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ある愛(3)

Ⅰ 別れと決意

短くて長い3年間の人間関係が終わる時が来た。その人との3年は短かったが、それ以外ではあまりにも長い3年だったので、正直”やっと終わる”と解放された気持ちも強かった。

最後の日は全く言葉を交わさなかった。その時間がなかった以上に、何かを言う言葉がなかった。「ありがとうございました」は、通り一遍すぎて上っ面を滑っていくだけのような気がしたし、第一、それで足りるはずがない。

爪にさえも 体温はあるんだってね 冗談ともマジともつかず 君が言う 爪を透かして 空を見ている その爪に この体温を乗せてくれ          伝われ 伝われ 身体づたいに この心                  言葉なんて迫力がない 言葉なんて なんて弱いんだろう        言葉なんて迫力がない 言葉はなんて なんて弱いんだろう       何故、と言葉で君は求める 僕がさし出せるのは命だけだ ※1


みゆきさんの「ボディ・トーク」まさにその通りなのだ。体温が乗らなければ、伝わらない。私が伝えたかったのは言葉ではなかった。心だ。心を伝える術を、私は持っていなかった(奇しくも、この「ボディ・トーク」が収録されたアルバムが発売されたのは、その人と別れた2007年である。また、同年行われたコンサート・ツアー『歌旅』※2 で歌われた一曲でもある)。

みゆきさんが、がなって歌われる曲だが、これはがなりで歌う曲なのだ。そうでなければ、歌詞の意味内容がぼやけてしまう。


私は、爪に体温が乗るのならば爪を差し出したかった。でも、できるのなら命を差し出したい。それ以外の方法で心を伝えることはできないと思うから。

爪も命も差し出せなかった私は、ある決意をした。

もう二度と会わない。

二度と会わなければ、まだこの先続く長い人生の中でいつか忘れられるだろう。その人のことは思い出ごと封印しよう――そう決意したのである。その時から、この3年は開けてはならないパンドラの箱となった。


Ⅱ パンドラの箱の開封と再会

その後、数年は新たな環境に身を置いたために多忙にもなり、思い出したり考えたりすることも少なくなった。今となっては、完全に若気の至りだと苦笑したくなるが、別の人に惚れたこともある。その人とは正反対の第一印象とルックスで、非常に女性にモテる人である(おそらく、今でもモテている)。

しかし、どれほど他の人に惚れようとも、心の中には常にあの人がいた。錨をつけて心の奥底に沈めたつもりでも、その存在は大きくなるばかりである。何度、会いたいと思ったか分からない。でも、会う理由がなかった。

理由もなく会いたいのに 理由を探してる               会わなければならないのと 理由を探してる ※3

理由がないと会えないということが辛かった。「会いたい」という理由では会えなかった。

その間、もう忘れて前に進むことを奨められたり、私自身の幸せを大事にしてほしいと言ってくれたりする人がいた。私自身も、頭ではその方が苦しまずに済むと分かっていた。しかし、できなかった。できるなら、とっくにそうしていると思った回数は数知れない。

そして、その人の同僚でもある恩師に、数年ぶりに会いに行くことになった。その時に必ずいるとも限らないので、私は会うつもりはしていなかった。だが、恩師の目はごまかせない。3年のうちにどれほど慕っていたか、ちゃんと見抜かれていたのである。言葉にしないことで隠しているつもりでも、気持ちは隠れていなかったのだろう。会う時間を作ってもらえるよう、手筈を整えて下さっていたのである。


一度再会すれば、再び封印するのは不可能だと分かっていた。それを分かっていて、私は自らの封印を解き、パンドラの箱を開けたのである。

実に、別れてから7年ぶりの再会だった。その姿を見た瞬間、喉元まで悲鳴が込み上げてきた。あまりにも外見が様変わりしていることに。驚きを通り越してショックを受けた、あの表情を気づかれないようにできたのか定かでない。

まず、何が起きたのだと聞きたかった。おいおい理由が分かり、その原因となった出来事を、私は心底恨んだ(今も恨んでいる)。その人は何も悪くないし、何の責任もない。ゆえに、その原因が憎い。

しかし、様変わりしたのは外見(年齢)だけだということは、少し話をするとすぐに分かった。何にも変わっていなかった。少し厳しい言葉をかけてくれるただ一人の人であることも、優しすぎるところも。


Ⅲ 優しいということ

前稿でも触れたが、その人は優しい。誰に対しても優しいし、私にもそうである。私に優しいと言うより、優しすぎると言ってもいいと思う。
想いを告げた時も、不安やわがままで泣き言を並べた時も、一向に変わらぬ態度で接してくれた。三年目に担当が変わると分かり、絶望していた時も「ずっとこのままでは成長しない」と言いながら、最後まで見てくれていた。
一度も突き放されたことがない。当時の、あの3年間の私は、自分からその人のそばを離れることができなかった。たぶん、完全に離れてしまうと私が”やっていけない”状態になると、その人も分かっていたのだと思う。
まだ、10代だったから許されたのだろうか。あの頃に突き放されきっていたら、現在を含めた、それからの未来は変わっていただろう。

それだけではない。何度目かの再会の折、ものと一緒に渡した手紙も受け取ってくれる人である。一応「引かないで下さいね」と言って渡したので、その段階で手紙の中身の見当はついたはずである。
本来の仕事に引掛けてきて、私が会いたがる理由も知らないはずはない。適当に断られてもおかしくない、いや、むしろ断ってくれとどこかで思いながらも、会いたいという気持ちを抑えられず、嘘がつけない矛盾。

何度か、訪ねても不在で会えないことが続いた時があった。そんな時は、あーあと思う一方、自分の気持ちをコントロールできたことに対する安堵感から、ホッとしたのも事実だった。それでも、次に顔を合わせた時には「いるかどうか、確かめてからおいで」と自ら私に言うのである。そんなことを言われて、離れられるわけがない。不在時と、何とか気持ちを抑え込み、無理やり私自身が「会わない」選択をした時以外は、どんなに僅かな時間でも作ってくれる、そんな人。

優しい。優しすぎるのである。突き放せばいいところを突き放さず、断ればいいのに断らない。そんな話をしたことも、することもないが、かつてだけではない、“今”の私が抱いている想いを知りながらそれを受け止めている。

3年で別れる際には、今後連絡を取るつもりはなかったため、連絡先を知らなかった。再会後、しばらくして”お守り”のつもりで、人づてに教えてもらったのである。今ならおそらくLINEをやっている(そちらが主流)のだろうが(やりそうにないイメージだが、やっているというタイプ)、私がやらないので、知っているのはアドレスである。

知っていると言えども、滅多に連絡を取ることはない。文字通りのお守りであり、精神的な支えとしているものだからである。切羽詰まった精神状態になるか、(心配で)居ても立っても居られない状況になった時に、ありったけの力を振り絞って文字を打つ。礼を欠かぬように、長くならないように。

何度も言葉を選び直し、やっと出来上がった文面を見てまた逡巡する。それを振り払い、勢いで送信ボタンを押さなければ、永遠に送ることができない。よって、非常に気力を消耗するのである。気力を使い果たしても、抑え込んだ気持ちの方が大きく、さっぱり言葉になっていない。

飲みこみすぎた 言葉が多過ぎて 肺にあふれて 心をふさぐ ※4

よくもまあ、これほどまでにうまく(的確に)詞にして歌って下さるものだなと思う。みゆきさん。(ただし、楽曲全体の歌詞の解釈としては、言葉を飲み込みすぎて心を閉じた、相手を気遣っているというのが精確である。みゆきさんは聴き手に解釈を委ねて下さる方なので、私のそれも許されるだろう)

だから、私は手紙を書く。手紙なら言葉にできる。心のすべてを打ち明けることは(私自身が私に対して)許していないが、言葉に心を乗せられるのは手紙なのである。

その”さっぱり言葉になっていない”方に対して、返信をくれる律義さ・真面目さと優しさ。私が一方的に送っているにすぎず、返事を求めたことは一度もない。それなのに、日数が過ぎていても(必ず)返信がある。巷で言うところの「既読スルー」で構わないのに、ほとんど絶対にそれはない。誠実な人でもある。


その優しさに救われ、支えられてきた。だが自分勝手は何億も承知だが、優しすぎるがゆえに苦しむのである。あの三年目の時に、何度「突き放してくれ」と思ったか。何度「会わない」と言ってほしいと思ったことか。なぜ、今の想いも受け止めてくれるのか。

きっと、全く違う人にも望まれれば同じように接するだろう。そして”優しい人”だと言われる(思われる)のは、間違いないだろう。それが、その人の普通だからである。その人自身の人の好さから来ている優しさは、誰に対しても「平等」であり、人による変化や特別はない。だから、「優しすぎる」という意識もないだろう。


ただ、私はその優しさに甘え(時に、甘えることさえも許され)、その人の帰来の優しさから生じたのであろう葛藤と脆さに、心を奪われたのである。そして、そこから生じた想いが「恋」となった。

「恋」で終わるものが「愛」だと確信するまでの、現在につながる永い想いの始まりだった。※5

(別稿へ続く)









参照

※1 作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三,小林信吾「ボディ・トーク」アルバム『I Love You,答えてくれ』に収録(2007年10月3日発売).

※2 アルバム『歌旅』―中島みゆきコンサートツアー2007―(2008年6月11日発売)《MIYUKI NAKAJIMA Concert Tour 2007》9月29日~12月27日 の演奏を収録したライブ盤.

※3 作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三「寄り添う風」アルバム『恋文』に収録(2003年11月19日発売).

※4 作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三「MEGAMI」アルバム『グッバイ ガール』に収録(1988年11月16日発売 LP).

※5 ここにおける「恋」と「愛」の差異は平野啓一郎,2019,『マチネの終わりに』(pp.106-107)に準拠する。

田家秀樹ほか編著,2013,『アーティストファイル 中島みゆき――オフィシャル・データブック』株式会社ヤマハミュージックメディア.

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