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~行雲流水~  2022わが家の中受顛末記

息子氏の中学受験が無事終わりました。
1月   前受校〈私立共学中〉  合格
2月1日 第一志望校〈私立男子中〉合格 ⇒ 進学
     第三志望校〈私立共学中〉合格
  3日 第二志望校〈都立中〉  合格
受験したのはこの4校。

いかなる人にか、

息子氏はガチの鉄道オタクでガチのピアノ男子、工作&科学実験マンで山登り川下り愛好家。本めちゃくちゃ読む。アニメ・ゲームには興味なし(唯一、母のスマホに入ってるネコの島づくりシミュレーションゲームだけは何年も地味につづけてる)。6年生の今でもお友達と公園でかくれんぼしたり地面に穴掘って水流したりして遊んでいる。土を掘るのは生き甲斐。平和。
なんでも手作り派。自分でルールを編み出すのが大好きで、段ボールと折り紙を駆使し、軍人将棋とチェスと囲碁を足して三で割ったところに人生ゲームを魔改造してすりつぶし混ぜたようなオリジナルボードゲームをつくっては、お友達の間で流行らせたりしている。王将やキングにあたる最強の駒の名前が義父が経営する会社の社名なのはなぜなのか。謎。

そんな子なので、学校は大好きだし、お友達にも先生方にも恵まれて毎日楽しく小学生ライフを送っていますが、いかんせん勉強が「簡単すぎてつまらない」。好きな教科は?と訊かれると必ず「20分休みと図工と放課後校庭開放」って答えるくらい、勉強がおもしろくない。
だから、レベルの高い勉強ができる学校へ行きたい、というのは本人の強い強い希望でした。

ただ、わが家のノリとして、ゴリゴリの中学受験は絶対にイヤ。
子どもの本分は、遊ぶこと。遊んで食って寝る。
ピアノの時間も絶対に減らしたくない。習い事をやめる気いっさいなし。
偏差値にも興味なし。できるかぎり自由な校風で、適度なオタクが集まってる学校がいい(適度なオタクとは)。
リーダータイプの優等生が集まる学校も無理。
生徒を放牧してくれるとこがいい。
家からできるだけ近くて、通学のラクなとこ。
そうはいっても、何もしないで受かる中学は、ない。

結果、行きたい学校をざっくりしぼって、それに必要十分な準備をするために6年生の1年間だけ塾に通うことにしました。

もののふの 矢橋の船は速けれど

まず学校選び。
▪都心より西で(わが家は練馬・杉並・武蔵野エリア)
▪ドア toドアで1時間以内で通学できて
▪自由な校風で
▪敷地が広くて土があり(←穴を掘りたい)
▪部活に鉄道研究部がある(←マスト)
というのを条件に、わたしが粗選びをした学校の中から息子氏が気になるところを2、3つ。
その中でいわゆる受験偏差値が一番高いところを仮ターゲットとし、実際の第一志望は受験までに固めればいいよね、というゆるい目標設定でした。

そこから、今度は塾選び。
▪ピアノのレッスンの曜日にかぶらない
▪少人数
▪授業時間が短い
▪日曜日は絶っっっ対OFF
という条件で考慮しつつ、息子氏の希望した学校がわりに難易度高めだったのでそれなりのレベル設定の塾を。
3つほど見学・体験授業に行って、最終的に駅前の某塾にお世話になりました。
かなり小規模だけど、とくに理数系で評価が高い(面積迷路とか算数オリンピックとかで有名です)。

わが町は、例の『二月の勝者』の舞台になったエリアです。
息子氏の同級生には大手S、W、N、都立専門のEに4年生から通いはじめる子がとても多く、たとえば4年入塾時のSのクラス数はものすごい数でした。低学年のうちから公文や花まるに通っていた子もたくさん。
わたしは、自分自身、学生時代ずっと塾講師と家庭教師をバリバリやってたこともあって、塾選びには自分なりの観点がありました。息子氏の性格も合わせると、競争心を煽ったり、スポ根でハチマキ巻いたり、カンヅメ合宿したりするところは死んでも無理。拘束力のつよくない少数精鋭の塾に通い、模試だけ大手塾を利用するやり方に。

うちの塾で一番いいなと思ったのは、
〈得意分野を思う存分伸ばす〉
〈ウサギとカメなら、ウサギの長所を伸ばす〉
と容赦なく打ち出しているところ。
入塾テストを受けるとき、「うちは5年生までに大手塾さんの6年夏までの内容が終わっています。最後の1年間は実践演習にあてます。今から入塾してついていけるかどうか、お互いのためにレベルは厳しく見させてもらいます」とはっきり言われました。
受かったからよかったものの、はじめは息子氏もあまりのレベルの高さにフゥフゥ。算数はしばらくはついていくのがやっとだったようです。
息子氏は幸い国語がつよつよな人なので(大手塾模試では全国2位とか3位とか)、国語の時間がとても楽しく、先生に記述問題や作文の添削をしてもらうのが何よりモチベーションの維持につながってたみたいでした。

ゆく河の流れは絶えずして

とにかく、学校の宿題以外に机上の勉強をしたことがなかった息子氏。
一番はじめに受けた模試では、国語以外は見事に超低空飛行。今回合格した学校も、受けたらあかーん!って感じの判定でした。
当初の持ち偏差値はS48、Y51~2 くらい。

ただ、息子氏、理解力はあった。
最初にあげたとおり、「ルール」「規則性」を理解し、それを自分なりに消化して構築しなおす能力はわりにある。
たとえば息子氏は作曲が好きで、初見奏、聴音、和声学などがかなり得意なのですが、これらも結局「ルール」「規則性」の理解と応用。
鉄道だって、科学実験だって、同じです。
一度つかめば、早い。
親としてずっと観察してきてその点についてはかなり確信があったので、焦らずあわてず、「夏休み明けまではとにかく地均し」くらいに構えてました。本人も「受験の算数がこんなに難しいなんてきいてないよー!」とボヤきながら、「超難しいけど、すごいおもしろい」と。

そんなこんなで週3塾、ピアノのレッスンは週2を週1にし、月2~3回週末に理科実験教室…という生活を1年間地味につづけました。
どれも本人が希望して大好きでやってることなので、忙しいながらも精神的に充実した日々のようでした。
何もない曜日はお友達と近所の公園や校庭開放でたっぷり遊ぶ。コロナ禍のストレスを発散するためにも、広いお外でぱぁーっと走ってこい!地面に穴掘ってこい!とむしろけしかけるなど。
ピアノは毎日弾くのが当たり前、という生活がもう6、7年目で、さすがに今までのように2時間練習というわけにはいかないものの、塾のない日はじゃんじゃん弾いて、発表会も作曲コンクールもふつうに参加しました。

勉強は、とにかく塾のみ。
授業を受けて、解き直しの宿題だけはやる。
夏休みの塾がお休みのあいだは、塾でもらった基礎問題集1冊を3回通しで。
冬休みは塾の応用問題集を1回。
模試は合不合とSOを数回受け、国語の記述については塾の先生に添削し直していただく。
志望校の過去問は、お正月明けから。第一志望の算数だけは過去6年分(直近3年分は3回くらい)、それ以外は3年分をさらっと流した程度。
都立の適性検査については、過去問の記述を塾の先生にチェックしていただいたくらいで、とくに専用の対策はしませんでした。

通信教材や個別や家庭教師、市販の参考書に問題集もなし。
早起きして朝勉、お夕飯後の夜勉、いっさいやらず。
A3コピー機もレンタルせず(笑)
塾のテキストと授業をこなすだけで十分だし、逆にそこがきちんとできないのにほかに手を出しても無意味だと考えていました。
小学生の集中力と学習意欲なんて鼻くそです。たかが知れてます。過度な負荷をかけたってなんのプラスにもならん。
逆に言うと、その程度に信頼をおけるくらい、塾選びにはかなり注力したつもりです。
学力については全面的に塾の先生におまかせし、節目節目でじっくり面談のお時間をいただく以外はほとんどノータッチ。
そもそも、親の言うことなんて聞きゃしねえし。
勉強の船頭は塾の先生に一本化です。
わたしがやったことといえば、最寄りバス停までの送迎と、模試の申込みなど手続き忘れずにやることと、帰ってきたらあったかいごはんを食べさせて風呂に漬けて早く寝かせること。以上。

よつ引いてひやうと放つ

そのうち、さすがにじわじわと成績が上がり、最終的に
S60、Y65 というあたりで落ち着きました。
ここから実際に受験する、進学する学校を決めるにあたり重視したのは、
「たとえ明日試験があっても合格できると思える学校」
「鶏口となるも牛後とはならない学校」
です。
ぎりぎり爪の先だけひっかけてぶら下がってよじ登らねば合格できないようなところで、楽しい学生生活が送れるとは思えない。
息子氏がほしいのは、受験の武勇伝でも棚に飾るトロフィーでもない。
合格がゴールではない。
誤解を恐れずに言えば、〈分相応〉というのはとても大切だと思うのです。

わたしは大学生向けに講演をしたことが何度かあります。
大手出版社で編集者をしていたので、就職活動の成功体験談を語れ、との依頼でした。
マスコミはどこも採用人数が少なく、わたしの会社も約3000人のエントリーで最終的に入社した同期は14人。数字だけ見ればどえらい狭き門です。
ただ、単なる憧れや知名度だけで応募する学生が多いので、本気でその会社を選択し、明確な意志と適性をもって志望する人はそこまでいるわけじゃない。実際、入社後に自分が学生を選ぶ側になってみてよくわかりました。
とにかく、その手の講演でわたしが必ず話すのは、
〈ライトスタッフ〉
についてです。
right stuff = 正しい資質。
映画好きの方ならトム・ウルフ原作、フィリップ・カウフマン監督、サム・シェパード主演の作品を思い浮かべることでしょう。
人類初の有人宇宙飛行をめざす者たちの過酷な挑戦を描いた、金字塔的名作。興味があればぜひご覧いただくとして(3時間超の長尺…)、死と隣り合わせの危険な任務についたテストパイロットたちが口にするのが
「あいつには〈ライトスタッフ〉がある」
「俺には〈ライトスタッフ〉があるから」
という言葉。
(かの『BANANA FISH』の吉田秋生先生も何かのインタビューでこの言葉をひきあいに出し、漫画家の資質について語ってらした記憶)
たとえば、冬季五輪のスキー競技でメダルをとりたいけど、氷点下の気温の中にいると体が凍結してしまう。
高級寿司店の板前になりたいけど、お酢に触れると指がとけちゃう。
残念ながらその人にはライトスタッフがない。
極端な例だと思われるかもしれないけれど、そういうことって、意外にまかり通っているものです。
古典知りません、ベストセラー以外読んだことありません、アニメは見たけど原作は読んでません、長い文章書けません、仕切り役は苦手です。でも、出版社に入りたい。
真顔でこういうこと言う学生、びっくりするくらいゴロゴロいる。

どれもこれも、〈正しい資質〉がない。

宇宙飛行士のライトスタッフは、生きて還ってくること。生き残る正しさを知っていることです。
人工衛星に載せられて地球に還ってこれなかった犬のように、片道切符で打ち上がるだけ上がってもダメなんです。

たとえばうちの息子氏は、筑駒にはまず受かりません。
そこまでの地頭も、学力的伸びしろもたぶんない。
3年間くらい塾で無心にゴリゴリ対策すればワンチャン可能性なくもないけど、まぁ5回受けて1回受かるかどうか、ぎりぎり限界だろうな、と。
山って登るのはわりに無理きくんですが、下りれないと死ぬんです。
体力気力すべてふりしぼって一ノ倉沢登攀成功しても、谷川岳の登山道で動けなくなったらそれは「遭難」です。
息子氏には息子氏なりの分相応なレベル、ライトスタッフがどこにあるかを見定める。引っ張り上げるのではなく、彼が自分で自分をプッシュする。そのための兵站は過不足なくやりまっせ。これが親としての役目かな、とわたしは思っています。

受験直前は、とにかく毎日心身ともにすこやかであれ、ということだけでした。
学校も休まず行きました。
小学生の本分は(心身にトラブルがないかぎり)毎日学校に行くこと。わが家の考えです。感染拡大はもちろん心配でしたが、学校の対策対応は最低限信頼に足るものだったし、息子氏はすでにワクチン2回接種済みだし、そもそも風邪ひいたりインフルかかったりはもうしょうがない。人間の運とタイミングなんてそんなもんです。死ななきゃ、それでいい。
勉強も、塾の先生からは「塾の授業出て、宿題やれば、それだけで大丈夫」と言っていただいていたので、安心しておまかせ。丸投げ。

で、ありがたいことに、無事に志望校に進学できる結果となりました。

受けた学校はどこもとても気に入っていたので、どこかひとつ受かればいいよね、と息子氏本人も気楽にかまえてましたが、やはり第一志望合格はうれしかったようでめずらしく興奮してました。
わたし自身「男子だったらここに行きたかったな~」と子どもの頃から憧れていた学校なので、わが子ながらうらやましい。
(私立中にくわしい人ならわかる、ヤギのいる学校です)
中学高校の6年間をめいっぱい楽しんでもらいたいな、と思います。
大学なんてそんな先のことは知らん。好きにして。

また手に掬びてぞ 水も飲みける

よく「受験に勝つために役立ったことは?」的な話がありますが、というわけでわが家の場合、とくべつなことは何もしてません。
しいて挙げるなら、ピアノをつづけていることはプラスに影響したかな、と。
うちの息子氏は2歳から某音楽教室に通ってますが(本人の希望です。ある日テレビでCMを見た瞬間「むすこしちゃんあしたからここにいく」と宣言されてしまい、習い事なんてさせるつもりもなかった母、大慌てで見学申し込むの巻)、1年生からずっと選抜クラス的なガチのレッスン。水泳でいえばイトマンの選手コースです。ピアノというと優雅に思われがちですが、はっきり言ってスポ少と変わりません。わりに大変。
コンクールやコンサートにもたくさん出るのですが、
「本番力」
はまちがいなくピアノで養われた気がします。
大きな舞台の場数を踏むことで、本番につよい。本番であわてない。本番までになんとか帳尻合わせる。そういう力は確実にある。
そして、それ以上に大きいのが、

「本番ではあきらめる」

という心のもちようかな、と。
コンクールの世界はきびしい。うちとはちがい、人生ここにかけてますみたいな悲愴な顔した親子もたくさん。
本来点数化できないものをむりやり採点して順位つけるわけで、当然、予想外の結果になることばかりです。
息子氏も、今日は抜群の出来!と手ごたえのある演奏だったのに落選したり、かと思えばあかん全然本調子じゃなかったオワターと反省会してたのに賞いただいたり。
評価されたいとおりに評価されることなんて、そうそうない。
がんばったからといって、労力に見合った成果がいつも出るわけじゃない。
やれることはやって、本番をむかえたら、もうあとは「手放す」。
良くも悪くも、自分にはアンコントローラブルな領域だと「あきらめる」。
自分の手ごたえと他人の評価の齟齬に、一喜一憂しない。
そういうメンタリティに、本人も、わたしも、慣れているところはあると思います。

受験までも、必ずしも順調に成績が上がったわけではなく、トホホな点数もやべぇなって時期もありましたが、そこで右往左往しなかった。
「ほしい結果から逆算して、今の立ち位置に焦る」みたいなことはありませんでした。まぁ生来の気質的なものも大きいだろうけど。

志望校の偏差値から逆算して子どもを育てる、なんていうのはナンセンスの極みだと思います。
どうせ「人間一生糞袋」だし。

この受験期間中、息子氏最大の名言があります。
息子氏は思春期のガチ鉄なので、わたしにむかって、受験当日付き添いは必要はない旨、主張しておりました。ひとりで電車に乗り、先頭車両から前面展望を楽しみ、線路、架線、対向車両を存分にチェック。試験が終わったら行きとはちがう経路で乗り継いで帰りたい、と。
(ちなみに模試や学校見学や説明会、すべて現地集合現地解散でした)
さすがにふつう当日は保護者と行くものでしょ、と説得すると、

「合格したら毎日ひとりで通うのに、試験だけ受ける日に保護者が必要?」

と。
そのとおりだ………!!

結局ついてはいきましたが、学校の門の前で「じゃ。お疲れ」と言われてすごすご家に帰った母。
受験した3日間、息子氏が帰宅したのは結局いずれも夕方なのでした。

おしまい。