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AI時代で人である自分が活躍するには


目次
1.第三次人工知能ブーム

2.少子高齢化から考えるAI

3.AIに奪われる仕事

4.AI時代に勝ち残る人間とは?



1       第三次人工知能ブーム

最近、毎日AI関連のニュースが話題になっている。

取り上げらえている内容と言えば、自動運転車やドローンや、2015年にグーグルが多額の研究投資をした子会社であるDeepMind社が作成した「Alpfa Go」が人間のプロ囲碁棋士の人が李世乭に勝利したのも有名だろう。そもそもAIとはArtificial Intelligenceの略で、一般的に「人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現するもの」とされている。特に2013年頃から、第三次人工知能ブームと言われいるそうだ。この第三次ブームが起こった背景には、ビッグデータの普及や、ディープラーニングの発見などがある。IoTデータが加わりますます肥大化したビッグデータを分析するために、人工知能を応用できるようになった。さきほどのAlpfa GOが人間のプロ棋士に勝利したのは、さらに進んだディープラーニングが活用されていた。


2       少子高齢化から考えるAI

日本で現在問題になっている社会問題といえば、少子高齢化である。日本の人口減は2011年に始まったとされ、今後も長期にわたり人口の減少が見込まれている。また、日本においては少子高齢化が顕著で、全人口に占める15歳未満人口の割合は12.5%(2015年)から10.7%(2045年)に減少する一方で、65歳以上人口の割合は26.6%(2015年)から36.8%(2045年)に大きく増加している。

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(内閣府、高齢化の推多と将来推計、平成30年データ、https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2018/html/zenbun/s1_1_1.html)

この社会問題を抱えている日本では労働不足になり、生産力や供給力の低下による問題が指摘されているが、これを補うのがAIになる。AIの発展により、今まで人間にしかできないと考えられていた特徴量の自動抽出が機械でもできるようになり、人と同じような動作が可能になった。例えば、今まで医者の目で行なっていた画像による診断をAIの画像認識技術で行えるようになった。富士フイルムのAI画像診断サービス「CAD」は撮影された臓器を画像認識AIにかけることで、病変を自動検知することができる。また、農業においては1970年代から農業の高齢化が叫ばれており、日本の農業人口は2009年のデータでは289万人、この農業人口の6割が65歳以上であり、35歳未満の働き盛りはわずか5%という現実が非常に問題がある。しかし、AIロボットが自動で作物を収穫するスマートロボティクスというAI化により業務効率化に繋がり、2020年には無人での完全自律走行が実用化する兆しが見えている。

3       AIに奪われる仕事

しかし、このようなAIによる発展が日本を救うと同時にその仕事を奪うということも考えらえる。データや数字を扱う仕事は、AIが得意としている仕事のひとつであるので人が行うよりもAIが行う方がオペレーション上のミスが少なく、その作業すべてをAIがまかなうことができる。単純なデスクワークや資料整理、文字入力、機械操作などの定型業務についても、AIに代替されやすい。逆に、複合的な知性や複雑な判断が要求される仕事、あるいは型にとらわれないような仕事はAIに代替されにくいと考えられにくいと考えられている。だが、今後10年20年後にAIによって人の手が加わらずに業務する仕事は47%とか、いずれAIなどにより消える仕事は90%などと言われている。ヒトの能力を越した能力、テクノロジーの進化のスピードが無限大になるレベルである、シンギュラリティと呼ばれているAIがもうそこにきている。

ここまで長々と読んでいただきありがとうございます、そしてダラダラと申し訳ございません。ここからはAIがこんなにも溢れているこの時代に、人間である私たちはどうすればいいか、何ができるのか、それを次の章で話していきます。


4       AI時代に勝ち残る人間とは?

人間とAIの違いとは何だろうか?自分で目的まで考え、実践していくこと、感情を出すこと、それが人間?昨今、様々なビジネス書などで、「AI時代に勝ち残る人間とは?」みたいな本が増えているが、私なりに考えたこの二つの違いを述べたい。それは、

熱を持つのがヒトなのではないのかと考える。

もちろん第二章でも述べたように、労働力減少に伴い、夜遅くまで仕事ができないのであれば、RPAに任せて業務を行わせてみたり、ビジネスの場以外でも、近くのスーパーやコンビニでものを買ったりするときも、わざわざレジ前の行列に並ぶのではなく、AIロボットが操作するレジで効率良く会計することで、ストレスも減るだろうし、全体的にみても、AIと共存することで我々の生活は非常に便利に楽になるだろう。だが、私は夢を持って目標を持って全力で一生懸命何かに頑張ったり、ビジネスでのプレゼンテーションなどで、課題に向けて試行錯誤し、本番では少し失敗しながらも、人としての経験を積みまた次のプレゼンに向けて邁進していったりと、人間のすべての行動にはそれぞれ熱を帯びていると考える。第1章で述べた、囲碁の李世乭さんは、AlphaGoに負けて泣いていた。そこには、勝負に負けた悔しさや、自分が愛する囲碁への情熱がそこに確かにあったのだと推測する。もちろん、あの勝負でもし AlphaGoが負けて AlphaGoが泣くなんてことは起こらない。

だが、最近その熱のようなものが薄れているように感じる。テクノロジーの発展により、今ではスマホ一つで世界中の様々な人らと友達になれる時代ではあるが、その繋がりは本当に強いのか、それ以外でも、今までの学校の友達らとの繋がりは?職場や家族との関係性は?もちろん SNSでの出会いによって付き合ったり、結婚したりすることもあるだろうが、私はAIのように無機質な人が増えているかのように感じる。海外旅行などで、テクノロジーやインフラも全く発達していない場所で生活してから、日本に帰ると、この国は非常に便利で、便利すぎるが故に、一人で生きていけることが容易になり、人に助けを求めず、人とのコミュニケーションなども枯渇してる人が増えているように思う。いわゆるAIのような感情、人間のAI化が進んでいると思う。これは日本のみならず海外の先進国でも起きている現象に思える。そして、コミュニケーション不足は多くの会社内でここ最近起きている大きな問題であると思う。熱があるならば、思いやりの気持ちがあるならば、自分の夢に向かって頑張っているならば、このプロジェクトを絶対に成功させたいという気持ちがあるならば、必ずそこにはコミュニケーションは生まれる。そして人との繋がりも強くなるだろう。その熱が、AI時代に勝ち残る人間などではないのかと私は考えます。