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ある愛(4)

最初から”これが最後の恋だ”などと思っていたわけはない。小説やドラマじゃあるまいし、劇的なことは何もない。ただ、いつの頃からか(だいぶ早い時期に)もうこの先、恋愛はいいと思うようになっていた。

周囲は、誰と誰が付き合い始めたとか、別れたとか、付き合って何ヶ月/何年(目)だとかで盛り上がっている年頃である。限られた空間の中で、カップルが生まれ、消滅し、組み合わせが変わるということが、全く無関係な人間の目にもはっきりと見える形で起こっていた。

その中で、その人の顔を見られれば嬉しく、接することができれば一日幸せという日々を送っていたのだから、穏やかな時間が流れていたと言える。「恋」の感情が高まった時には、嫉妬したり、どうにか一対一になれる時間を作ろうとしてみたりした。

だが、その人が居てくれれば、笑顔でいてくれれば十分幸せだった。誰かがいてくれる、存在してくれていることが、自分の喜びになると初めて知った。のちに『容疑者Xの献身』を読んだ際、花岡母娘に対する石神の想いに、私が抱いていた感情は、これかと琴線に触れる思いがした。

世界という座標に、靖子と美里という二つの点が存在する。彼にはそれが奇跡のように思えた。……彼女たちがいなければ、今の自分もないのだ。……人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある(p. 386)。※1


その人がいなければ、当時の私も、今の私もいない。花岡母娘とは異なり「身に何の覚えもない」ことはないだろうが、その人は間違いなく「生きているだけで、誰かを救ってい」たのである。

(蛇足だが、私はこの物語を、石神から靖子への純愛ではなく、石神に対する湯川の深い愛の物語として読んだ。ゆえに、湯川の石神への想いが切なすぎて胸にせまる。このツイストした読みのおかげで、テレビで放送された映画版を観て、勝手に違和感を抱いた。こんな読み方をする読者を、東野圭吾氏は許して下さるだろうか)


3年が過ぎ、新たな環境で知り合った人に、恋愛関係について訊ねられたことがあった。「私にそういうことはない」と言うと「それは分からない。これから大恋愛をするかもしれないだろう」と返ってきた。ずっとその人が心にいる私は「それはない」と、確信的に心の中で返事をしていた。

他の人がいいと思うなら、そう思うことができるなら、(時間の経過を考えると)その時にはもう別の人を探したり、見たりしていたかもしれない。だが一切なかった。そうするつもりもなければ、したいとも思わなかった。それは、そこから更に時間が過ぎた今も同じである。


『人との接触を減らす』が常套句のように、あちこちで言われるこの2年は、仕事の依頼もされなくなった。当然、その人にも会えなくなった。仕事を受けるようになって以来の、年に一度顔を見ることができる機会を失ったのである。まだ先を見通せない状況が続くことを考えると、もう依頼そのものが無くなる可能性もある。

となると、その人に会うことは永遠に無くなるのか。それでもいいと思う自分と、それは嫌だと思う自分がいる。

ここ数年は、会っても満足するほど話したことがない。ない時間を無理に作ってもらっているのだから、会える時間が短いのは当たり前である。そこに対する不満はない(1時間でも2時間でも、私に仕事の時間を割いてもらえた昔が羨ましくなるが)。話せない根本的な理由は、言葉が出てこないからだと分かっている。

会えるのか、会えないのか(会いたいのか、会いたくないのか)と賭けのような気持ちで出向き、待つ。そこに来てもらえた、その顔を見ると胸がいっぱいになり、言葉がなくなる。痩せて(やつれて)いないか、元気そうかということを(勝手に)判断して、安堵したり不安になったりするが、顔が見られただけで十分なのである。

あの三年間だって、そうだった。たとえ接することがない日でも、顔を見ることができれば、いい日になった。逆に見られない日は、密かに(もしくは、あからさまに)落ち込んだ。そんな日は、誰もいない部屋のボードに書かれた、消し忘れの直筆文字を見ただけで泣きそうになっていた。


今でも、会えるなら会いたいと思う。いや、会わなくてもいい。顔が見たい。元気なのか。他人への心遣いは細やかだが、自分のことは棚に上げる人なので、無理をしすぎていないか。それが分かれば十分である。

連絡する手立てはある。でも、それを訊くためにメールをするなどあり得ない。だから、願う。

どこかで、幸せでいて下さいと。一般的な、世間的な意味でではなく、その人が思う幸せな状態でありますように。

希いよ届け あの人の希い 私のすべての希いと引き替えに                       希いよ届け あの人の希い 私のすべての未来と引き替えに ただひとつ ※2

私の、究極の「希い」である。その人の希いが届くなら、私は命と引き替えることも厭わない。









参照

※1 東野圭吾,[2005] 2008,『容疑者Xの献身』文藝春秋.

※2 作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三「希い」アルバム『相聞』に収録(2017年11月22日発売).


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