吐露

ただ、吐き出してみる

それがどれだけ難しいことか、できる人にはきっとわからない。
吐き出してそれを聞いた人が、見た人が気分を悪くするかもしれない、気にするかもしれない、そもそも誰も求めてないし、幻滅するかもしれない。
話すことで誰かに理不尽な迷惑をかけるかもしれない。
なにより見聞きした相手はつまらかったり、楽しくないかもしれない。
「面白い人」「明るい人」「楽しい人」といったイメージにそぐわなければ、見限られることすらあるかもしれない。
ただ吐き出すだけ、なのに十分すぎるリスクがある。
主張することもそう、否定、批判、嘲笑に晒されイメージとの乖離を生むかもしれない。その主張自体が暴力になるかもしれない。
正負共に、自分を出すってほんと怖いことだらけだと思う。
少なくとも私はとても怖い。

かといって、抱えるにはとても辛い気持ち、吐き出したい想い、提示したい考えはいつどんな時でも生まれ得るし、ほっとけば勝手に積もってやたらと膨らむ。
やがて外に出すには難しいサイズになって、生み出した本人にすらよくわからない、モヤモヤしてゴチャついた塊になっていく。

みんなはどうやって処理してるのだろうか。

私自身、抱えるしんどさ、出せない辛さをよく味わうからこそ、聞いてあげたくなるし、吐き出させたくもなる。
誰も聞いてくれなくても、せめて、私のとこくらいでは好きに吐いてね。そういうスタンスで居る。
そしてそれを実現するための許容量は自分なりに広げてきたつもりで、話せるくらいの信用を得る接し方など工夫した時期もあった。気を許しやすいねと褒められる?こともままある。
相手が少しでも楽になれたら、幸せになれたら、そんな気持ちで聞く。場合によっては茶化してみたりもする。
引き出す為に自分のことを出してみたりもする。
でもそれは常に相手の返事、相槌1つに左右され、三言話せば本心ではなく、ただの同調、嘘つきになることが多い。
だから手段の域を出ない。

ある意味こうやって、いつか、相手を伺わず寄せることもなく思うことをさらけ出せる人を探しているのかもしれない。
相手の心を引き出して、自分のことを少しでも預かって貰えるだろうかと、常に間合いを計っているというか。
たまにそんな気持ちになる。

はぁ、やっと書けたよ。何度消したことか。

気持ち悪かったと思うけど、もしも読んでくれたなら、ありがとう。

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