based Questionnaire(服飾テクニック&教育メトホッド&店舗運営の秘訣・不満・闇)

TeddyBearProject 1999-2005and2008’

検証と共に 時 時代… till now put in Verification for living together

                        

.TBP備忘録 NO5 OTHER and most all
Tukkataa TeddyBear Prookreem raainaan maai
TeddyBearProjet Expose 
(1999年12月~2005年3月)
2008年4月編集 edit by April 2008

come on spring Lyrics: Yumi Matsutoya

there’s stand up to a few lights from it’s a sudden shower 淡き光立つ俄雨
that remains the daphne 愛しき面影の沈丁花
whos eyes here filled with tears 溢るる涙の蕾から
on as one has to start smells from buds ひとつひとつ香り始める
if awfully oh awfully over the sky それはそれは空を超えて
when a turn comes soon waiting for….. やがてやがて迎えにくる

Oh yo, spring far off spring 春よ遠き春よ
So there’ll close my eyelid there when you’d rave your love
瞼閉じればそこに 愛をくれし君の
whenever I’ll dear you’re voice 懐かしき声がする

‘cause you rest to my soul 君に預けし我が心は
till now I’m looking forward to replying 今でも返事を待っています
no matter how long goes by どんなに月日が流れても
afterward oh through waiting goes by ずっとずっと待っています
oh awfully went across prospective
それはそれは明日を超えて
someday oh someday reach on it maybe いつかいつかきっと届く

Oh yo, spring till never seem spring’ 春よまだ見ぬ春
When I stood tall with go astray 迷い立ち止まる時
You’ll be given as a dream 夢をくれし君の
Your glance was held over my shoulder 眼差しが肩を抱く

As for dream shallow dream, I’ll be there here
夢よ 浅き夢よ 私はここに居ます
then I’ll think about you I’ll be walking alone
君を思いながら 一人歩いています
as if swept away by rain 流るる 雨のごとく
as if drifted to like flower 流れる花のごとく

oh yo, spring far away from yo’ spring 春よ 遠き春よ
closed eyelid on there 瞼閉じれば そこに
when you’d give of your love 愛をくれし君の
whenever I’ll dear your voice 懐かしき声がする
Dream fits your glance's so holding on,,,,,,
愛をくれし 君の 眼差しが?>>>>>
yours


.収入
.E ) Income generation.
今までの経緯
1999年6月、日本国際協力局の帖佐医師の呼びかけでプロジェクトはスタートした。日本国内で数回の打ち合わせを重ね1999年12月タイ国調査訪問を実施した。参加者は

1.帖佐 徹(JICAエイズ予防地域ケアネットワーク・プロジェクトリーダー)
2.佐藤 正喜(バーンラック財団代表)
4.小林 菜穂子(アクセス21事務局)
5.その他
(所属:1999年12月現在)

1998年より帖佐医師はAIDS患者支援のためにJICAから北部タイ地域PHAYAO県に派遣され医療援助活動を行っていた。
“「グローバル8つの物語 -タイ・エイズ撲滅の確かな足取り」著者:読売新聞・杉下恒夫”
この本の中で帖佐氏はパヤオ県のAIDS患者と経済を説明している。「最近の進歩したエイズの薬を使えば、たとえ発症した患者でも生きる事が可能です。しかし援助には限界がありパヤオ県内の村では1日1万円もする薬を買う経済力がある家庭はほとんどありませんから、今は患者をいかに穏やかに死にいたらせるしか方法がないのです。」
1999年12月時点で最も新しい統計では北部タイは全国HIV陽性者の41%を占め地域人口比では0.2%。パヤオ県は東北タイに位置し、タイ全国比較値14.95%人口比0.35だった。(表1参照)。そのパヤオ県を中心に7施設を訪問した。

1.Whistle Home. BANGKOK.
2.Phayathai Babies’ HOME. BANGKOK.
3.TBCA. BANGKOK.
4.パヤオ保健省
5.パヤオ県チェンカムHIV陽性者グループ
6.Community Health Center.ChiangMai,MeaRim.
7.ホアソン寺 ChiangMai,Sangkarpeng.

カウンターバートの模索とタイ国AIDS現状把握のため多施設を訪問し選定を行った。

表1.パヤオ県AIDS状況
HIV新規陽性者 AIDS孤児
1995年 1,000人
1996’ 1,286人 548人
1997゜ 13,208人 237人
1998’ 769人 137人
総累計陽性者数 5,436人
25-34才男性
死因1994′~ AIDS80%
バンコク地域の3施設は財源、設備、運営方針とも問題が無く、3.TBCAとは今後タイ国のコーディネーターとしてのつながりを約束した。北タイ4施設はパヤオ保健省からAIDS現状を伺いパヤオ地域での援助を申し出る発言が聞かれた。7.ホアソン寺においては立派な施設・店舗を持ちすべての援助項目が揃っているため存在意義が認められなかった。
5.パヤオ県HIV陽性者支援と
6.Community Health Center.
2施設の援助とすることを話し合いの上決定した。
目的
ターゲットを絞った戦略は感染予防・陽性者支援においても重要視される。“縫製技術移転”と援助要素が決まっていたこと、帖佐医師の指摘にあった母子家庭の公的援助が無いことを踏まえ「女性」そして「母親」をターゲットとした女性HIV陽性者支援活動と決められた。技術移転がある程度の熟成度になった場合、日本またはタイ国内で販売し売上げを治療費に当てることを目的にした。
治療費の使途は
第1段階日和見感染症の治療または予防薬
第2段階はART(HAART)治療とする。

援助
求められた援助項目。

1.グルーピング
2.縫製技術のスキルビルディング
3.デザイン・製図パターン・スキルビルディング
4.マーケティング構築
5.利潤(純利益)の使用使途基準・管理

ISSUES.
HIV/AIDS is of Health and Economic problem in northern Thailand.It has been difficult for PHA to access Highly Active.Anti-Retroviral Therapy (HAART) due to the cost of Anti-Retroviral drugs.(ARV)
Recently. Thai-Japan PWA network of income generation named Teddy Bear Project is successfully implemented. In addition, it becomes expected that the declined cost of ARV make access to the HAART possible.
The research is held to assess sustainable financing and health system to access HAART for PHA participating into Teddy Bear Project.

問題。
HIV/AIDSはタイ北部で健康・経済問題を抱えています。HIV陽性者が抗カクテル療法薬(HAART)と共に日和見感染症根治・治療薬(ARV)を投与するためにはとてもコストが高いため困難な状況です。1999年より、Teddy Bear Project と命名された日タイNGO(Non Government Organization)ネットワークによる収入増進は首尾よく導入されました。その上不可能だったHAARTとARVのアクセスを可能に出来る事が期待されています。この研究は「テディベア」プロジェクト参加者HIV陽性者がHAARTにアクセスするため健康保険システムをどう維持させるかにあります。
(Dr.帖佐氏:製作NO0829,2001’ポスタープレゼンテーション)
2003年以前の研究

方法
服職技術のルーティンは東京都籍・服飾専門学校の講師から教員用、教育マニュアル(婦人服)を譲り受け、紳士用生徒用教材91点をまとめて選定/採用した。
場所は生地・その他備品購入のため地方都市周辺でなければ調達できないためチェンマイから30分のメーリム郡ドンケーオ村Community Health Centerに設定にした。
人数はグループワークの基本人数18名にこだわりパヤオ地区から9名、メーリム地区から9名、に設定した。
技術達成度は
1.小物工芸製作(デザイン・パターン・ポケットジッパーの技術取得・コバステッチ「縫製最終工程まで」)
2.ブラウス製作
(デザイン・パターン・縫製技術の実践・発展)
3.スカート・またはパンツ製作(デザイン・パターン・片/両斑ポケット・前たてジッパー技術習得)までにし3段階とした。
一番難しいジャケットは時間的に無理であることが予想されるため除外。
縫製技術レベルの区分けは
1.縫製経験者A パターンからの裁断、芯張り、パーツの縫いつけなど・縫製行程を熟知し、直線および曲線の0.1ミリコバステッチが出来る者。
2.縫製経験者B 縫製行程の認知が無い。直線・曲線の平縫いが出来る。
3.縫製未経験者
期間は2ヶ月毎1クールの頻度年間6回、1クールの日程は10~14日に設定した。年間576時間。2年間の結果統計値2000年5月~2002年3月172日:1376時間 1年688時間/86日(1日8時間)
1年を通し688時間しかない時間枠で技術達成度3まで行く事を考えた場合、全員のスキルアップを目指すよりもグループ化し各自のスキルにあった工程過程の領域の仕事をこなす方法を選んだ。ミシンの基礎知識(種類・操作方法・ステッチの熟練度)を学ぶ場合2名8組に分かれ上級者1.)と初級者3.)で組む。(TEAM Up技法の使用)生地ボタンなどの仕入れに行く場合メーリムグループより3名パヤオグループより3名計6名とエデュケーターが付き添い仕入れ店を教え購入する。1回の期間中に3回仕入れに出かけ参加者全員が仕入れを出来るようにした。(TEAM Up技法の使用)これはたとえグルーピングが失敗しグループ内で活動が出来なくても個人の自宅による内職作業において有益な知識となることを前提としている。
最初の題材はテディーベアとトートバック2課題を同時進行しながら進めた。パターンはエデュケーターが作り配布し生地も縫いやすいフリース・薄手ジーンズにした。特にエデュケーターが参加者に一方的な講座方式を採用することは拒否した。日本での経験上から参加者は自ら表現することを望み、その心理を生かす技法を使ったグルーピング/スキルビルディングが効果が高いこと、また参加者のモチベーションは多様であり「学びたい」意欲は統一されていない。
この意欲の統一化は無理であるため、いかに全員の意欲を高めることに専念した。方法はここにも技法によるグループワークが有効だった。そして、服飾関係スキルビルディング・グルーピング2項目の最終目的は女性コミュニティーにおいて自らが運営し生活基盤を維持することを目標にしている。
題材項目の発展の仕方は、“自分のバック・人形を製作”することから始まり、(参加者の製作モチベーション・やる気の発達)製作した作品を参加者全員の前で発表し作品コンセプトを説明しながらアピールする(企画能力・プレゼンテーションの発達)その作品の良い点悪い点を参加者全員が指摘する。(ZOPP技法の使用)その後デザイン性に優れた5作品を参加者全員で選び商品化する方法を採用した。(AIC技法の使用)
1年間はこの題材で自分でパターン・デザインすることまで達成するのに時間を費やした。
デザインにおいては人物クロッキーから始まり10項目以上の段階を必要とするが最初の人物クロッキーの完成度と参加者の反応を見ると大半の人は楽しんでやっているように見受けられたが継続性を考えた場合「好き」“嗜好の受容度”が一番の継続につながるため全員が平等に絵で表現するというデザイナーにとって基本中の基本技術の習得は難しいと考え選抜でデザインを勉強する参加者が必要となった。
2年目、テディーベアとバックは市場に出せる出来栄えと効率化された作業が可能になった。
技術達成2項目の課題ブラウス製作に入るためボディーを購入。タイ国全体を見た場合安価な店で売られているシャツ・ブラウスはほとんどが平面裁断パターンであり技術の習得が見られない。高級店においては立体裁断パターンが見られた。チェンマイ圏はバンコクなどの首都に製品を卸している製品工場としての役割を担っており北タイ部の製図能力は劣っている。高級店で見られる立体パターンはインポート物かバンコクを拠点にした大手服飾メーカーの製品が主だった。服飾平面パターンは
設計図作りと一緒で公式、20以上の標準値、計算の戦いであるため非常に困難を要する。そこで平面裁断を抜かし立体裁断から始める戦略をとった。これは設計図のような公式と格闘する必要が無くB.W.Neck,の3数値だけで製作可能。しかし平面裁断パターンの基礎知識が無いと感覚で行う立体裁断は成り立たない。少し強引なやり方であった。エデュケーターが基本のパターンを作り配布、各参加者がボディーと合わせながらダーツや絞込みを入れ自分のブラウス製作をすることにした。しかし時間不足が躊躇に現れ“自分のブラウス製作”で2年目は過ぎた。技術達成度3項目課題には進めずブラウスにおいてもパターン・デザイン性は向上したとは言えない。
グループワークにおいて全員参加型問題解決手法“AIC”、目的指向型企画設定法“ZOPP.”、 チームアップ“TEAM Up.”3技法をよく使用した。

販売
プロジェクト開始から1年目後テディーベアとバック小物、2商品は市場にて販売できる能力と縫製行程分割化による量産システムが出来ていた。商品企画・コンセプト・流通システムなどの設定が必要となった。服飾業界の商品企画方法はモデルサンプルを最初に設定しそのモデルを対象としたデザイン・機能を追及し商品製作を行う。このマーチャンダイザーの役割はエデュケーターが荷い、設定した。

モデルサンプル:
32才女性:バンコクに住居を構え、5年前に同じ証券会社に勤務する夫と結婚した。結婚後退職し今現在専業主婦。夫の給与は月8,000バーツくらい。ボーナスは年2回貰える。購読月刊誌は“ルクッチラー・ケン”がお気に入り。子供は1人養育し月に1.2回子供を祖母に預けショッピングに出かけるのが唯一の楽しみ。結婚前はセクシービビット系の服を好み会社を終えて週末のクラブ通いが楽しみだった。良く行く店舗はロビンソンデパートとおしゃれな路面店。常に人とは違う“おしゃれな小物・洋服”を探している。子供が出来た事と年令の変化でベーシックでありながら他人とは違う商品を探している。ビーズやフリンジを使った小物には目がない。最近は手作業が施してあるベーシックな商品もお気に入りになってきた。
1点物嗜好。指向コンセプトはカントリーベーシック。
これらを含んだ企画書を参加者全員へ紙に印刷しタイ語での情報提供/確認を行った。
参加者の理解度を考慮し同年代・婚姻継続・子供の有無を参加者の平均的スタイルを擬似した。安価な商品設定による大量生産・低純利益を警戒し、中上流経済所得者を対象とし、ブランド化を目指した。
値段設定は「ユニクロ」が代表とされる日本服飾業界デフレ傾向、低価格戦争が終盤に近づいていた時期であり手頃感のあるブランド指向型値段設定を
行った。(表2参照)
「安いほうが良い」、「安ければ売れる」という意見・助言は多かったが先進国と途上国における関係において“南アフリカのコーヒー豆”事例のように作業しやすい安易な商品を選択することによる過剰供給は値崩れを起こし消費者の購入意欲から除外されることは目に見えていた。それよりもブランド化された難易度の高い商品製造を目指す方が途上国における単純作業・長時間労働・低賃金から間逃れる戦略を選んだ。タイ国は国別経済ランクでは中間に位置するが多くの女性が従事する内職業は長時間労働・低賃金・社会保障外と経済的発展途上国と同じ条件が示唆されている。
2001年初期より日本の任意団体市民活動グループ「風知草の会」と日本NPO法人「ぷれいす東京」での市民活動団体による流通ルートに頼った販売が開始された。2001年後半タイ国内でチェンマイ大学での購買所でも販売された。
表2. ITEM PRICE.
ITEM. Price. (Bath.) $
NT 500-2000 15-60
SK 1000-3000 30-90
OP 1000-3000 30-90
小物 300-1000 10-30
鞄 500-2000 15-60

店舗
2001年期日本AIDS予防財団の助成によりチェンマイ市内に店舗をオープンした。備品補充においてタイ国内では使用率の少ない4本糸ロックミシンを購入した。ターゲット女性・主婦層の製品に対するクオリティーチェックは微に入り細に渡り巧緻を極める。裏側の裁断処理部分の処理仕様でクオリティーを決める。中国を除く他経済発展国の輸入品は3本糸ロックミシンが多く一目で購入対象外にされる。
また、店舗運営はうまく行ったとは言いがたい。この点について2003年度プロジェクト報告書に谷川氏はこう記載している。
前記載略
“店舗がチェンマイ市内に開設された時、店舗の運営には99'年当初に出会っているピムチャイのいとこが運営を率先して行った。彼女はこのコミュニティーの中で店舗運営に必要な書類作製(在庫管理、収支報告etc・・・)やコンピューターを使用することが出来る唯一の人間だった。日本側参加者は親族のみの支配的運営を回避したいためこちらから選出したタイ人女性を店舗運営に加わってもらった。しかし親族の支配的運営が原因で人間関係が上手くいかず2ヶ月で辞めてしまった。辞める時「この活動は、PWAや女性グループの為にあるのでしょう?なんで・・・・」という言葉を残している。店舗運営はいとこ女性一人のみの責任になってしまった。朝から深夜までの店舗運営時間に彼女自身も運営参加を拒否し始めた。疲れてしまったようだ・・・また辞める理由に金銭的事情もあったらしい。コミュニティーヘルスセンターから日本的ボランティア思想「無給」で働かされていた。全員により会議で討議した時は店の人件費については予算を取っていたにも関わらずセンターからの支払いはなかった。またメーリム村のセンターでは、(この視点では商品工場にあたる)母親が忙しくタイ国内を飛び回っているピムチャイに変わり実権を握るようになっていた。このことで一人のPHAが姿を消している。ピムチャイは店舗運営をメーリム村から車で30分の距離があるため管理を持て余してしまった。プロジェクトスタッフの提案でセンターに関わっている女性達から選出し、きちんと仕事として店舗の運営に関わってもらえるよう何度も討議したが、彼女はそれを拒否。今思えば「流通経路の中で金銭授受が発生する箇所においては肉親を配置したかった」ことが伺える。それもいとこの喪失で持ち駒を無くしてしまった。こんな経緯がありピムチャイは店舗運営に「やる気」をなくしていく。コンピューターが使えホームページが作製出来る理由でチェンマイ市内の専門学校に通っている専門学校生を店員に起用した。店舗が運営されて6ヶ月が過ぎていた。数ヶ月、店舗運営を経過観察していたが日本人スタッフが長期滞在し運営状況をはっきり把握できた期間が短かった。それが可能になったのは店舗運営開始から10ヶ月が経過していたが、プロジェクト店舗周辺の近隣他店従業員に店の運営について聞き取りをしたところ店舗の開店時間など一定していなかった。またこの専門学校生は毎日のように泊り込んでいるらしかった。店舗の休日と運営時間は全員の会議で決められており落胆と怒りに値するものだった。またコンピューターのログを確認したところアダルトサイトのホームページを製作している形跡があった。プロバイダーが4社もつながっており不審に思い確認したところ発覚した。センターは店の管理を全く拒否してしまった。店の契約が1年だった経緯がありちょうどその時期と重なり店舗の運営をいったんクローズさせて新たなシステムを確立してからと・・・・スタッフの意見がまとまった。”
後略
純利益使途
2001年~2002年期間中、日本で販売された商品の純利益をコミュニティーヘルスセンター代表ピムチャイ氏に約3ヶ月毎渡していたが2001年末期(2002年3月)会計報告ならび報告書は提出されなかった。
この時点で文章化し紙に印刷された報告書関係はこの施設において何も無いことが判明した。また女性参加者・地域住民への聞き取り調査を行ったが“コミュニティーヘルスセンターから提供されているサービスは何も無い”との回答が多数を占めた。
急遽の変更が求められ「現地女性による自立した運営」は遠のいていく。売上金はテディーベアプロジェクト事務局が管理し1商品70バーツ~150バーツで買取、残金を勉強会・薬剤提供に使用する形式に変更されている。

問題点
1.グルーピング
チェンマイ地域においてコミュニティーヘルスセンターはグリーピングは整っているが地域住民や縁故関係の無い参加者からは親族関係の集合であり活動意義が無いとの批判が続出している。またセンターのミシンを使い商品開発し卸店を見つけ活動していたメンバーに対し“設備使用代金”として売上げの50%近い金額をピムチャイ氏に請求されている。敷地の権利は村役場からの賃貸、工具などの備品は日本JICAからのミシンが8台、当プロジェクト援助物資4本糸ロック1台、PCミシン1台、スチームアイロン1台全部が公共性を前提にした援助であり私物化した運営である事が実証された。また敷地内に自分専用の10畳ほどの家を建て高価な電化製品を揃えている。その家と活動拠点のセンター縫製ルームをビデオカメラで結び縫製ルームの監視を行っている。このピムチャイ氏の異常な行為に対し、多くの女性HIV陽性者並び女性参加者は怒りを顕わにし新しいグループを作った。その新しいグループには親族も含まれている。現在コミュニティーヘルスセンターは住み込みのHIV陽性者1名と外部からのHIV陽性者1名の関わりしか見られない。
サルワン村のHIV陽性者グループはグルーピングは名義上だけであり活動意図や活動内容は定まっていない。
パヤオ県チェンカム郡のグループは2000年~2002年の期間参加していたのべ50名の人々は主要なリーダー候補5名程は都会に出稼ぎに行ってしまったらしく新たなグルーピングが求められている。この過疎地域の特殊性はHIV陽性者グループと名乗れない事にある。女性団体や政府援助組織との連携により女性グループ収入増進活動である必要があり、参加者への守秘義務の徹底・HIV陽性者への心理的偏見を除去するプログラムから導入しなければならない。

2.縫製技術のスキルビルディング
コミュニティーヘルスセンターはミシン操作が上級レベルであり縫製行程全てを理解している者は、新しいグループに移っていった。ピムチャイ氏は2000年から行った縫製技術移転には、ほとんど参加していない。彼女は場所代としてプロジェクトへ金銭請求をしており、プログラムの会期中センターにいても徹夜での仕事があると、寝ていたり部屋で過ごしている。2002年、センターに居住していた女性がテディーベアを商品にしてONE TANBON ONE PROJECTに応募し賞をもらった。この件に関してもピムチャイ氏は1から自分が教え計画したように大衆へ報告している。内部からの批判は高まるばかりだ。日本より援助されたミシン・アイロン・その他備品は泣いている。
一方新たなグループ、サラタイホームは技術レベルが高く縫製行程の配分も出来ておりタイ国内では高級店とされる店舗に商品を卸し、その腕前は証明されている。パヤオ県チェンカム村はメンバーの分散が確認されており新しい戦略が求められている。

3.デザイン・製図パターン・スキルビルディング
コミュニティーヘルスセンターは2の通り上級者はいなくなった。代表ピムチャイ氏はこの穴を埋めるため、近隣地域の女性グループに製造を配分し仕立てさせる行為をしている。この件に関しても他者からの指摘であり自分から説明および報告書は無い。2004年期300体程納入したテディーベアにはHIV陽性者が作った商品であると明記されているため購入者へのお詫びと訂正文「HIV陽性者グループと女性グループが作った」または「HIV陽性者が運営する…」とすぐに変更する事を要求する。
この行為は経済的に見れば「中卸」と解釈できるし、
高めの工賃を利用し安い工賃で仕上げさせることは市民活動から見れば「搾取」にあたる。構築的ネットワーク化とも言えるが、“表示偽称”・嘘を付くことはどの国でも悪い行為であり、悪名はチェンマイ市民にまで伝わっている。
サラタイホームは技術的に申し分の無い活動をしている。サルワン村は1.グルーピングから始めなければならない。パヤオ県チェンカム村は男女共に収入増進プログラムの導入を望む声が多い。

4.マーケティング構築
チェンマイ地区は積極的な活動が見られ良い方向性を示している。しかしパヤオ県は消極的であり、地域性だけの問題では無く、最初から「諦め」を前提とした他者依存が見られる。

5.利潤(純利益)の使用使途基準・管理
ピムチャイ氏の坑HIV薬を否定をする態度は現在でも変わっておらずセンターに関わるHIV陽性者の救出が必要。宗教にも似た思想は無言でも影響を受けざるをえない状況は今までのグループ分離や証言から明らかだ。管理は当分の間、当プロジェクトの管理下におき公平な情報提供、不足している情報提供を使途基準として行う。

今後の課題
1.グルーピング
2.縫製技術のスキルビルディング
3.デザイン・製図パターン・スキルビルディング
1.2.3ともメーリム郡サルワン村とパヤオ県チェンカム村には必要。緊急性および要望が高いパヤオ県は地域性と過疎地へ留まらざるを得ない状況を考慮した場合1番必要であろう。しかし困難は予想される。

4.マーケティング構築
商品流通過程でパーソナルコンピューターの導入がタイ国でも一般化されてきており、サラタイホームへのPC物資援助・その他地域へのPCプログラムルーティンが新たな項目として必要である。

5.利潤(純利益)の使用使途基準・管理
今回のアンケート調査において保険による治療の質の差異が見られた。今期中に予定されているアンケート調査において治療コスト・家計・保険の明確な数値を因子に加え分析することが望まれる。最も効果的な援助になりうる可能性を秘めている。

補足
JICAよりタイ国へ派遣されたと思われる宮本氏のWEB報告書の文中にピムチャイ氏に関わる文章があり引用させて頂く。
JICAタイ国エイズ予防・地域ケアネットワークプロジェクト3・宮本英樹氏 前文略
チェンマイ県メーリム郡ドンケオ村のピムチャイさんは夫をエイズで亡くした。彼女自身も既に感染していた。その後、彼女は1993年に両親宅を事務所として”Project for Community Health” を始めた。まず彼女は自分と同じ問題を抱えた感染者の家庭訪問を行った。当時、感染者は社会から疎外されており、健康上の問題に加え、経済上の問題をかかえていた。彼女は94-96年NAPAC (Northern Thailand-Australia Project for AIDS Control) から、また97-96年にはTERRRE DES HOMMES NETHERLANDS から財政支援を得て活動を行った。
95-96年、彼女の活動は主に感染者の支援に重点を置いていたが、97年以降エイズ問題を地域の問題のひとつと考え、活動を村全体の活動に統合するようになり、感染者のみならず、村の仕事のない女性、貧しい人々のために職業訓練や収入の道を切り開いてきた。また、彼女は村の委員会に相談し南タイの村人による貯蓄グループ活動を見学にいった。その後、村の委員会と彼女は地域開発部の役人を招き、計画を立て、1999年には貯蓄グループを設立した。現在その額は50万バーツに達し、ローンとしてメンバーに貸し出されている。 後略
Mrs. Pimjai Intamoon, who live in Tambon Don Kaew, Mae Rim district, Chiang Mai province, lost her husband due to AIDS. She was also infected by HIV then. Later on she initiated “ the Project for Community Health “ at the house of her parents as the temporary office. She started visiting people infected by HIV who have the same problem as hers. At the time PHA were left out of the society and had economical problem in addition to health issues. She then received financial support from NAPAC (Northern Thailand-Australia Project for AIDS Control) in 1994-96 and TERRRE DES HOMMES NETHERLANDS in 1997-99, and conducted the activity.
Although she had been basically concerned with the support for PHA until 1996, since 1997 she has thought AIDS issues as a part of several problems in the community and tried to integrate her activity into other activities conducted by community people. And then she has developed vocational skill trainings and income generation programs for not only PHA but also unemployed women and poor people in the community. Moreover she proposed her idea to the village committee regarding to the establishment of the savings group and took them to the study tour to observe successful saving groups in southern Thailand, which were managed by villagers themselves. Both the village committee and Mrs. Pimjai then invited the officer of the community development department to planed establishing saving group in their village and they eventually carried out it in 1999. The total amount of savings currently reached 500,000 bath which is utilized for the loan to the members.
このプロジェクトは4年目を迎える。貯蓄グループの話しはこの文章によりはじめて知った。2つ予測が出来る。1.テディーベアプロジェクトの関係者に話していない。2.宮本氏の得た情報はピムチャイ氏かその他支援者によって語られた「嘘」。
1999年12月より面識を持ち2000年5月から2年間はかなりの頻度で交流を持った。2000年5月時点でセンターに関わりを持つHIV陽性者は4名に過ぎなかった。そして度重なる小さないざこざの中でピムチャイ氏への不満は多数・多苦情になっていた。そして貸付を受けた者は存在していない。またこの情報を知っているものすらいない。本当であれば50万バーツはどこに消えたのか?それとも自分の存在意義を誇張した嘘なのか? 参加者の判断を聞きたい。

販売ルートの“うれしい”お知らせ
2001年から当プロジェクトのテディーベア・小物を通年を通して販売して頂いている、
任意団体「風知草の会」NPO法人「ぷれいす東京」
2団体の多大なる理解と協力の基、運営を続けてきました。また、多数のイベントにも参加しブースをつくり販売してきたこともご報告いたします。オーガナイザーの皆様、そして・池上氏・生島氏・原田氏・木島氏4名の方には大変感謝いたします。
2004年4月より新たな協力者を迎えます。当プロジェクト商品の日本での在庫管理・商品受注・商品発送を引き受けて頂く新しいネットワークが出来ました。
寺院を運営しながら、知的障碍者への活動をしているグループ名“シ埜扉”代表者:色摩真琴さんのご協力で実現しました。下記は活動詳細です。

1.団体名称.「シ埜扉」 シは[風思]
2.代表者名. 色摩玉江
3.設立経緯.平成15年6月精神碍害を抱えた人々が多面的に利用できる社会資源の一つとして有志グループによって発足。
4.運営内容.
A,やすらぎと仲間作りの援助
B,相談の場の提供
C,就労体験の場の提供
D,再入院防止のへの援助
E,具体的な就労体験の一つとして喫茶とリサイクルショップを運営
5.住所・電話・ファックス
〒359-1104
東京都所沢市榎町12-12
電話/Fax 04-2924-4059
色摩真琴
e-Mail rurikou@nifty.com

現在、精神障碍者小規模作業所の申請に取りかかっているそうです。

ご注文は下記にご連絡下さい。
担当者名.色摩真琴 「宝泉寺」
住所:埼玉県所沢市北岩岡
電話番号0429-43-2467
ファック番号0429-43-7260
e-mail. rurikou@nifty.com

当プロジェクトが作った商品を知的障碍者本人とケアワーカーの手により皆様にお届けできるのは非常に意義のあることでありこのプロジェクトの理念「弱い立場の人々と寄り添う」ことが実現化しました。作業料として1商品につき数パーセントをお支払いし(数字はこれからの話し合い)両者にとってより意義のある連携となることでしょう。

商品をご購入頂いた方・多くの助言者・協力者にあらためて感謝いたします。

プロジェクトディレクター: 帖佐 徹
事務局: 佐藤正喜

医療開発途上国におけるHIV陽性者を対象とした収入増進プログラムに関する調査。
「縫製分野」
Research on Income generation program in medical developing country of person with HIV/AIDS.
“Field:SEWING.” /Interim report.

A.要旨 世界動向とニーズ
HIV/AIDSは世界最重要問題でありGlobal AIDS結核マラリア基金(以下GFATMと略す)の動向は各国HIV陽性者の治療の質に大きな影響を与えている。“より多くの患者へ抗HIV薬を提供する”ことは“より多くの患者へ支持療法の質”を提供することを要求され各国政府の医療インフラクラチャーは平等な“質”の提供ができない情勢になっている。
アジア・太平洋地域ではタイ・ミャンマー・カンボジアはHIV陽性率が高く、中国・インドなど総人口数が多い地域は感染者率は低く見えるが感染者数だけを見ると非常に高い数値を示し数百万人規模の局部的流行が指摘されている。2003年よりGFATM.によるART治療が始まった。1番最初にART導入されたいくつかの国・タイではジェネリック薬の製造に成功しておりコスト減少が多数のHIV陽性者を抗HIV薬にアクセスすることが可能となった。多額な財政予算をHIV対策費にあてても保健インフラの未整備は解消されていない。木村氏ら(医療経済学的研究2003’)では途上国のART導入時の質と継続性の確立の必要条件を指摘している。
6項:
3.服薬行動向上と医療施設へのアクセス継続性を
維持する因子の解析
4.レジメや副作用管理、検査の見直し
5.社会保険整備
指摘する6項中3項においてタイでは、そのアクセス阻害因子は患者負担金の有無、レジメ・副作用管理・検査においても患者負担金の有無・コストポテンシャルが要求され、保険の未整備は患者負担金の有無による治療の質の差が躊躇に顕れており深刻な問題となっている。今後ART治療はインド・カンボジア・ベトナムなどHIV陽性者累積数値が高い地域の導入が予想されるが、総人口が多く、GDP比はタイより低い国々にとって、金銭問題はより深刻さを増すことは確実である。患者自身による治療費確保は絶対条件となり収入増進援助のニーズは確実に高まり緊急問題として扱われることは明確である。日本とタイ国における収入増進プログラム3事例とJICAが開発/研究した2事業1研究1論文から考察した。

国名 感染者率* GDI**指数**
タイ 1.0 0.59
インド 0.3 0.013
フィリピン 0.01 0.029
カンボジア 1.26 0.007
中国 0.06 0.026
日本 0.009 0.956

平均値 0.439±0.551 0.270±0.460
* 総人口における割合
** GDI=Gender Development Index.
女性出生時の平均余命/女性教育の達成度/女性平均所得
*** 1番高いアメリカの数値(35,060)を1とした指数

国名 累計感染者数 GDP指数*
タイ 670,000 0.012
インド 3,970,000 0.049
フィリピン 9,400 -----
カンボジア 170,000 -----
中国 850,000 0.118
日本 12,000 0.381
ラオス 1,400 0.00016
ベトナム 130,000 0.0033
中央アフリカ 250,000 0.00010
南アフリカ 5,000,000 0.010006

平均値1.10628e+06±1.81972e+06 / 0.07169±0.1312
* 一番高いアメリカの数値の(10,416,820)を1とした指数

数値Sorse. 国別人口・日本外務省発表数値/
感染者数・UNAIDS2001’/GNI・GDP・世界銀行2002’

B.目的
GFATMの使途目的は“より多くの患者へ抗HIV薬投与”に向かった。各国政府もこの流れに沿い薬剤供給予算を増額している。しかしながらタイでは、社会保険システムの不備は保健インフラの未整備に直接つながりART治療を阻害する因子として明確な差異を生み出し、患者自身による治療費の確保は絶対条件となることが実証された。
日本ODAにおける収入増進プログラムのWEBリサーチの結果MSN.jp:112件JICA:155件と圧倒的に縫製技術に関する、個人または団体支援が多数を占めた。他医療開発途上国においても援助の分野が縫製技術が一般的でありその理由をまとめる。
1.貧困層の起因は未熟な教育による専門分野の
欠落であり低コスト・短期間に習得可能。
2.縫製技術の応用範囲が広く自宅での内職から、
お直し専門業、自営ショップ運営、企業への就職
など自分の家庭/社会環境により選択が無数。
3.縫製という援助項目には女性参加が大多数を占
める傾向があり、ジェンダー役割分業の欠点を
1.2.の利点がカバーし最大限に能力が生かせる。
当プロジェクトが運営してきた理念は「日本のWIDイニシアティブ」が重要分野とする“教育”“健康”“経済/社会活動”・3分野に偶然、関与していた。
今後、医療開発途上国においてHIV陽性者の支援ニーズが高まる中、特に「女性」が抱えるジェンダーバイアスとスティグマとの関係を明確にし、新しいエデュケートを模索した当プロジェクトの活動を中間評価から見えた反省点、問題点を報告し今後、各国で活動するODA・NGOの方々がHIV陽性者支援プロトコルとして考察することを目的にする。
外務省「国別援助計画」策定済み:バングラディッシュ・タイ・ベトナム・エジプト・ガーナ・タンザニア・フィリピン・ケニア・ペルー・中国・マレーシア・カンボディア・チェニジア・ザンビア・ニカラグア
策定予定国:スリランカ・モンゴル・インド・インドネシア・セネガル・パキスタン・ラオス・カザフスタン・グアテマラ/2002.現在

方法
日本における自助活動2モデル、日本-タイ間で行われた当プロジェクト1モデル、その他JICAの案件1モデル、草の根案件1モデル合計5サンプルモデルを引用しながら下記9項目を比較していく。
その結果から
* 環境・女性課 第二分野別ジェンダー・WID研究会2002′) 1論文を通し考察し
* 開発課題に対する効果的アプローチ(HIV/AIDS対策項のみ)2002′) 1研究を結論に用いる。
9項目:1.対象者の選定 2.運営目的
3.援助に関する項目 4.グループワーク人数
5.縫製技術達成度設定 6.縫製技術レベル区分 7.期間設定 8.技法
9.販売ルート

サンプルモデル5
NO.事業名. 事業内容
#1 日本HIV自助グループ 日本HIV陽性者とそのパートナーによるテディベア製作、クラブでの販売。予防啓発活動。
#2 日本HIV自助グループ
“RED NOT” 日本HIV陽性者の他品目製作。
企業・個人援助者との連携企画・製作・販売。
#3 TEDDY BEAR PROJECT. 日-タイ間による開発パートナー事業・ノンフォーマル教育・
市場開拓など
#4 第2次婦人職業訓練所機材整備計画 フィリピンへ無償資金協力・
職業訓練
#5 タイタ族「ピリカニ女性のたちの会」・洋裁による生活改善活動の支援 女性への縫製技術習得による
経済自立・資格取得

1-1対象者の選定
a.ターゲットの絞込み
#1.は任意団体エイズケアプロジェクトの事務所で行われた。参加者は、HIV陽性者・GAY男性。ダブルピアが見られる。
#2.NPO法人ぷれいす東京が運営するネストとアトリエミリミリ2ヶ所で行った。HIV陽性者・GAY男性。ダブルピアが見られる。
#3.HIV陽性者・女性・母親・トリプルピア
#4.ピアは1つのみ
#5.女性・タイタ族・ダブルピアが見られた。

b.ピアの重要性
#1.オーガナイザー・団体代表共ダブルピアが見られる。
#2.団体代表とのピアは見受けられない。オーガナイザーとは HIV陽性者・GAY男性。ダブルピアが見られる。
#3.デレクターとピア化無し。エデュケーターとはダブルピア化HIV陽性者・女性
#4.不明
#5.不明
* #4.#5.の企画者の基本属性/グループが、記載が無い。または大学生と抽象的。#4.は公共性が高く、その方向性は定まっていない。#5.は大学生など若年層に見られるボランティア敬愛思想になる可能性が高い。

c.プライバシー配慮
#1.有り
#2.有り
#3.国内有り・国外無し
#4.無し
#5.無し

1-2運営目的。
#1.HIV陽性者の短期イベント収入増進活動。同時にクラブでのコンドーム配布/募金活動をした。

#2.HIV陽性者による自助グループ活動。目的は
1.福祉施設に類似した福祉系集団化発展を望む
2.完全なる企業家を目指し会社設立まで視野に入れた経済型2意見が共存しながらの運営。収入増進活動をしながら運営組織の増強を望む。

#3.ディレクターは会社運営を視野に入れた保険導入組織化を望み、エデュケーターは市民活動の延長線における発展系の財団化を望む。参加者の大半は生活費・養育費・治療代の工面。全員の一致は継続した組織作り。

#4.対象女性所得1,200$。貧困率30%減・失業率10%を政府が示唆。女性の社会参加。

#5.施設と機材の物資援助。縫製士免許取得。教育後収入増進活動として2販売物の決定。

1-3援助に関する項目。
a.グルーピング
#1.必要なし
#2.必要なし
#3.ターゲットコミュニティー2グループに対して必要。
#4.記載なし。
#5.人数のみ記載有り。会員女性40名家族300名(どのように運営管理していくのだろうか?)

b.縫製技術のスキルビルディング
#1.短期だったので役割分担で解消。必要なし。
#2.必要だった。
#3.必要。#1.2.の経験からAIC.ZOPP.TEAM Up. SARAR.など技法を取り入れた参加型に終始した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

c.デザイン・製図パターン・スキルビルディング
#1.1名の者が専属で行った。
#2.DO FAMILYのデザイナーとの共同制作だった。
#3. 必要。#1.2.の経験からAIC.ZOPP.TEAM Up. SARAR.など技法を取り入れた参加型に終始した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

d.マーケティング構築
#1.短期間の売り切りだったので必要なかった。
#2.有り。失敗し関係者に迷惑をかけた。
#3. 必要。#1.2.の経験からAIC.ZOPP.TEAM Up. SARAR.など技法を取り入れた参加型に終始した。
#4.記載無し。
#5.アイテム“制服”だけ記載有り。

e.利潤(純利益)の使用使途基準・管理
#1.売上げを参加者に当分した。

#2.アトリエミリミリの仕事においては数種類のアイテムを請け負った。縫製のみの工賃の場合もあれば、デザインからパターン・縫製まで請け負う仕事もあった。作った数に比例した分配を行った。ボディーショップから協力頂いたAIDSデーの期間販売は一個数パーセントの利潤を参加者に分け、余りの純利益は専従で働いた2名の期間給とし、残金約50万は全員の話し合いの結果、HIV陽性者の雇用を促進する小企業を立ち上げる計画を志していた1名のHIV陽性者に託し残金ゼロの年度末報告を終えた。

#3.商品の純利益をコミュニティーヘルスセンター代表MS.ピムチャイ氏に渡していたが不明瞭な会計報告が目立ち1商品につき70バーツ~150バーツを商品受け取りの時に全員(なるべく)の前で渡し残金の純利益は勉強会などにあてている。

#4.技術提供のみ。
#5.記載無し。

1-4グループワーク人数。
#1.6~10名の変動があった。
#2.8~15名の変動があった。
#3.グループワークの基本値18名にこだわり9×2. 6×3. 2×9と多様な技法・ゲームに対応することを選んだ。
#4.記載なし。
#5.40名300名の記載のみ。

1-5縫製技術達成度設定。
a.小物工芸製作(パターン・ポケットジッパーの技術取得・コバステッチ「縫製最終工程まで」)
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

b.ブラウス製作
(デザイン・パターン・縫製技術の実践)
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

c.スカート・またはパンツ製作(デザイン・パターン・片/両斑ポケット・前たてジッパー技術習得)までにし3段階とした。
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

1-6縫製技術レベル区分。
a.縫製経験者A パターンからの裁断、芯張り、パーツの縫いつけ・縫製行程を熟知し、直線および曲線の0.1ミリコバステッチが出来る者。
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

b.縫製経験者B 縫製行程の認知が無い。直線・曲線の平縫いが出来る。
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

c.縫製未経験者
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。
#4.記載無し。
#5.記載無し。

1-7期間設定。
#1.3ヶ月
#2.およそ1年6ヶ月
#3.3年~5年
#4.3年
#5.2年3ヶ月

1-8技法。
#1.仕事対応に追われ計画していなかった。
#2.仕事対応に追われ計画していなかった。
#3.#1.2の反省を踏まえルーティン化した。多様な参加型技法を用いた。
#4.5つの訓練コースが改良される。
#5.記載無し。

2-1販売ルート。
#1.1パーティーのクラブイベント限定販売。
#2.多数に及んだ。自由が丘のセレクトショップ・東京圏NPO・六本木のセレクトショップ・ボディーショップ全国展開。
#3.ぷれいす東京・風知草の会。
#4.技術提供のみ。
#5.記載無し。

サンプルモデル5
NO.事業名. 事業内容
#1 日本HIV自助グループ 日本HIV陽性者とそのパートナーによるテディベア製作、クラブでの販売。予防啓発活動。
#2 日本HIV自助グループ
“RED NOT” 日本HIV陽性者の他品目製作。
企業・個人援助者との連携企画・製作・販売。
#3 TEDDY BEAR PROJECT. 日-タイ間による開発パートナー事業・ノンフォーマル教育・
市場開拓など
#1.2.3.をまとめHIV群と総称す。
#4 第2次婦人職業訓練所機材整備計画 フィリピンへ無償資金協力・
職業訓練
#5 タイタ族「ピリカニ女性のたちの会」・洋裁による生活改善活動の支援 女性への縫製技術習得による
経済自立・資格取得
#4.5.をまとめ女性群と総称す。

D.結果
対象者の選定。
HIV群においてダブルピア化以上の結びつきがすべてにおいて確認された。#4.は公共性が高いことが女性という一枠だけのピア化されない状況をつくった。#5.においてMDGs(ミレニアム開発。主にジェンダー平等・エンパワー)の存在意義が認められたが援助提供者側のピア性がまったく考慮されていなく援助動機の勘違いからおこる立案・実施・評価の誤差が予測される。

運営目的。
#2.3.HIV陽性者支援での立案段階での未定がある一方、#4.5.は定まっている。しかし#5の立案は具現化されたイメージは無く企画が甘い。

援助に関する項目。
#4.の縫製技術とデザイン・パターン・マーチャンダイザーなど教育ルーティンと教育範囲が提示されていない。技術だけの提供であるのであればその良し悪しをカリキュラムで判断するしかない。抜かしてしまった事は、サービス受益者、女性、生徒からの評価意識が無い。また卒業後の就職率が記載されている。
“66ヶ所の婦人職業訓練所の訓練生の平均就職率は80.2%と高い水準を示している。今回インタビュー調査を実施した62名の研究生のうち96%が就職しており、そのうちの65%が繊維などの工場で勤務、19%が社会福祉事業所の「自営業支援プログラム」を活用した自営業を営み、11%が繊維工場の下請け制度を活用した在宅業務を行っている。”
何故マテリアル会社で仕事するのか?生地屋ですか・・・何を勉強させられたのでしょう。

グループワーク人数。
HIV群での効率の配慮が見られた。

縫製技術達成度設定。
HIV群でのニーズ対応の配慮が見られた。

縫製技術レベル区分。
HIV陽性者群での効率の配慮が見られた。

期間設定。
#5.の立案と予算・期間は無理な設定だと思われる。

技法。
HIV陽性者群でのニーズ対応の配慮が見られた。

純利益使途・管理。
女性支援の具現化された時の詳しい設定が無い。
参加者の一番心理的感情において作用する項目である。

E.考察
環境・女性課
第二次分野別ジェンダー・WID 研究会 第4回研究会資料「これまでのODA のレビューと課題」から

* 途上国において依然として約13億人と言われる人々は貧困状態にあり、そのうち70%が女性であることが報告されている。このような状況を改善し人間中心の開発を進めていくためにはジェンダー平等の達成が不可欠との認識に基づき、ジェンダーの平等と女性のエンパワーメントの達成は国際社会が協調して取り組む課題となっている。
* 日本のWID の重点分野を教育、健康、経済・社会活動への参加の3分野に絞っている。このように、同イニシアティヴはすべての分野の協力におけるジェンダー主流化を促進するという内容にはなっていない。
* ODA におけるジェンダー・WID 分野の取り組みについての省庁間の連携及び調整に関する役割については、外務省、内閣府男女共同参画局及び他省庁の関係や機能、役割分担など全体像がわかりにくい。ついては、委員の方々に助言を頂きたい。
* JICA の「国別事業実施計画」においては、「ジェンダー・WID」を留意点ではなく、全てのJICA 事業に反映されるべく、「第1章当該国における開発の方向性」の「2.JICA の協力の基本的な考え方」に記述する。
* (1)JICA のジェンダー主流化・WID の基本方針
JICA のジェンダー主流化・WID の取り組みの基本方針については、課題別指針「ジェンダー主流化・WID」の中で、次のように述べられている。「JICA は事業を企画・実施するにあたり、全ての人々が人権を保障され、幸福な生活を享受できることを目指す。そのためにもジェンダー格差を生み出す社会・経済構造、制度や政策を見直すこと、女性のエンパワーメントを促進し、意思決定を含む全ての開発過程への女性の参画を促進することを通して、ジェンダー平等の推進に取り組むこととする。同時に、協力事業にこうしたジェンダーの視点を確保することは、事業の効果を高めることにつながる。協力を進めるにあたって、社会の中で見えにくくされている女性の生活状況や性別役割分業によって生じる男女のニーズの違いを正しく理解し対応することによって、より効果的・効率的な協力を行うことができる」。
(2)ジェンダーに対する理解の促進
以上のような基本方針が課題別指針で述べられているが、ジェンダー及びジェンダーに関連した概念が抽象的で分かりにくいという意見も他方で存在する。例えば、ジェンダー主流化、WID、GAD、ジェンダー平等、実践的・戦略的ジェンダー・ニーズなどの専門的な用語自体の意味と、その用語が示す各アプローチは、容易に理解されにくい側面がある。また、ジェンダーという横断的課題を全ての協力事業に導入することに対する抵抗感を覚える人々も存在する。このため、ジェンダーの視点を導入することによるメリットも強調する必要がある。すなわち、ジェンダーを主流化することによって、開発援助の効果が上がるという点を明確に示すことである。しかし、その反面、開発の効果だけを強調しても、抵抗感が強い人々のジェンダーについての根本的な理解が十分深まらない、という課題は残る。理解を段階的に進めていくことは戦略として有効であるが、最終的には基本的な部分でジェンダーの理解を深める試みを、開発援助に携わるパートナー全てに継続的に行わないことには、開発援助におけるジェンダー主流化は達成されない。
(3)JICA のジェンダー主流化アプローチの確立
(1)に示されたようなJICA としての基本的な方針を踏まえ、国毎の宗教、社会、経済発展段階等の差異を考慮したジェンダー主流化のアプローチを示す必要がある。この時、JICAのジェンダー主流化のアプローチは、他のドナーのアプローチを効果的に取り入れるべく、それらとの整合性を含め、検討すべき課題である。他の援助機関では現在rights-based approach5をとっている機関(例:UNDP, UNICEF)もある。このアプローチでは全ての事業へのジェンダー主流化を前提としているため、例えば女性に特化したプロジェクトや、WID 案件・ジェンダー案件の区別等が行われない。その代わり、民族や地域間の格差 (disparity)縮小についても重視している。人権を基礎とした(rights-based)活動では、どこに格差があるか、誰が最も脆弱な立場(most vulnerable)にいるのかを見ていくことが課題となっている。ジェンダー別、民族別の統計についても、かつては国としての平均値が上がればよかったが、現在はジェンダー間、地域間、民族間の格差がどこにあるのか、その格差をどのように縮めるのかということが重要となっている。さらにジェンダーを社会配慮の一部として扱っている援助機関もある(例:JBIC)。これはジェンダーに特化するよりも、社会配慮の一部として事業に取り組んでいく方が、全案件においてジェンダー配慮が検討されることにつながり、ジェンダー主流化が達成されるという意図による。
以上抜粋いたしました。

F.結論

アパレル業界現代史(簡略)・参考資料
日本から見た世界。
1990年
1990年に入ると円高革命が襲う。その上、我が国全体が急速に老齢化時代を迎えていく中で、若い人のこないまま、縫製工場の従業員の平均年齢はどんどん上昇して、さらに労働時間短縮を控えて、縫製業界は「三難」に加えて、「円高苦」「高齢化苦」「時短苦」の三苦を負うことになった。欧米のアパレルメーカーはその有名ブランドをバブルに沸く日本に輸出して、インポートブームとなった。イタリアのアルマーニを始めとして、グッチ、ヴェルサーチ、など、アメリカのラルフ・ローレン、カルバン・クライン、ダナ・キャランなど、フランスのシャネル、ルイ・ヴィトン、ディオールなどを筆頭にあらゆるブランドが日本に上陸した。一方、アジア各国からの縫製品も洪水的輸入となり、国内縫製を圧迫した。縫製の生産は賃金の安い中国やベトナムに移され、国内工場の転廃業が目立つようになった。
2000年
DCブランドの後、インポートものが市場をカバーしていたが、2000年のバブル崩壊でブランド離れ、高額離れに見舞われた。市場に価格破壊が吹き荒れた。これまで天然繊維は感触のよさ、合成繊維は機能性の高さが特徴とされたが、新合繊は機能性に加えて、天然繊維とは異なった風合いと質感を備えて、感性という消費者ニーズに応えたものとされ、平成3年から婦人衣料分野でブームを起こした。この頃、天然繊維も社会的要求である生分解性に優れ、製造過程でも無公害のテンセルが、ポリエステル並の強度と寸法安定性、そして感性に訴える繊維として登場した。さらに純綿のワイシャツ用生地では、型崩れしにくい形態安定加工のシャツがブームとなり、本年の販売額でも、スーパーで全体の5割強、百貨店でも2割近くを占めていると報じられた。日清紡の技術顧問として、形態安定シャツの縫製指導に当たらせて頂き、発展の経緯を直かに知る機会を持った。 欧米では衰退対策がQR(クィック。レスポンス)に求められる。QRはアメリカで1985年ノーマン・ハイナーフェルドにより提唱され、欧米に広がっており、QR実現のハイテクの研究開発がAMTEC(米国繊維産学官連携)により進められている。新繊維産業ビジョンにもQRが盛り込まれている。アパレル製品の市場攪乱的輸入急増などにより国内生産の激減並びに加工賃の大幅ダウン及び受注対応や価格面で過当競争が発生するなど、国内アパレル縫製企業の経営は大きく圧迫され、70%を超える工場が水面下の経営を余儀なくされ、転廃業が顕在化している。
Millennium 2001′
顧客、市場、社会の変化は、繊維・アパレル業界に影響をもたらし、21世紀に向け、応戦の戦略が求められている。 そこで、量産でない個産をハイテクにより実施するということは、売り切りのオーダーメードをハイテクにより行うという生産革命であり、目指すのはQRの実現である。オーダーはパリやミラノで考えているようにインターネットで世界中から受ける。イブ・サンローランのようにハイテクを使い、オーダーをCAD/CAMでこなす。マスコミから口コミへといわれたが、今後はインターネットによる「電コミ」へ移行し、双方向通信はこれまでの「血縁」「地縁」「職縁」社会からグローバルな「電縁社会」を成立させて、小企業であってもQC(品質管理)とQR(クィック・レスポンス)を備えるなら世界的な消費者直結を実現できる。企業主催のトレードショーやファッションショーに莫大な宣伝費をかけてもなかなか人が集まらない現状では、世界中でインターネットにより「電コミ」が何百万人の規模で集まるという社会は驚きである。この流れの中、米アパレル業界では、大手衣料のリーバイ・ストラウスと、有力ジーンズメーカーのリー・アパレルが、情報端末を駆使した顧客対応でしのぎを削っている。リーバイ・ストラウスは店頭のパソコンで特注ジーンズを受注、2週間で生産・直納する方法を進めているのに対して、リーは体にフィットする商品をより簡単に選べる大型双方向端末を開発、主要二百店への導入を始めた。「カスタマイゼーション」という「個産」への胎動である。パリのイブ・サンローランはインターネットでファッション情報を流し始めた。
ユニフォーム
ファッションの定義に矛盾なく存在するのは、字義通りのユニフォームである。学校では学生服、職場では制服、スポーツではユニフォームと使い分けられる。当然、生地、色柄、スタイルが統一され、それこそファッションである。このファッションの権化ともいえるユニフォームが危機だという。まず学校服については、学生が着たがらず、男子学生服定番の”紺や黒のサージ、スタンドカラーに金ボタン”は昔の一風俗として遠ざかり、デザイナー学生服もヒットにはほど遠い。そして、企業の制服はどうだろうか。制服の大手製造企業は、男女雇用均等法の強化により、女性用制服の押しつけが男女均等を破る恐れのために、制服を廃止して、私服化する動きが出ているのに頭を悩ませているようである。制服の廃止は、その企業にとって、雇用均等法に違反する恐れをなくなすと共に、制服にかかる会社の経費も節約できることになり、厳しい経営環境の中、制服廃止の気運が高まっている。私服化されたアパレル需要はカジュアルウエアの需要へとシフトするだろうとされる。
アパレルテクニカルテキスト
繊維・テキスタイル資材において欧米と伍して世界一流と認められ、アパレルマシンにおいても世界シェアの一位の地位にある。21世紀に向かって、アパレル産業が明るい展望を持って生き残るためには、アパレル産業を取り巻く業界全体がアパレル産業の専門知識を研修し、アパレル産業関連業界がもつ世界一流の創造性、高品質、技術力を認識し、理解して事に当たることが不可欠であると思考される。単に従来の縫製の手法を知ってこれにとらわれるというのではなく、如何にこれを乗り越えるかが創生の道となるということである。既にこの道は具体的に我が国のデザイナーにより世界的に示され、高く評価され、大きな成功を収めている。それにも関わらず、縫製業界はこのような輝かしい世界とは無縁な従来の縫製に閉じこめられて、苦難の世界に喘いでおり、創造の余地すらなくしている。21世紀のアパレル生産は産業として生き生きした共生と創生により再生することが望まれるが、このためにはアパレル生産は従来の縫製手法を乗り越えなければならない。
縫製の一般手順
縫製の物作りは、手縫い裁縫仕事から工業生産としての物作りヘと移行してきている。そして、21世紀には工業生産を乗り越えてゆくことが迫られている。現状のアパレル業界では商品企画、デザイン、パターンメーキング、生産手配、生産計画などはアパレル卸業(卸は商業卸と製造卸とがあり、前者は製品仕入、後者は製造卸でアパレルメーカーといわれる)の業務として進められ、縫製工場はアパレルメーカーからの縫製委託加工の発注により縫製作業だけを担当する形となっている。アパレル生産のすべてという内容では、アパレルメーカーの生産業務範囲についても触れることが必要となる。
アパレルメーカーの生産業務は、概要次のような種類に分けられる。
1)生産統括:経営計画として年間生産計画の立案、生産発注の統括、生産進捗監理、入荷コントロールなどの生産統括業務
2)商品企画:担当ブランドの企画方針を決定し、商品化の細部を固め、サンプル作成を手配する。本番生産に向け、検討を行い、企画を練り上げる。
3)デザイン:商品企画に基づき、担当ブランドの素材、色を決め、スタイルを設計し、デザイン画を作る。アパレルデザインのプロセスとしては、例えば次のようになる。
①調査段階…デザインの前提となる様々な制約や条件をクリアにしておく。
②アイデア段階…アイデアを探索し、デザイン・イメージを構成し、与件と照合しながら、構想をまとめていく。
③デザイン段階…デザイン・コンセプトを決定し、デザイン画を制作する。
4)サンプルパターンメーキング:デザイン画によりパターンメーキングを行い、これをサンプル作成に回す。
5)サンプル作成:見本検討用のサンプル作りを行う。
6)仕様作成:デザインを評価・検討し、試作品のテスト、デザインの修正を経て、工業パターン、グレーディング、マーキング、仕様を決定する。 以上のプロセスを経て、縫製工場で縫製加工が行われる。
ポイント
アパレルのデザインの業務と、デザインの意味について触れる。アパレル生産が既存縫製を乗り越えるにはデザインのクリエーションが基本となる。デザインの意味は計画と設計とされるが、語源的には「デ・サイン」であり、「しるしや兆しのない」という意味である。これは既存のものに制約されない、従来のものを乗り越えるという捉え方もできる。
アパレルデザインでのタブー挑戦
性差無視では、約90年前にシャネルはそれまで男物にしか使われなかったジャージーで婦人服を作った。1920年代にはユニセックスとしてギャルソン・ルック、60年代にはTシャツとジーンズに代表されるユニセックス、そして70年代のキャリアウーマン・ルックなどは女性の服に男性の服を取り入れるという現象であり、服のユニセックスが定着してきた。ジャン・ポール・ゴルチェはこれを「オム・オブジェ」とテーマづけた。
パターンメーキングの知識
アパレルデザインによりデザイン画ができあがると、これによりパターンメーキングが行われ、実際に制作するための設計図となる。縫製工場からは”縫えるパターン”に対する要望もある。ここではパターンメーキングについて説明する。
①体型の標準を決定する。
②その標準体型より、身頃、パンツ、スカート、袖などの原型(スローパー)を作る。
③立体裁断、及び原型により、デザインを展開してパターン化する。
④付属する衿、裏地、芯地、等のすべてのパターンを作る。
⑤工場での縫製について必要とするすべての情報を記入し、添付する。以上のすべての作業をパターンメーキングという。
平面製図法
日本での製図法は平面製図法であった。イタリアのセコリの製図法も平面製図に属するものである。
ドレーピング(立体裁断)と平面製図法の違いは、その考え方にある。例えば、人台上に布を乗せてドレーピングしたとしても、その考え方が平面的で布目の方向や流れ、または身体の動き等を考慮して作らなければ出来上がるものは平面的なものでしかない。それに対し、机上で原型を使って、一見平面的な操作でパターンを作っても、3次元的(タテ、ヨコ、高さ、ある場合は斜め)に、その物を縫い上げて実際に着用した時のことを考えながらバターン操作をしたのであれば、出来上がる物は立体的要素を含んだ物になる。要するに人台上でドレーピングをするから立体で、机上で製図をするから平面というのではなく、どちらの方法を使ってもその考え方次第で平面的なものにも、立体的なものにもなる。
生地特性の評価法について
生地特性を計測するのに、毛織物を主対象とする風合い計測のKES(川端式生地特性評価システム)の方法やIWSのFAST(簡便織物物性評価システム)の方法がある。また日本バイリーンのAPDS(アパレルプロダクションデータシステム)はレディスのジャケット、コートの素材に対してKESデータ(曲げ・せん断・引っ張り、厚み、目付の計測)によりパターン修正に資し、いせ量、ダレ量などを示し、縫製工程での問題点と解決策を提案するものとしている。
工業デザイン
手作りや手縫いの一品制作ではなく、エンジニアリング(工学)に基づき作成されるデザインのことをいう。手加工的デザインとは異なり、工業生産を行うことを前提としたデザインのことで、機能性や感性を満たし、かっ生産性を高めるようにデザインを行うもので、特に最近はコンピュータなどのハイテクを導入してデザインを行うようになっている。
アパレルCADとは
CAD(Computer Aided Design)とはコンピュータ支援による設計という意味で、コンピュータのもつ高速計算能力が設計の計算に利用されていたが、高速処理、正確さ、記憶できることなどの特徴が設計に向いているところから設計業務に広く利用されるようになり、さらにデータ通信ができるようになってネットワークとしてシステム化されるようになった。
パターンメーキングはパターンの形状を二次元座標で表現することからデータ量が多く、また、パターン作成手順やグレーディングルールなどを記憶させておく点で、コンピュータの性能を発揮させるのによく向いている。アパレルデザインの描画作業やパターンメーキングにコンピュータを利用するのがアパレルCADである。アパレルCADについて最近の説明を簡単に述べると、次のようになる。
商品試験(品質判定試験)
1.収縮―洗濯機 12.堅牢度―昇華 23.目寄れ 2.収縮―手洗い 13.堅牢度―水道水24.パイル保持 3.収縮―ドライ 14.繊維鑑別 25.吸水性4.収縮―浸漬法 15.混用率 26.揚水性5.堅牢度―日光 16.ホルマリン 27.揉み試験6.堅牢度―洗濯 17.ピリング 28.プリーツ7.堅牢度―汗(水) 18.強度―引張り 29.ウォータースポット
CAM(コンピュータ支援製造)について
製造の自動化のために数値制御工作機械が出現した。数値制御(NC)工作磯城の制御用テープ(自動運転用)は、設計図を見ながら人間がAPTなどのプログラミング言語を用いてプログラムし、これをコンピュータに実行させて作成していた。だがCADによってコンピュータ内に設計図のデータが生成され、記憶されているのならば、これを利用して制御用テープ作成ができるわけで、テープ作成のため改めて人間がプログラミングを行う必要はなくなる。この方法が成功すると、これはCADがもっぱら設計のものであるのに対し、NCテープの作成は現場の加工作業のためのものであるということで、CAMという言葉が現れた。そしてCADとCAMは別々のものでなく、一貫したものであるという見方に立ってCAD/CAMと二語を連接させて用いる場合が多く、その後CAD/CAMのCAMの部分は急速に拡大し、今日ではNCテープ作成だけでなく、CADの結果を利用した治工具図面の作成、成形素材図の作成、工程の設計なども行うようになってきた。アパレル生産でも、アタッチメントはCADによりマーキングが行われると、裁断用マーキングにより裁断CAMに連結できるようになり、統合システムへと向かうことになった。
縫製法・ステッチとミシン
1)ステッチ分類と ミシン機種 ステッチ分類 ミシン機種系 100番系 単糸環縫いミシン200 ハンドステッチミシン300 本縫いミシン400 二重環縫いミシン500 オーバロックミシン600 扁平縫いミシン
ミシンの最新機能動 ①電子(ミシンのマイクロコンピュータ制御)化 ②DD(サーボモーター内臓のダイレクト・ドライブ)化 ③ドライ(ミシン頭部無給油による油汚れ防止)化
ジーンズではリベットが使用された。ホッチキスなどの使用も考えられるだろう。
布裁断端の始末法
紙や不織布などでは裁断し放しでも差し支えないが、布の場合には裁断すると、その裁断端から織り生地ではほつれ、ニット生地ではほどける。裁断端のほつれやほどけを防ぐための処理が必要となり、これを縫い代の始末という。(ジーンズの着こなしではわざと生地を切ってほつれをかまわず着ている場合もないわけではない。)
(1)縫かがり法(縁縫いくるみ処理)
縫い糸により裁断端を縫いくるむようにするのが縁かがりである。ステッチではオーバロック系(サージングまたは捨てロックなどという)と千鳥縫い系の縁かがりがある。
まとめ作業
作業裁断された布地ピースから部品作り、組み立て縫製を経て衣服形態が完成品に近づくにつれて、ミシンでは縫えない部位が出てくるものは、手縫いによって処理される。これをまとめという。このまとめ作業について説明する。
背広服上衣におけるまとめの主なものをあげると、次のようである。
前身頃端星まつり、見返し奥星まつり、上衿まつり、裏衿奥まつり、袖裏まつり(袖口、アームホール)、ベンツ裏まつり、肩裏まつり、背裾奥まつり、前裏奥まつり、ボタン付け、カン止め、スナッブ付け、背裏鎖止め、明きみせからげ、裾十字止めなど。
星まつりとは縫い代が浮きあがらないように、また縫糸は布地表面に星のようにわずかに露出することを特徴とする手縫いステッチによって、縫い代を身ごろ地に止める手法である。
検査の手順
(1)検査基準の決定
1)管理(検査)特性の決め方 検査特性は品質を代表する特性か 真の特性と代用特性(例) 洗濯による織物の収縮→収縮率試験(D法)による特性値 防しわ性→針金法 →モンサント法 代用特性は真の特性との間に相関が高いことが必要条件となる。
2)規格値の決め方(合格判定値)代用特性との関連
フォルムアルデヒドの規準値(上限)はなぜ75ppmか
収縮率の規格値はなぜ2%以内か
混用率の表示はなぜ±3%か
規格値適合品は本当によいか、規格値を越えたら(不適合品)本当に不具合を生じるか等を確認する必要がある。
ロットの評価
(規格値または合格判定値と比較・合格判定個数cと比較判定)
ロットの合否判定にはいろいろな方法が採られているが、その種類と問題点は次の通りである。
計数的評価規格と比較して良品(適合品)、不良品(不適合品)、合格判定個数cと比較してロットの合否を決定する。または不良率pで評価する。
計量的評価
n=1の場合(測定個所は複数)
提検ロット → n=1 → 測定(複数) → 平均値 → 平均値と規格値と比較 → 合否判定
nが複数の場合
提検ロット → n個のサンプル → 測定 → 平均値 → 平均値と合格判定値と比較 → 合否判定
(3) 抜き取り検査の問題点
1)抜き取り検査に対する理解が余りない(全数検査は見落としによる検出力低下の怖れがある)
2)n=1の方式は、サンプリング誤差を無視することを前提とするか、またはロットの品質を推定するという概念がない。
デザイン
デザインをするのに、既存の商品が参考になる。多くの場合、これを真似ることになるが、その真似の対象は3種ある。デザインのソースは一つは国内の現在デザインであり、もう一つは海外のデザインであり、そして3つ目に過去のデザインがある。デザインのコピーは一番手軽なデザインの方法であるが、パクリであり、国内、海外とも著作権の侵害となる。コピーのあくどいビジネスはデザインとともにブランドまで似せて購入者を欺く偽ブランドビジネスとしてこの方は犯罪対象となる。しかし、ブランドは自分のもので、デザインは過去の蓄積の中からコピーするのは、著作権がないので、問題はない。大多数のデザインはこれに属する。つまり、クラシック回帰のトレンドというのも、この流れであろう。
デザインとは、生活に必要な製品を製作するにあたり、その材質・機能・技術および美的造形性などの諸要素と、生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画だという。デザインは既存の印がないこと、すなわち創造して意匠や計画を進めることであり、今までにないもののデザインを意味する。アパレルデザインでは一番手軽な方法は、過去蓄積のコピーであるが、それが身に付くと、創造性のないコピー根性を生む。創造性のある服、人をわくわくさせる服は生まれない。少数のアパレルデザイナーは「デ・ザイン」として世界的に創造を競う。
お年寄りや体の不自由な人でも、サイズや体形などを気にせずに手軽におしゃれを楽しめるファッションを提供しようと、「ユニバーサルファッション」産業の振興に向けた調査報告書をまとめた。具体的には、高齢者や体の不自由な人向けの専用衣類を提供するのではなく、いろいろな体形やサイズに対応する商品をそろえることを求めている。さらに、肌が弱い人向けには、保湿効果がある素材を十分に活用した衣服の開発などを具体的に挙げた。店舗内の段差をなくすなどの「バリアフリー化」を進め、高齢者や体の不自由な人をモデルにしたファッションショーを積極的に開くことも提言している。ユニバーサルファッションの定義については、「年齢やサイズ、体形、障害等に関係なくだれもがファッションを楽しめる社会をつくる思想」と位置づけた。
パターン技術と縫製技術は、分断ではなく、「共生」の関係が大切です。これまでは、アパレルメーカーと縫製工場の間で、必ずしも「共生」が十分とはいえない状態にありました。パターンを通じて、この関係を深め、双方の技術が「共生」の関係を築き、その理解の上に「創生」を生み出す基礎固めとしたいと思います。このためにも縫製工場はパターンについての知識が必要です。
アパレル生産は手縫いの和裁、家庭用ミシン縫いの洋裁を超えて、工業生産で行われている。このために工場で本番に流す前の計画、準備が重要である。生産は「人、材料、機械、方法、資金」の5つの要素を必要とするので、本番前準備では作業者を揃え、材料を揃え、機械を揃え、方法を明確にし、コストを見積もることが求められる。実務ではこれらをどのようにこなしているか、具体的、実践的に知識が得られるようにしている。
アパレル産業における縫製では、洋裁仕事とは趣を異にして、縫製機器により生地を仕立て上げる産業としての仕事である。このために生地の種類、特性に対して、単に経験やカンに頼って生地をこなすというのでなく、縫製機器が、どのように作用するのかを知って、生地を扱うことが大切となる。生地特性の測定も、産業としての縫製加工を前提とするものである。生地と縫製機器の関係は、本来は「可縫製」として論じられなければならないが、その内容は、生地の種類についても織生地とニット生地があり、縫製作業も延反、裁断、接着、ミシン縫い・リンキング仕立て、アイロン・プレス仕立げと単純でなく、多様である。織生地の縫製についてだけでも、表2「織生地の特性と可縫製性」に示すように、範囲が広くなって簡単に片付けられるものではなくなる。このような壮大な研究分野を対象とすることはもとより容易なことではない。衣服製造工学の学問分野として、今後の研究が行われるのを待つべきかも知れない。従って、生地と縫い品質の関係で、現実に問題解決を迫られてきた縫い作業に係わる「可縫性(Sewabi1ity)」の観点について、取りあえず研究が行われた.

編集後記 2008‘ first feature for Japanese

立ち止まり振り替えると,私はあの頃 ‘葛藤’ と ‘驚き’の連続でした. このプロジェクトの選択肢として反省すべき点は,カウンタパートの選出ミスでした.
コミュニティヘルスセンターThaiでは,どうも代表が, なんと説明すべきか? 言えることは,漢方薬の支持者であったこと, 団体/グループのネーミングもタイ保健所と重なります.
これらに気づいたのは2002‘-2003’頃でした.
行政と対立する話しはバンバンするし・・・ 何度か話し合いを持ちました が 彼女は変わりませんでした.
私が彼女から学んだことは,‘死が一番の悲しみではない’ということです. 人間本来の欲求 ‘生の欲求をも超越した’その思想を
私は 今 支持 します.

変わらないもの変わったもの
変わらないもの変わるもの,それを判断するのは非常に難しいですし,
常にアンテナを張り巡らせていなければ ‘今’ を判断することは困難です.誤ってしまいがちです.
最近Jaidsから送付されるメール達は私を知的にします.心に振動が起こった それらは,

出展 Jaids 高山医師
高山@佐久総合病院 です。

タイに行ってきました。未明に着いて1日活動し、翌朝に離陸という忙しいスケジュールでしたが、エイズ発症患者を安全に航空搬送し、現地の医療につなげるという任務は果たせました。当院では年に一人ぐらいのペースでこうした帰国支援症例が発生しています。
今回は、長野県内でセックスワーカーとして働いていた20代の女性でした。
スナックを訪れる客が希望すれば連れ出されます。休憩で2万5千円、宿泊で3万5千円。そのうち1万円を店がとり、残金は彼女の借金が減額される仕組みです。手配師により日本へ連れてこられる前に、彼女には死んだ父親の借金がありました。私生児の2歳の男の子もいます。480万円で身売りすることを自ら決意し、老いた母親に子供をゆだねたのです。これ以上、借金を世代を越えた問題にしたくなかったのです。
2年間、死に物狂いで働いたと彼女は話します。当然ビザは切れ、パスポートも無効になっています。摘発されるまでの勝負ともいえます。前述のようにセックスワークの報酬は手元に残りませんから、スナックでの日当3千円が彼女の生活費です。しかし、住居費と食費と称して店は月額6万円を請求しました。よって、手元に残るのは月に2万円余。彼女はほとんど手をつけず、養育費の足しにと母親に仕送りをしていたということです。

昨年の春頃から異変を感じていました。よく風邪をひき、下痢が長引くのです。仕事をするのが辛かったですが、日本語のカラオケもひと通り覚えて、馴染みの客もついてきました。まだ借金は200万円残っています。勝負はこれからです。しかし12月、突然、右手が動かなくなりました。整形外科医を受診したところ、寝る姿勢が悪く末梢神経の圧迫によるものと診断され、ビタミン剤を処方されました。下旬になると右足を引きずるようになりました。整形外科医はビタミン剤を追加処方しました。ところが鍼灸師を受診したところ、これは脳の病変だから画像診断を受けたほうがよいとアドバイスされました。
近隣の総合病院でCT検査を受けたのが12月末。多発性脳病変を認め、HIV抗体検査陽性。「すぐに帰国して治療を受けなさい」と診断した医師に言われました。さらに「それまでに何かあったら別の病院に行きなさい」と言われ、紹介状を手渡されました。
そして日本は正月休みを迎えたのです。パスポートもビザも失効している彼女に打つ手はありません。不安と戦いながらアパートでじっとしていました。左の手足は完全に動きを失いました。嘔吐と頭痛。本当に久しぶりに4歳になる息子に電話をかけました。「ずっと帰れないかもしれないけど。お母さん元気だからね。勉強いっぱいするのよ」と、最後の会話と彼女は覚悟していました。
正月が明け、訪ねてきた友人により意識朦朧としているところを発見されます。友人は車をとばして都内の入国管理局とタイ大使館に連れてゆきました。しかし、どちらも「こんな状態で帰国できるはずがない。地元で治療してからにしなさい」とのこと。東京からの帰路において、ついに意識不明、呼吸状態も不穏となりました。大使館にあらためて友人が対応を求めたところ、当院に問い合わせあり、受け入れ決定ということになりました。
緊急で撮影したMRIをみて、私は慄然としました。多発する脳病変は大きいもので5cm大。脳幹は圧排され、髄膜炎も伴っていました。脳外科と相談してオペを施行し、最大のものについて生検目的を兼ねて隔出していただきました。生検結果はトキソプラズマ。その後、特異的治療に徹底した全身管理、廃用防止リハを継続したところ、20代という若さにも助けられて徐々に回復しました。そして2ヶ月が経過し、彼女の意識は完全に回復し、普通の食事が可能なほど全身状態も良好となりました。ただし、残念ながら左半身の麻痺は固定してしまいました。再度撮影したMRIでは、病変が圧迫していたからでしょうか、脳梗塞を起こしていたことを示していました。
急性期を脱したいまは、帰国すべき段階と判断しました。正直なところ、すでに500万円を越えている医療費も当院にとっては限界といえました。未収金確実の医療費をこれ以上重ねることは難しい状況です。大使館とNGO(シェア)と密な連絡を開始し、2月中旬の帰国日程を確定。現地の医療機関
とケースワーカー、地元NGOの紹介をいただきました。予測されたことでしたが、搬送するタイ航空は医師同行を条件としました。ただし、6席を潰してストレッチャー搬送とすることに合意してくれました。
成田空港への道すがら、彼女は静かに信州、上州と移り変わる冬の日本を眺めていました。どこかに観光に行ったことはあるかと聞くと、何もみることはなかったと。日本はつらい思い出の国になっちゃった。がんばったんだけどな・・・。お客さんはイヤだった? ううん、優しい人が多かったよ。コンドームを使ってと頼むと「俺を病気扱いするのか! お前の方がよっぽど汚いくせに」と罵倒されてつらかった。それぐらい。だから、コンドームのことが怖くて言えなくなっていった。借金返さなきゃいけなかったから、仕方なかったのよ。
成田空港の出発ゲートまで車イスの彼女を押して歩くのは、たしかに奇妙なことでした。荷物もなく、ジャージ姿の半身麻痺の女性。両側ではきらびやかなブランド商品と買い求める同世代の女性たち・・・。洗練された無臭の搾取の情景。これが世界の日常なのです。 出発ゲートの隅に車イスを寄せると彼女はシクシクと泣き出しました。座位が長すぎたかと思い、どこか痛むのかと私は聞きました。すると彼女は、子供におみやげひとつも買ってやれないのがつらいと言いました。少し私は考え込みました。チョコレートでも買ってきてあげた方がいいのかな・・・と。しかし、搾取の現実に刹那の橋をかけたとして、それが何になると言うのでしょう。
彼女は何も言わず、窓にひろがる薄曇の空を見上げていました。それは、越えてゆくにはあまりに濃密な2月の空でした。
いい文章でした. (調査方法が記載されていません. ので, 彼女の生き様というより氏が見た彼女像とは思いますが・・・) そして中身は最悪です.
この何年間で社会的ヒエラルギは,(日本)何が変化したのでしょう?氏の文章を読んだ後に,これらのLogは必要であると,確信しました.

共依存
大人になる ということは,怖い/恐いことです.いつも共依存していた私が,いつの日か心のジレンマを瞬時に整理する すべ を学んでいたのです. タイを見た当初は完全にタイ患者側の意見に共依存しながら歩いていました.
時が立つにつれ,患者自身が悪いと思われる部分,タイ文化の悪しきスタイルなど 分かっていくうちに(私もその情報は言いませんItsThaiStyle) 本当の問題点を理解していきました. ひとつの答えを見出すのに,どれほどの議論/手間/リサーチが必要であるのか を 思い知らされました.

議論
議論とは,議論中にヘヴィスピーカをよく目にしますが,恥辱を感じないのか?と疑問に思います(笑).ある意見を言うとあるコミュニティが傷つきます.ある絶賛を形容すると,あるコミュニティは不快に思います. 人は妬み,羨ましさEtcからくる中傷を持っている生物であります.議論はROMでも駄目. へヴィはもっと駄目. 自分自身の意見で自分自身が次の一手が出せない,, のような がんじがらめにならないよう 見極めながら/なれたら 本当の大人ですね. とても難しいことです.
私はへヴィの存在意義を支持します.なぜならそういう人が居ないとTOPICsがなくなり閑散とした世界になるでしょう(笑)

日本に戻り一番驚いていることは,患者の‘本当’の声がどこにもないことでした. それは見方によれば他愛もない悪口かも しれません. でも患者の声だけには耳を傾けてください.Drにとって患者一人一人と付き合っている暇などないし,看護師もそうです.NPOも読まなきゃなんないドキュメントが山のようです.
‘でも立ち止まる時自分の原点が何だった?のか’を思い出したい時に使ってやってください.
これは私のため,そして あなたのため なのです.
地球環境の議論をぶち壊すことは簡単です. ‘人類が滅亡すればいいのよ・・・’ これで決着がつきます.
しかしながら私達には感情Feelingが付随しているのですから・・・

redkNotという名前は,役10年前位?ぷれいす東京の生島さんから福島さんを御紹介頂き,コピーライターである彼が命名してくれました.頂いた名前ですから大切にしています.いつでもその名前は(居場所は)とっておこうと考えています.でも遠い訳に赤い小集団とあるので,その語彙を消すためロゴを自分自身で変えました. いつ患者の権利が侵される日がくるかもわかりませんし,一年に一度でも既存のNPOなどでは決して出来ない患者の声(悪口かも見方によっては)を集めた 何か を造ってもいいし そんなことを考えながら・・・時にはMakeNetWorldともアイディアは浮かびますが管理が出来ないことは明白です・・・ゆっくり歩こうAIDS界
H愛V of redkNot 桜だ しきぶ

Heal the world Michael Jackson

There’s a place in your heart
And I know that it is love
And this place could be much
Brither then tommorow and if you really try
You’ll find there’s no need to cry
In this place you’ll feel there’s no hurt or sorrow
There are ways to get there
If you care enough for the living
Make a little PLACE Make a better PLACE

Heal the world make it a better place
For you and for me and the entire human race
There are people dying if you care enough for the living
Make a better place
For you and for me

If you want to know why there’s a love that connot lie
Love is strong it only cares of joyful giving
If we try we shall see in this bliss
We cannot feel fear or dread
We stop Existing and Start Living

Then it feels that always live’s enough for us growing
So make a better world make better world

And the dream we were conceived in
Will reveal a joyful face
And the world we once believe in
Will shine again in grace then why do we keep strangling life
Wound this earth crucify its soul
Though its plain to see this world is heavenly
Be God’s grow

We could fly so high ket our spirits never die
In my heart I feel you are all
My brothers create a world with no fear
Together we cry

Happy tears see the nations turn
Their swords into plowshares

There are people dying
If you care enough for the living
Make better place
For you and for me

You and for me
You and for me
You and for me
Thanks for the living
Thanks for the children

Thanks for the living

That’s document made to five book
That’s document all rights reserve TeddyBearProject cannot use from transcription without notice
Cet papers droits civils TeddyBear Projet ne peux pas sans permission
この書類において無断転写はお断りしています.出典を明らかにするか 以下のアドレス迄ご連絡お願い申し上げます.
Redknot_Tokyo@hotmail.com

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