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Sー491誕生物語。

株式会社ナカユビを立ち上げて2年目の年
いよいよ正式にSー491の販売をSTART!

あの日がなかったら…
Sー491は生まれていなかったと思う。

5年前、フィリピンにいった。
技能実習生の関係でリサーチを兼ねて。
1回目の渡航は関係者もいた事もあり
何不自由なかった。
帰国後、もっとこの国を知りたくなり
1ヶ月後、一人で行ってみた。

福岡空港まで車(4時間)で行き、
ニノイアキノ空港まで(4時間30分)
最終便でしたが空から見るマニラの
夜景はめちゃくちゃ綺麗なんよ。
英語もままならない。
タガログ語もわからない。

到着後、
マカティーまで移動(とりあえずネット予約したホテル)して腹減ったし飯屋に入った。シシグ食べながらドキドキしてると、
ボロボロのギター抱えたフィリピーノが
僕に向かって、徳永英明の輝きながらを
歌い出した。笑
スプンとフォークをテーブルに置き、笑顔で聴いた。
歌い終えた時に挨拶して食べてると、ジーっと僕を見ている事に気付き、僕もチラ見
。隣の見知らぬ人がチッププリーズ。
500ペソを渡した。
初めてのチップ文化を体験した。
帰りの道中、偽物のエアージョーダン、
花をみんなが売りにきた笑
ますますこの国を知りたくなった事は
いうまでもないよね。

何回もいってるうちに友達もできてきて
彼らの家に泊まらしてもらったり、手で
ご飯食べたり、今でも仲良くさして貰ってるけど、KAZUはファミリーだ!って
行ってくれたのは嬉しかった。
メルカド家は僕にとってもフィリピンの
大切な家族です。

たしかに貧しい環境(月給3万円)かも
しれないけど優しさと笑顔。
日本人が忘れてしまってるものがフィリピンにはしっかりあった。

この国でなんか自分にできる事ないかな
?なんて考え出して…

フィリピンの家の壁は大半がブロック構造
「環境も変えれて強度のある壁」
10数年前、地元で瀬戸漆喰ってあったなーって思いながら。
この時点ではSー491が生まれるなんて
思いもしないし左官してなかったらこの発想も生まれてなかったと思う。

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