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これからの未来、生き残る為にできる たった一つの事。


「昔はよかったなあ」とか

「コロナでホンマ売れへんようになったなあ!」とか

「この先どうなるんやろ!」

でもはっきりしていることは「変わるしか」生き残れない!

だからとりあえずやってみよ!って僕はそう思っています。なでならテクノロジーによって世界が変わったからなんです。

テクノロジーを作ったのは人間です。つまり変わると決めたのも人間です。

「これからは働き方が変わります。これに抵抗すると生き残っていけません。」

トヨタも、銀行も、、私達も、「変わることでしか」生き残れないんです。!

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以前に衝撃的なテレビを見ました。ドリームカムトゥルーのリーダーであるベースの中村正人がテレビに出てたんです。ドリカムと言えば吉田美和、メチャメチャ歌がうまい
ですよね!10年、いや30年に一度の天才ですよね!

中村正人が番組でインタビュアーにこう聞かれたんです。「ドリカム平成の元年デビューですね!」「この30年でどんな変化がありましたか?」っていうインタビューだったんです。

中村正人が言った言葉が衝撃的だったんですが、

「私たちの変化じゃない、音楽業界すべての変化の30年でした。」
「ちょうど私たちのデビューまでは世の中の音楽はレコードとカセットテープでした。」と
「私たちが今の事務所から初めてCDという物を販売したグループなんです。そして今やCDではなくダウンロードでマーケットがごっそり変わりました。」

で、インタビュアーの人が言います。

「そうですね。と、確かに30年前からマーケットそのものが根底から変わりましたよね」と、で「改めて思うんです。」「これだけ変わっているにも関わずドリカムはなぜ30年間もトップを走り続けることができたんでしょうか?」

なんだと思います?中村正人はこういう風に答えたんです。

「ドリカムは吉田美和がプロデューサーであり、バンドマンであり、シンガーであります。
だから私の仕事は吉田美和をたくさんの人に会わせる事なんです!」

そう思ったときこの音楽業界ではレコードからCDにCDからダウンロードにそんな変化の中、ほかにもたくさんのアーティストが生まれました。宇多田ヒカルが出た時、衝撃が走りました。そして今や米津玄師が出てきた。CDを知らない世代です。そんな中、私が吉田美和をトップアーティストとして世に広めるため、

「やれることはたった一つ」・・・・ 変化し続けることです。・・・

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 苦しくて、苦しくて、耐えれない、そんな30年でした。今まで築きあげたものを根こそぎ捨てなければならない、まるで血を流すような30年だった。」「でも僕たちはこれからもやります。まだまだ変化を繰り返し、血を流しながらこの音楽業界のフロントに吉田美和を立たせ続けるんです」

っていうインタビューだったんです。

「そうか」「華やかに見えてず~と上手くいっているように見えるドリカムもそうやって血を流しながら、変化に耐え、今も立ち続けているんやなあ!」って中村正人のインタビューでわかったんです。インタビュアの方も感慨深くこう仰いました。

「失礼しました。」「私は知りませんでした。」「最初から成功してるんだと思っていました。」「これからはもっとそういう目で、そういう心でドリカムの音楽を聞こうと思います。」

中村さん最後にこれからの抱負をお願いします。

中村正人は言いました。

「私たちは、30年前も、今も、これからもドリームカムトゥルーでいます。」

「ホンマ衝撃でした。」変わり続けるしかない。そんな気付きをドリカムから教えてもらいました。

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あまりのも不安で、あまりにも不透明で、あまりにも不安定すぎる未来!

でもはっきりしていることは、


「変わり続けるしかないんです。」


「私たちが、これからも生き残るために」

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