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ミスチル歌詞から紐解く アルバム全曲解説 18thオリジナルアルバム「REFLECTION」{Naked}⑱ [幻聴]

ミスチル18thオリジナルアルバム「REFLECTION」{Naked}18番目の収録曲です。歌詞全文を引用させていただきます。

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やっと一息つけるねって思ったのも束の間
また僕は走り出す
決してのんびり暮らすのが嫌いなわけじゃない
でももう一度走り出す

観覧車に乗っかった時に目にしたのは
地平線のある景色
そこで僕は手に入れたんだ
遮るもののない 果てなく広がる世界

夢から夢へと橋をかけて渡る
そんなイメージが駆け巡り

向こうで手招くのは宝島などじゃなく
人懐っこくて 優しくて 暖かな誰かの微笑み
遠くで すぐそばで 僕を呼ぶ声がする
そんな幻聴に耳をすまし追いかけるよ

切り札を隠し持っているように思わせてるカードは実際はなんの効力もない
だけど捨てないで持ってれば
何かの意味を持つ可能性はなくない

一歩 また一歩 確実に進む
そんなイメージも忘れずに

僕を手招くのは 華やかな場所じゃなく
口下手で人見知りで ちょっと寂しがり屋の溜息
遠くで すぐそばで 君の呼ぶ声がする
そんな幻聴に 耳を澄まし追いかけるよ

向こうで手招くのは宝島などじゃなく
人懐っこくて 優しくて 暖かな誰かの微笑み

遠くで すぐそばで 僕を呼ぶ声がする
そんな幻聴に耳を澄まし
また今日も 夢の橋を渡り追いかけるよ

<出典>幻聴/Mr.children 作詞:桜井和寿

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桜井さん本人の解説も引用させていただきます。
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小林さんと一緒に作業した曲です。小林さんとせーのでやるときは、この「幻聴」が一番近い感じです。今までの曲はそれに何かをつけ足していったんですけど、今回はデモに近いままの、シンプルに全部の骨格を見てもらえる曲に仕上がったと思いますね。シンセは後から小林さんがダビングしてますけど、ほかは最初に録った状態から小林さんもほとんどいじってないはずです。
<出典Sound&Recording>
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このアルバムでは小林さんとの曲が何曲かありますが、ミスチルがプロデュースしたものとはやはりサウンド面での違いが出ますね。僕が受ける印象としては、シンセサイザーが入るのもあるのでしょうが、透明感があって綺麗にまとまっている曲。サビの部分の行間を埋めるシンセサイザーが凄く聴き心地が良いと感じます。このプロデュースの違いを楽しむこともアルバム全体としてのストーリーと捉えることで、単発的にリリースする曲との違いで、非常に面白いです。

この曲のエピソードとして、全部の候補曲が出揃った後の翌日にできた曲であり、歌詞冒頭の<やっと一息つけるねって思ったのも束の間 また僕は走り出す>というのはまさにその状況から生まれた歌詞だそうです。
桜井さんはインタビューの度に説明していますが、歌詞の書き方は以下の流れです。

無意識下においてメロディが生まれてくる→このメロディによって言葉を引き出される。

であり、何か伝えたいメッセージが明確にあって歌詞を書き、メロディーに乗せるわけではないということです。ただこの無意識下には、桜井さんが経験してきたすべてがあっての無意識下ということです。無意識だけれども、この無意識に至るまでには様々な情報が集約されている。わかりやすくいうと、「直感」になるかもしれません。「直感」とは瞬時の閃きですが、その一瞬の判断には、今まで培われた経験から出る一瞬の判断であるり、実はかなり良質な判断であるという説を聞いた事があります。この無意識の感覚は、恐らくメロディーを創ることが呼吸と同じようなレベルとなっているアーティストにしかわからない感覚でしょう。私にはやはり、この桜井さんの説明を聞いて、頭では理解できますが、作曲をしたことがない自分にとっては、メロディーを降ろしてくるみたいな感覚はやはりわかりません。普通に歌詞を書いてから、曲作りという方が遥かに想像がつきます。やっぱりこれは才能でしょう。言語よりもメロディーの方に最初からメッセージが詰まっているという感覚は。

さらに、この歌詞を書いた背景には、桜井さん自身が観客が何万人ものアリーナなどライブをすることが当たり前となっている中、ナオトインティライミのように、ギター一本で目の前の人たちを喜ばすことができるのかというような、コンプレックスを長く感じていた時に、自分にもできるって思えて、ミュージシャンとしての喜びを感じていた直後に書いた詩であるといっています。
そんな前提を受けて、歌詞全体をみてみると、ミュージシャンとしての喜びと、マーケッターとしての側面が見えると思います。

ミュージシャンとしての喜びっていうのは、「夢」という歌詞に集約されていると思います。ただし、叶えた「夢」に限ります。桜井さん自身は夢を叶え続けてきたからそれが、喜びだということです。「幻聴」にしても桜井さんにとっては、「根拠のない自信」という言葉に置き換えられると思います。音楽を生み出し続けるには、さらにはミュージシャンとしてトップを走り続けるには、そう、学校教育ですり込まれた問題には正解が必ずある、という教えに反する。社会に出て何かを生み出して商品にするには、正解なんてわからないということですね。その問題を解決していくには、「根拠のない自信」から生み出された解決策をひたすら試して、正解に近づけていく作業だということです。「根拠のない自信」は「直感」と言い換えてもいい。すべての経験が集約されているものであり、未知なるものの正解を導き出すには後は「才能」です。生まれ持った「才能」。後天的に培われた能力でなく、才能と言い切っていいと思います。

マッケターとしての桜井さんを紐解くと、「夢」と「幻聴」には裏の意味がありますね。リスナーに響く「心地よい共感」という意味だと思います。マスのリスナーにこの曲を買ってもらうには(敢えてわかりやすい「買う」という表現にしています)共感を呼ぶ歌詞である必要があります。尖りすぎた、歌詞やメロディはマスには支持されないことは容易に想像がつきますね。この共感のよび具合を自由自在に絶妙にコントロールできるから、やらしくなく売れるんですね。売ろう売ろうとする営業マンは売れません。これとまったく同じ原理だと思います。
つまり、この歌詞の中の「夢」、「幻聴」はマスのリスナーの心の中のモヤモヤな、叶えられていない「夢」、心の内なる声を「幻聴」として言語化してあげて、絶妙にテンションが上がるようなストーリーになっている仕上がりにしているということです。この加減が絶妙であるから、売れるということです。この絶妙な加減は才能というより、培ったものに近いかと思います。ですので、桜井さんが言う曲作りを、私なりの言葉に置き換えると

「才能」から降りてくる無意識のメロディを、マスのリスナーに売れるように、培ってきたマーケティングの「能力」を駆使して、絶妙な味付けを施して、さあ美味しく召し上がれとお皿に盛りつける作業

であると表現します。聞こえは良くないと捉える方も少なくないかもしれませんがこれが事実だと私は思います。優れた作品というものは得てしてこういう重層的なメッセージが込められているものです。例えば宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」もまさにだと思います。表層的には、小学生くらいの千尋の成長物語のように見えるよう創っていますが、裏を返せば、親の何らかの失敗によって、性風俗の夜の世界に売られた子供の話。こういった普遍的な社会問題を重層的に織り込んでいる創りであるということです。こういう構造を創り出せるからこそ、なんか心に引っかかる作品になり、より多くの表面的な共感をはじめ、自分でも気付いていないような、心の奥底での共感を呼び、名作と結果的に呼ばれるということだと思います。脱線しますがこの内容を面白く解説している音声がありますので興味のある方は こちらをどうぞ

こんな要素がミスチルの歌詞には随所に織り込まれているからこそ売れるわけです。歌の世界はファンタジーであることが前提なので、より曖昧に重層的な意味を織り込みやすいとも言えますが、その分競争も激しくなる対の面があると思いますが、その競争に打ち勝ち続ける絶対的な地位をミスチル、桜井和寿は創り上げていることが「売れる続ける」最大の特徴だと思う訳です。

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