盤にワンピースの曲が流れる中で登場し、ヒットを打った。(下のスクショが観に行った試合の詳細です)
その頃俺は「石川が石井琢朗の後継者やねんな」ってふと思った。その頃は彼を細かいところまで知らなかったから・・・


・キャプテン石川雄洋




時は流れ2012年からベイスターズは親会社がDeNAに変わった。監督には昔からの宿敵であるジャイアンツで主力として活躍した絶好調男・中畑清。そして主将にはあの石川雄洋が就任した。
その頃、俺は高校生。まだSNSが今ほど発達していない頃だったが、某SNSを俺は野球談義、情報収集のツールとして活用していた。
俺は荒波翔のプレーに魅了されベイスターズファンになった俺はベイスターズファンのグループで情報収集に熱中した。
そこで気になったのが古参ファンの石川への厳しい声だった。何でそこまで厳しく言うのか聞いてみたら覚えているものであったら「俺もう今年からサインしないから」と言っていたのを聞いた。
その頃俺は「(サインなどの)ファンサービスをちゃんとしろよ!」と強く思っていたので自分のなかでの石川のイメージは-に変わっていくことに。その頃は髪が長くて守備も下手だったからやがて嫌いな選手になってしまった。
翌年には不貞腐れて登録抹消なんかもあったなあ。ベイスターズの試合はよく見てみたのでこの頃の彼のプレーは覚えている方だった。
しかし、2014年から彼への嫌悪感が無くなりつつあった。「ファンサどうこうじゃなくて成績さえ残してくればそれでいい」という思考に変わってきたのだろう。この年の石川は前年よりも成績を大幅に下げてしまった。俺自身石川には物足りなさと悔しさを感じた。
因みに(上手くはないけど)石川の投げ方が好きだったから真似してた(笑)

・二番セカンド石川

石川は2014年シーズンをもって主将の役職を横浜高校の後輩である筒香嘉智に託した。シーズン序盤からヒットをハイペースで積み重ね、好走塁を見せたり躍動していた。俺はこの年から頻繁に球場に足を運ぶようになったが、観に行った試合は大体打った。甲子園でスクイズを決めたのは今でも覚えている。

もう昔抱いていた嫌悪感はどこにもなかった。
今でも忘れられないプレーがある。2015年7月の阪神戦でのサヨナラヒット。石川のキャリア初でもあり、唯一のサヨナラヒットだった。あれは今でも忘れられないし、あの一打が球団公式Twitterで挙げられていたから嬉しかった。

・もがき苦しむ日々

2016年、当時俺は大学3年生。学校のパイセンから「大学三年は遊べる最後の一年。やりたいことやった方がいい」みたいなことを言われ、思いきって関西メインで16試合観に行った。(これは今でも自己最多)
この年、2年ぶりに観に行ったハマスタでのヤクルト戦でスリーベースを打って好感度が増した。気がつけば大喜びだった。
その試合以降は俺は石川がスタメンで起用された時や活躍したときはどの選手よりも嬉しくて大喜びだった。試合に出てただけでも嬉しかった。彼のヘッドスライディング、ダイビングキャッチは泥臭くてカッコよかった。
この年、ベイスターズは2005年シーズン以来のAクラスに輝き、クライマックスシリーズ進出を成し遂げた。石川は出場メンバーにも選ばれ、ファイナルステージ4戦目の広島戦で一塁フェンスに激突しながらもフライを捕るファインプレーでチームの勝利に貢献した。今までの苦労が報われた瞬間だと俺は思った。この場に居ることが嬉しかった。
でも昔嫌いだった選手を好きになるってどうなんだろうか?」って心の片隅で抱く自分がいた。周囲を気にしてたようだった。
そして石川の出場機会はこの年を境に減ってしまうことになる

・You're my hero 2017-2019

石川の事をもっと好きになっていった。Twitterで石川の近況を知りたくて検索してはリツイートやいいねをしていた。「ファンサービスしてくれた!」って書き込みもいっぱい見たけど、優しくてめっちゃいい人やん!ファンサービスめっちゃエエやん!ってなったな~!
Googleで石川の画像を保存するのも楽しかった(今でも楽しい)。試合で活躍すると大喜び。そして石川のヒットが何より一番嬉しかった。

ベイスターズの選手でカッコいい画像が一番多い選手は石川雄洋!

また彼の登場曲で良いのがあれば曲を調べてウンロードして聴いている。多分石川の登場曲が一番多いと思う。俺はガチ勢ではないがprediaが好きなのは石川が『You're my hero』を使っていたから。

人生で一番喜んだ節目の一打

野球が好きになってから一番喜んだシーンがある。それは2019年8月の1000安打達成試合。このシーズン石川はチームが10連敗を喫していた4月下旬に一軍に初昇格。するとその試合で猛打賞、そして連敗ストップを決める逆転スリーランを放ち、ド派手なスタートを飾った。

随所で渋い活躍を見せてヒット数を999本まで伸ばした。そして迎えた8月4日のジャイアンツ戦。桜井投手からライトへのスリーベースを放ち、遂に達成した。長かった・・・近づいてきてから不振や怪我等もあったから本当に長かった。でも本当にめでたい。自分のことであるかのように喜んだ。
そのとき俺はテレビの前で叫び、ガッツポーズをしていた。そしてこの歓喜を残したいと思ってテレビの画面を写メった。あれは2000本安打達成でもしたのかっていうぐらいの歓声だった。

この時に発売された1000本安打達成記念Tシャツを迷わず買った。そして球団公式YouTubeが配信した記念の動画をカッコ良くてずっと見ていた。なんであのカッコエエ動画消したんやってキレそうになった。
この頃草野球をチームのユニフォームを作ろうって話になって背番号を決めるときに7が空いてなかったということで52にした。これも石川がきっかけ。この時は選手層の薄さで上手くなかったけどショートを主に守らせてもらってた。

・サヨナラ雄洋。

石川は背番号を2020年シーズンから42番に変更。そのとき俺はベイスターズでのキャリアが終わるのが刻一刻と迫ってきていることを感じた。
2020年シーズンはコロナウイルスで開幕が6月中旬頃まで順延となった。石川は開幕二軍スタートだった。
出たり出なかったりだったが本職の二塁以外に一塁や外野も守っていた。ユーティリティープレーヤーとして一軍に戻りたかったのだろう。俺はそのトライに嬉しさと楽しみがあった。ずっと二軍での石川が気になっていた。
しかし、月日が経っても昇格の話が出てこない。そして10月のある日衝撃が起こった。
俺はいつもより早く起きてしまったから何気なくTwitterを見ているとタイムラインが妙な騒ぎがした。書き込みには石川の名前が書かれているのが多かった為、調べてみると来期構想外の報道だった。
一軍出場機会0であってもあと一年残すだろうと思ったから寝耳に水だった。その日はショックが大きすぎて何で石川もベイスターズで終える事ができひんねんと悲しかった。
ファーム最終戦をもってベイスターズでのキャリアを終え、自主練習を行い吉報を待っていた。他球団に獲得してほしかった、まだまだ彼のプレーが見たかった。
オープン戦が終盤を迎えた2021年3月19日。突然報じられた現役引退。悲しさはあった。でも、本人の意思で決めたことだから尊重するしかない。ミスターベイスターズの石川雄洋が16年の現役生活に幕を下ろした。
泥沼の暗黒時代から一番ショートを託され、叩かれ野次られ、一生懸命努力を重ねて腐らず這い上がり熱い全力プレーでファンを感動させた。皆から愛された男だった。
俺自身、かつて抱いていた複雑な気持ちはいつの間にか消えていた。ネットの書き込みを鵜呑みにして否定してきた事には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも彼を応援してプレーをずっと見てきてよかった。掛け替えのない財産だ。

こんなに大好きになった選手はこれから先も石川雄洋しかいないと思う。

5月某日、球団が5月20日に予定されてたが雨天中止になった引退セレモニーを千葉ロッテマリーンズ戦後に行うことを発表した。俺はTwitterで「5日のチケットまた販売しているよ」という書き込みを見た。このとき俺は「これは行けなかったら一生後悔するヤツや」と思ったからすぐさまチケットを確保した。2日分買ったがどれも最後の一枚だった。
教えてくれた方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございましたm(_ _)m
「石川の引退試合はカクテル光線に照らされた満員のスタジアムで盛大に行われるだろう」と以前イメージしていた。でもチケットは取れんくて行かれへんと思っていた。それが現実になったから感動した。
6月5日のその日が来た。起床時からドキドキワクワクしてて落ち着かなかった。予定より2本早い新幹線で横浜へ向かった。
スタジアムに到着後、引退グッズが発売してると情報を聞き買った。いくらでも買えばいいんだよ買えばの精神で。
試合が始まると初回から感動した。桑原の打席時に勝利の輝きから石川の応援歌が流れた。ああ、懐かしいよ。ずっと見てきた一番石川。そして宮崎の打席時にも一打席目だけ最初に石川の応援歌が流れた。4打席ともいつもの心絵じゃなくて石川が現役時代に使用していた登場曲だった。応援歌を小声で歌っていると色々な思い出が蘇ると共に涙腺が緩くなった。(アカン、まだ初回やぞ)
試合は11-9でベイスターズが勝利。勝ててよかった。。。
そして今日のメインイベントである引退セレモニーが始まった。雄洋がスタジアムに帰ってきた。俺は自然と笑顔になった。

雄洋は間違いなく涙をこらえていた。スピーチでは親御さんへの感謝の言葉のほかに「ベイスターズ優勝したかった」という事も言っていた。2017年の日本シリーズに雄洋が居てほしかった。俺はずっとこれは心残りになると思う・・・今日でプロ野球選手・石川雄洋が終わってしまうのが本当に悲しかった。
最後の場内一周。Cマークの入った初代DeNAベイスターズを見に纏った。そして場内にはかつて彼が登場曲に使用した終わりなき旅が流れる。もうこれ「一番セカンド・・・キャプテン!イシカワァァァアタケヒロォォォオ!!!!」じゃないか。最後まで感動させる演出に球団には感謝。本当にありがとう。

そして俺が座っていたレフトスタンドにやって来た。大声は出したらアカンから小さく「雄洋ありがとう!」と伝えた。彼を初めて見てから13年間応援できたことは財産だ。

石川雄洋のアスリート人生には終わりはない。その熱い気持ちがあるかぎりずっと。

・おわりに

拙く長ったらしい文章でしたが最後まで頂きありがとうございました。
彼を応援し続けてきて思ったことがある。好きな俳優・アイドル・著名人・スポーツ選手はいつ、どこで最後のステージになることが分からない。だから一瞬一瞬のアクション目に焼き尽くし、応援し続けることだ。
俺自身、彼が若いときから追ってワンプレーワンプレーをもっと目に焼き付け応援しとけばよかったと後悔している。だから過去に戻れるのであれば、「ネットの意見を鵜呑みにするな。まずは疑え。」と声をかけてあげたい。
でも、石川雄洋を一番大好きな選手でいれたことは本当に野球の神様からの賜物だと思う。だって雄洋が出てるとき自然と笑顔になれるんだもの。球場でも叫びたくなるんだもの。

石川雄洋選手、横浜ベイスターズ一筋16年間本当にお疲れ様でした。
アメフトのプレイヤーとして日本一の栄冠を掴んでください。

本当にありがとうございました。

栄冠掴むその日まで
恐れず飛び込めベースへ
君の熱き血潮で
燃えろ雄洋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?