桜井和寿✖︎稲葉浩志の対談 感想

2021/5/14配信「桜井和寿 × 稲葉浩志 / Vocalist対談
2人の人格の違いが明確に見えるのが僕にとっては一番楽しい。
0→1の人 桜井和寿
1→10の人 稲葉浩志
と感じる。このブログでは、次のように定義して話を進める。より「哲学者」に近い桜井和寿。「表現者」稲葉浩志と言い換えても悪くない。これは優劣をつけることではない。もし、どちらの人物に興味を持ちやすいかという観点で見ると、個人の興味によると思う。僕は桜井により惹かれる。何故かというと、0→1の人のモノを生み出す考え方にとても興味を惹かれるからだ。自分もそうなりたい願望もある。話の深みがより深淵であり、実績も伴っていると、説得力も増す。
この対談でいえば、桜井は稲葉より「気づき」をうけとり、稲葉は「学び」を受け取る構造ではないか。聴き手の人生の段階にもよるのだろうが、「学び」を欲する段階の僕は桜井の話により興味を抱く。イチロー×松井秀喜の対談の構造と非常によく似ている。面白い気づきだ。
どちらが幸せかという観点においても述べてみたい。僕の感想では
稲葉浩志の方が幸せかもしれない
と思う。誤解も生みやすいので説明する。「幸せ」という表現が、そもそも誤解を生じやすいので、「生きやすさ」と表現を置き換えてみる。おこがましいが、僕は桜井とタイプが似ているという自覚がある。もし仮に人生という成績表が存在するなら、雲雲泥泥ぐらいの差は否めないがそこは棚に置く。
考えるということには「深さ」がある。桜井の場合、とことん考える。アルバム「深海」のときのように、毎日死にたいと思うくらいに。想像してほしい。そんな深く考えることが「生きやすさ」という観点において、どう考えても生きにくいだろう。辛い。しかし、その分、深遠な思考から生み出された作品にはとんでもない「魅力」が内包されている。その事実はMr.Childrenの名曲が証明しているのは自明だ。その分、作品が昇華したときの高揚感は半端でなないだろう。グラフでいうと、哲学者桜井は2字曲線の最大値と最小値の差が激しいタイプだ。
人間は幸せよりも、辛い経験をより鮮明に覚えている生物。だから、結果プライマイ0だとしても。マイナスの印象が強く記憶に残る。Mr.Childrenの「HANABI」という曲で<<考えすぎで言葉に詰まる そんな不器用な自分が嫌い でも妙に器用に立ち振舞う自分は それ以上に嫌い>>が桜井のパーソナリティを良く反映していると想像できる。その点において「生きやすさ」的には表現者稲葉浩志の方が生きやすいのではないかと思う次第。稲葉の場合もう少し、グラフの波が小さいというイメージだ。その分桜井より器用に生きられていると想像できるわけだ。対談で、「ミュージシャンになっていなかったら」とい質問に対しての問いにその根拠もある。稲葉は自分は普通で、流されてミュージシャンになって今に至ると答えている。国立の大学に通っていたはずだ。この回答、カッコ良くないですか??僕はそういうタイプでないので、そういう人を羨ましく思う。でもそうなりたいかというと、そうはれないと気づいている。だから「羨ましい」という言葉がハマる。桜井もタイプとしてそう。イチローしかり。歴史に残る哲学者たちもそうだろう。自死するくらいの人物達だから。
一方、桜井は「音楽しかなかった」と回答。ここに人生において「生きやすいか?」という意味での「生きにくい」と回答していると想像できる。
コンテンツとしての価値は物凄い。何故なら、ファンは桜井を知りたいし、稲葉を知りたい。パーソナルな部分を知りたい。youtubeという媒体が出てきたことによる恩恵をファンは受けられる。しかし、桜井、稲葉側の「成功者」側は発信に腰が重いだろう。敢えて「成功者」という少し、いやらしい表現を使用したのはご勘弁いただきたい。話を伝えやすくするための表現だ。「成功者」の腰が重い理由は、もう彼らにとって必要がないからだ。「これから成功を目指す成功者予備軍」の立場になって考えると理解しやすい。彼らは成功するためになんだって売れるものは売るという姿勢がある。一昔前は、発信のプラットフォームがなかったのでそうはいかなかった。いまは違うSNSでなんでも売れる時代だ。
だから、パーソナルな部分でもバズる可能性があるなら、ドンドン発信するべきなのだ。逆に発信をしないと埋もれていく可能性が高い。そういう時代だ。この点において「成功者」にはその発信の必要がない。むしろ、パーソナルな部分は多くの人に知られたくないだろう。特に桜井の場合、最も売れていた時代に「スター稼業」と自分の存在を俯瞰しているパーソナリティの持ち主なので尚更だ。
対談の後半で述べている内容だが、「ファンが求めている事を届けたい」桜井に対して「桜井自身のやりたい発信をしてほしい」というファンの要望の食い違い、矛盾。この矛盾は言葉の意味通り、永遠に埋まらない溝。
その「溝」をたまに埋めてくれるからコンテンツとしての価値がとんでもない。七夕のように一年に一度出会えるか否か。
最後に、やはりこの対談でも歌詞の制作過程の話が一番面白い。その内容はMr.Childrenの「擬態」という曲に凝縮されていると感じる。「擬態」という突飛な語彙がタイトルになる意味が理解できると思う。
この二人の対談は「ならでは」であるとすごく感じる。第3者の話を回す役回りが入れば、もっと色々なものを二人から引き出せたのかもしれないが、そうじゃない、どこかぎこちない二人の人間味が滲み出るところがたまらない。年に何度か見直すコンテンツである価値があるだろうなぁ。
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