山川克則の現況と未来への展望

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 これはオリエンティア裏adventcalendar2019の4日目の記事になります。あまりの忙しさで1日遅れました。すみません。さて、ここは裏なので軽く軽く、話題も飛び飛びで行きたいと思います。忙しいので2時間以内で書ききること目指して。

 さて、表紙で使った写真ですがこれだけでひと記事かけてしまうので、そしてこれはadventで語っておくべき内容かと思うので裏の最終日をいただきました。登録した題目をみてピンとくるのは56歳位以上のオリエンティアかな?山川の人生を決定づけた戦友?ですね。

 では、本題ですが、単に今日は山川克則という人物像を多分多くの人が誤解して受け取っているのではないかということで、めんどくさいので他人が書いたやつを並べてみます。まずはこれ、オリエンテーリングマガジン2004年4月号、


PDF直接リンクではうまくみられないとしたら、ここから行ってみてください。なぜか2003年10月号と表示されますが2004年4月号です。この記事からもすでに15年以上経過しているのかと思うと感慨です。本人、あまり変わっていないとも。それと学生時代のお腹、なんと!

次は小泉成行さんの記事、2編。わざわざヤマカワハウスまできていただきインタビューを受けました。


そして、ずっとオリエンテーリングのプロ一人時代に終止符をうつべく後進(ライバル?)の出現、その彼が書いた文章、なんかさらに見えてきたものがあるとかで続編を計画しているらしい。期待しよう。

あと私のことを書いてくれている表advent2017最終日の記事、特に第6章


 はい、これで終わりです。手抜きですね。私の人生、もっと重い道程たどってきたのにね。あっさり終わらせましょう。いや?ここまでが自己紹介、ここからが実は書きたかった本題、短いですけど。うそ、十分長いですね。

 上記文中にもありますように、私は腎臓病をかかえていまして、透析をして延命しています。忘れもしないミレミアムの1999年12月9日、とうとう透析導入を告げられ強制入院となった日です。2つほど大会準備中だったので抵抗した(バカですねぇ?)のですが、”3-4日後に死ぬよ”と言われ渋々入院、代わりに大会やってもらう手配を病院からしていたなぁ。長女には大泣きされた。人生ジ・エンドかと思って入院中に透析していても生き抜く勉強で本を読み漁っていたのも思い出。ちなみに、私のは糖尿病由来ではないのでその点不摂生が根本原因ではないのでそこは誤解しないで下さいね。20代30代に無茶しまくったことが病気の進行を早めたことは確かですけど。最近分かったことですがどうやら遺伝性のものとのことです。(それはそれで私の子孫にも心配を残すことになる)尚、史実からみるに、40歳で死したかの天才岡倉天心と症状が似ています。その時代の医学なら私も40歳で天に召されていました。

 それで、透析入って2年目でおしっこが完全に出なくなりました。おしっこ出ない感覚ってきっと健常人には想像もつかないだろうなぁ。それはそれで色々な苦痛に悩まされます。また数々の合併症に苦しみ、何度も入院をしています。今までに副甲状腺と(機能しない)腎臓を片方摘出しています。それでも調査生活を続けていたのですが、最近私が足を引きずって歩いているのを目にしている人もあるかと思います。特に4月の全日本辺りから顕著になり、それでも忙しくてなかなかそのこと自体で診察をうける時間がなかったのですが、益々ひどくなる一方なので先日整形で見てもらったところ、透析による石灰化(これは透析している以上避けられない、健常人より骨はかなりもろくなります。そういえば転んだだけで骨折し、松葉杖で駒ヶ根通った年もあったなぁ)で関節の干渉部分が埋まって骨が擦れあっていることがわかりました。腱や筋肉を傷めた訳ではなく透析由来のものなのでもう直りません。つまりそのうち歩けなくなります。何年先がわかりませんけど。逆に言うと動くうちは痛くてもまだ調査もできるということになります。最近後進(あえて子分と書かない、みんな独立した事業者だから)に現場を譲り、社長業ばかりになっているのでそんなに山に入らなくなっているけど、それでもいざというときは自分がカバーできるプレーイングマネジャーとして現場に立つこともあるだろう。そんなことを思いながら生涯現役を貫きたいと思っております。

【以下参考話程度に】

1.私の透析導入時の医学水準では、10年生存率50%と言われていました。岡倉天心の時代はともかく、それよりちょっと前の保険適用が国会を通っていないときは、金持ち以外は死ぬしかなかった時代もちょっと昔にあります。今はさらに医学が進歩し日本の透析技術は世界一といわれています。透析40年選手も出現しています。私は今月21年目を迎えます。

2.透析人生前半はありがちな合併症に悩まされましたが、この数年は長年透析による心臓の疲弊が来ています。まあ無茶するからね。石灰化の対症療法(レーザ治療)もひどい不整脈(心房細動)がでて入院していながら手術中止になったこともあります。

3.普通にエリートコースに乗っているサラリーマンが透析導入になったら?という事例も色々読んだなぁ。なんでも人生ゲームセットにしたくないがために隠し通す人もいるとかいう話。まあ私は最初から自由人だったので透析しててもできることをやればいいで楽観的だったけど。そして自分の病気についてすべて晒して生きながらえている。

4.車をよく壊すという話があるが、この6月とうとう事故られる方にもなりました。よそ見からのノーブレーキの追突、軽だったので回転2バウンドほどして逆さまに停止、勿論車は大破。割れた後ろドアからひきずり出してもらいそのまま救急搬送されました。結果打撲のみ全治3週間で、実際3週間目に痛みも全部引きました。上記足の件も事故由来ではないことが証明されて後遺症もないということで、いやはやデブが幸いしたというところか。とにかく絶対死なないヤマカワさんを体現しました。

5.腎臓が機能していないのだから当然透析導入と同時に献腎登録もしています。もう待機20年ということになります。実は駒ヶ根インカレの直前10日かというくらいで連絡きたんですよね。さすがに当時はまだ後進への仕事委譲も途中だし全て投げ出してあと任せたにはまだできない状態だったし、不整脈もひどい時で、メス入った途端にさらにひどい不整脈になってかつてのように手術中止(不適応)になるリスク高いよなぁ、と思いながら辞退しました。その不整脈はこの6月の入院でカテーテルアブレーションという手術で直したので、今は不整脈による不適応の心配はなくなりました。そして石灰化による狭心症の方ですが、冠動脈バイパス手術かということで10月に検査入院しましたが、そこまでには至らずで放免、いつ献腎があって呼ばれてたら行きなさい、という診断を頂きました。移植がなされればさらに長い命にはなることは確かです。しかし、3ケ月ほどシャバから抜けるので、その間オリエンテーリング界が回るようにしないといけません。(こう思うところが何人かがいう”全身の愛”なんだろうなぁ)今現在、宮西は現場の班長クラス、実質昇進して日程管理・技術管理くらいまでをやってもらっています。坂野は多方面に渡る私の仕事範囲を一番理解してくれている人材かもしれないです。やっと何とか私が長期抜けても(死ぬわけじゃないから電話メールでできることはあるし)何とかなる素地まではできつつあります。

6.それで、ここにきて足の不具合、いずれフォレストには入れなくなるだろうな。歩けなくなったら、それでも生きさせてもらえるのなら何しよう? と日々考えています。人と交渉することができればまだ活躍することはある、そもそもまだインカレの継続開催の絵、だれが今後ひきついでいくの?という話があります。<学連内資料より>

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 要するに、どんなにカラダの制限がきつくなろうとも、生き恥とは思わず、その時やれること、自分が一番優れていることがあるなら、それをやろう、という決意表明みたいのがこの記事の趣旨です。

 さて、話も飛び飛びでまとまりのないものになりましたがこれで終わりです。山川克則という人間を語りつくすには全然足りないのですが(死んだら=死なないけど、きっと誰かが語ってくれるだろう)、もし何かあってもこれだけは言っておかないとの部分だけを、続編で”ビジョンに生きるということ”というテーマで語ります。写真の人は笹やんです。

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