勉強する事の意義

勉強は、何故するのかという疑問をよく、新入塾生に問う。
そのほとんどが答えられない。
殆どの家庭ではその意義を子供に納得のいく事を示していないのではないか。

よく言われる事は、勉強をして頑張れば良い会社に入れる。お金を稼ぐ事が出来る。
この事は子供にとっての日常とは関係のない事で、むしろ子供の選択肢を狭める事になってしまう。
小学生や中学生の段階では、仕事そのものに対して反発を感じている、家庭に大好きな親が仕事によって奪われている事を身をもって体験しているからだ。
それなのに良い就職ができると言っては何のことか全く分からない。親は反面教師となって、自分の子供にはそんな嫌な思いはさせないと、考える。
また、お金を稼ぐということから考えても、大人としての金銭感覚と子供の金銭感覚はかなり乖離している。
お金を生活条件として表に出せば出すほど、その事の重要性が心に刻まれる。そうなると、目前のお金のみに固執してしまい、重要性は、今稼ぐ事に注視し、本来の子供の本職である学習を疎かにするし、アルバイトなどのできない年齢であればお金のために過激な事をする事もある。
全て最初にお金ありけりという考えを植え込んでしまうからだ。
そうではなく、お金というのは結果として生み出されるものである、一定の条件をクリアして初めてお金を手にできるとするのが正しいのではないか。
同じように仕事というのは結果として就業できるものであると考えるべきで、能力が育つまでは具体的に指示するものではない。

「勉強すれば良い職業に就職出来る」とは、勉強する事を条件としている。その意味では結果と言えるが、実際そうではない。勉強したからと言って良い就職先に就いたり、お金持ちになれる訳ではない。つまり設定条件が違うのである。勉強すれば、当たり前のように親に言われる事であるが、これは明治時代から言われている言葉だ。確かにその時代もあった。大学を出れば学士様などと言われて役職もも良かったし、給料も良かった。それが普通ではないからだ。
しかし今では大学を出ているのは普通だ。

ではもう一度問い直すとしよう。勉強は何のためにするのか。

未来を定めるために勉強をするのではない。自分の自由度を上げるために勉強が必要なのだ。

その高い自由度を得る事により可能性も広がるし、人類として新たなものを生み出す基礎となる。決して仕事やお金のために学習をするのではなく、自由度が高ければ高いほど幸福度も高いと言える。
そのために勉強をすれば良い。結果としてお金もついて来るし、自分にとって良い仕事にありつけるのではないか。

下らないモチベーションで勉強などして欲しくはないものだ。