何清漣★ベトナムと中国の逆転現象 グローバル供給連鎖の変化 (1)      2020年10月26日

 

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 中国経済の衰退傾向はとっくに見えていました。グローバル製造業の第5次移転の動きは、もはや取り返すことはできません。これは小さな動きからも見えてきます。

 オンライン上の噂によると、広西チワン族自治区中ベトナム国境の友誼関(広西チワン族自治区憑祥市中心部より南西15キロメートルに位置する関所。中国とベトナムとの国境)で。10月20日に、1千人近い中国の技術者が集まってベトナムへ出稼ぎに行こうとしたというのです。そして中国側は、それを防止するために2メートルのフェンスを建設していると言われます。

 中国側は、労働力の輸出をしたくないからではなく、デリケートな関係にあるベトナムと紛争を起こしたくないのです。この中国とベトナムの逆転現象は、ある意味で、中国経済の繁栄が色あせ、投資環境が劣化し、OEMで栄えた時代が歴史になったことの縮図であり、大きな意味では、世界の第五次製造業シフトの小さなのぞき窓です。

  ★第5次製造業の大移動。中国はもはや世界の工場ではない

 中国が世界の工場になった時、好景気で10万人のベトナム人の花嫁が中国に嫁いだことがあります。

 2016年の初めから2019年11月まで、ベトナム当局は4,400人の密出国者を含む1,200件以上の密出国事件を摘発しました。行き先は主にカンボジア、ラオス、中国の国境に集中しており、特に中国が75%を占めていました。つまり、去年までは、やはりベトナム人が中国に出稼ぎに来ていたのです。

 しかし、世界の変化があまりにも早く、今や中国経済の繁栄は終わりを告げ、投資環境は劣化し、OEM時代は、歴史となって、とりわけ今年は武漢肺炎によってはじまった新型コロナウイルスの大流行は世界経済に大打撃を与えると同時に、中国から9割前後の外国からの発注を失わしめ、工場は次々に閉鎖となって、もともと厳しい状況にさらに傷口に塩を塗るようなことになりました。

 7月19日、ベトナムに不法入国した中国人21人が逮捕されました。 ベトナムのクアンナム省ホイアン町で不法就労活動に従事し、現在は強制送還を待つばかりです。このニュースは本土のネット上で白熱した議論を巻き起こし、「今の中国人はベトナムに潜入して仕事をしなければならないのか」「なんと恥ずかしいことだ」などの声が上がっている。
 
 しかし、実は、中国という「世界工場」からの産業流出は早くも5〜7年前から始まっています。 これは、第4次の製造業移転に続く、第5次の製造業移転というべきです。各国の資本がどうなるか息をこらして見つめる中で、米・中貿易戦争が彼らに選択を強いて、全世界的な産業チェーンの再配置を加速させたのでした。

 20世紀以降、世界的な大規模な製造業の移動は、後になればなるほどサイクルが短くなり、合計4回の大規模な移動が行われてきました。 その原因には違いがありますが、主にコストの問題でした。

 製造業の移転の基本的な勢いは、コストの高い国から安価な国に向かいます。現在始まったばかりの第5回目の、全世界の製造業の移動は、主に製造業が高度化による移動とが、全生産性の低下を招き、米・中の対立がこれを加速させたからです。

 ★これまで世界では4度、製造業転移が起こった
 

 第1回目は20世紀初頭、英国の一部の過剰生産能力が米国に移転し、米国の強大な工業の基盤になりました。第二次大戦は、米国が連合国を支援してドイツや日本などの枢軸国を敗りましたが、戦後、マーシャル計画で世界の再建を援助したのは、すべてこの工業基盤に依拠したものでした。

 第2回目は、1950年代、米国の製鉄、繊維などの伝統産業が日本や同一などの敗戦国に移転しました。これはマーシャルプランの重要部分でもあり、日本やドイツが再び経済強国になれたきっかけでした。

 第3回は、1960年から70年代。にhんやドイツから、アジアの「四匹の小さな龍」や一部のラテンアメリカ国家に、軽工業、紡績などの労働集約型産業を移転させ、「4匹の小龍」の経済テイクオフに繋がりました。

 第4回が、1980年代の初めから、欧米日本などの先進国とアジアの「4匹の小さな龍」などの新興工業国家が、労働集約産業とローテク高消費型産業を発展途上国にシフトし、中国は2001年に世界貿易機関(WTO)に加わり、あっという間に第4次世界産業シフトの最大の受け皿と受益者となっていきました。
 
 ★中国は優位性を失い、世界は産業チェーンをリセットへ

 中国はWTO加盟後、20年以上の高度経済成長を経験し、2003年から2007年までの間、中輸出は年率25%以上、年によっては35%にも達する勢いで継続的に成長し、 世界のの輸出シェアがわずか2%だったのが、2017年には14%に跳ね上がり6倍に増えたのです。

 この世界でも例のない速さの勃興ぶりは、中国政府にも民間にもグローバル貿易の枠組みへの理性的な思考を失わしめました。

 グローバリズムは中国を永遠に唯一の勝者にするでしょうか? まさにこの鍵となる問題で、長年、北京当局は、世界の貿易パターンの基礎と進化を理解していないため、ずっと戦略的に間違った判断をして来ました。

 まず、中国は状況を見誤った:まだコスト面での優位性があると思っていました。

 2005年頃から中国の地価や人的資本が上昇し、外国人投資家からはすでに不満の声が上がっていました。 しかし、当時の中国はこの点に十分な注意を払っておらず、もともと「win-win」の概念を持たなかったために、後から見れば、外国の 合併買収(M&A)を制限するという誤った政策を展開してしまったのです。

 中国が高品質の外国企業を呼び込もうとしたのは、中国企業に不足していた資源、技術、ブランドのためでした。そして中国に進出した多国籍企業は、巨大な消費市場と流通ルートを欲していました。この点で、中国と多国籍企業には、利益の一致点が欠けていたのです。

 2006年8月、商務部や中華人民共和国国有資産監督管理委員会(SASAC)など6つの省庁・委員会は共同で「外国人投資家による国内企業の合併・買収に関する規則」を発表し、外国人投資家が「国家経済の安全保障に影響を与える」企業を買収することを制限しました。

 原子力設備、発電設備、送配電設備、造船、歯車、一般石油化学設備、鉄鋼などの「国家経済の安全保障に影響を与える」企業を買収することを制限したのです。

 このルールにより、アメリカのカーライルによるXCMGの買収や、ドイツのシェフラーによる洛陽ベアリンググループの買収など、数年前から計画されていたいくつかの外国企業の買収は、「国家経済の安全保障」を害すると言われていたため、擱座してしまいました。このような外資系M&Aの規制は、中国の産業構造の高度化を深刻に妨げました。

 この政策は、2008年に実施された「両税合一(2つの税金を1つに)」政策に伴うもので、税率を上げて外資のコストを引き上げ、その結果、東莞などの香港、台湾資本が大量に撤退して、東南アジアに向かうことになりました。

 同時に、外国人投資家からは、規制コスト(不透明な政策や法律に起因するコストや損失)や対外コスト(知的財産権保護、事業信用など)を払って投資しなければならないとの不満の声が上がりました。

 こうしたことから、中国はもはや、多国籍企業から「素晴らしい投資天国」とは思われなくなりました。それでも、中国より良い条件の場所がなかったので、中国はまだ暫くの間、途上国としては一番の外資導入の優位性を持っていました。

 中国国家統計局によると、2017年の中国の固定資産への海外投資はわずか2146億ドルで、2011年の5087億ドルに比べ、わずか6年間で57.8%減少しました。それでも多くの外国資本が様子見を続けているのは、中国のような投資の天国が見つからないからです。

 第二に、中国は「技術の交易市場」の名の下に、外国企業の知的財産権を奪おうとしています。

 中国によるアメリカの知的財産権の強奪ぶりは、日増しに明らかになっています。いかが政府指導のもとに行われた大体の経過。

 1984年3月22日、中国国務院は、国家経済委員会の「技術と貿易の統合と古い設備の購入に関する報告書」の解説の中で、「外国商品貿易と技術導入を組み合わせ、技術と貿易の統合を実施し、我が国の市場の一部を外国の先進技術と交換することは、中国の技術進歩を加速させる方法である」としました。

  "1998 年 4 月、中国共産党中央委員会と国務院は、対外開放のさらなる拡大と対外投資の水準向上に関する意見を多数提出したが、そのうちの 2つは「技術の交換市場」の必要性を明示的に言及した。

 中国は外国企業に対する強制的な技術移転を禁止し、関連規則を改正してスローガンを削除したが、2008年に「「海外ハイレベル人材招致・千人計画」を設立。

 WTO加盟から18年が経過した今、「技術の市場」は明示的なものから暗黙的なものへと変化し、地方政府が表に立って引き続き、外国企業に技術や図面を要求している。

 最近では、数年以内に「世界の工場」の技術向上を目指す「「中国製造2025」(メイド・イン・チャイナ2025)に代表されるハイエンド製造業への進出計画をはじめ、海外の技術を「獲得」するための様々な活動が活発化している。

 こうして知的財産権の侵害と防衛もまた、中国と米国の間で争われる重要なポイントになりました。

 中国の知的財産権の侵害はアメリカに大きなダメージを与え、外国企業は、中国には唯々諾々と従い、本国では文句ばかり言い、2018年には知的財産権がアメリカが中国との貿易戦争に乗り出した主な理由の一つになっています。

 ベトナムが改革開放を始めたのは、ちょうどこの時期であり、外資導入を経済発展のポイントにしているのでした。(終わり)


何清涟:全球产业链重置 中越引资位势之变(1)
2020-10-26

中国经济衰势早现,全球制造业第五次转移之势更是难以挽回,这从一件不大不小的事情可以看出:据网上盛传,在广西中越边境友谊关,10月20日聚集了近千名中国技术人员,他们打算前往越南打工,在中越边境,中方正在兴建两米多高的围墙,防止国人外逃——这倒不是中国不想输出劳动力,只因不想与越南产生纠纷,因为中越关系实在太脆弱了。中国与越南这两座庙的兴衰,往小里说,是中国经济繁华尽褪,投资环境劣化,代工时代已成历史的缩影;往大里说,是全球第五次制造业大转移的一个小镜头。

第五次制造业大转移,中国不再是世界工厂

中国成为世界工厂的时候,经济繁荣,曾引来10万越南新娘嫁入中国;从2016年初至2019年11月,越南当局共发现1200多起偷渡案件,涉及4400名偷渡者,而偷渡主要集中在越南与柬埔寨、老挝、中国之间边境,尤其是中国占75%,也就是说,直到去年,还是越南人偷渡至中国打工。

但世界变化太快,如今中国经济繁荣已尽,投资环境劣化,代工时代已成历史,尤其是今年的武汉开始的新冠疫情,在摧毁世界经济的同时,也让中国失去了90%左右的外贸订单,工厂纷纷关门,本来就严重的失业更是雪上加霜。7月19日,21名中国公民在非法入境越南后被逮捕,罪名是在越南广南省会安镇从事非法打工活动,目前面临被遣返。该消息引发大陆网友热议,网友说,现今中国人竟需要偷渡越南打工,“给厉害国丢人了”。

其实,中国世界工厂的产业外移,早在5-7年前就开始了。这是第四次制造业转移之后的新一轮转移,算来应该是第五次制造业转移。在各国资本犹疑观望之时,中美贸易战让它们作了选择,加速了全球产业链重置这一进程。

纵观数次制造业转移的趋势,就会发现每一次大转移都必将伴随着一批相关国家的兴衰。20世纪以来,全球一共出现过四次大规模的制造业迁移,越往后,周期越短。推动每一轮制造业大迁移的重要动力虽然有差别,但主要是比较成本因素,制造业转移的基本趋势是由成本高的国家与地区流向成本洼地。目前刚开始的第五轮全球制造业大转移,主要原因是制造业面临产业升级和迁移而导致的全要素生产率的下降,中美交恶是导致这次转移加速的重要因素。

全球范围内四次大规模制造业迁移

第一次在20世纪初,英国将部分过剩产能转移至美国,为美国构建了强大的工业基础,二战当中让美国能够支援同盟国打败德国与日本等轴心国,在战后通过马歇尔计划援助世界各国进行战后重建,均赖这一工业基础。

第二次在20世纪50年代年代,美国将钢铁、纺织等传统产业向日本、德国这些战败国转移,这是马歇尔计划的重要构成部分,日本、德国重新成为经济强国,发端于此。

第三次在20世纪60至70年代,日本、德国向亚洲“四小龙”和部分拉美国家转移轻工、纺织等劳动密集型加工产业,成就了亚洲四小龙的经济起飞。

第四次在20世纪80年代年代初,欧美日等发达国家和亚洲“四小龙”等新兴工业化国家,把劳动密集型产业和低技术高消耗产业向发展中国家转移,于是,中国逐渐成为第四次世界产业转移的最大承接地和受益者,2001年中国加入WTO,很快就成为世界廉价商品的供应基地,只是产业内容逐步由玩具、制衣、箱包逐渐向电子产品转移。这一过程长达30多年,中国成为世界第二经济大国,得益于第四次产业转移。

中国优势渐失,世界重置产业链


中国加入世界贸易组织(WTO)之后,曾经迎来长达20余年的经济高速增长,从2003年到2007年,中国的出口连续每年以高于25%的速度增长,一些年份的增长率甚至高达35%。1990年中国的制造业只占全球的3%,2019年则占全球市场的一半;1990年中国的出口只占全球的2%,2017年跃升到14%,全球出口份额增长了6倍。

这种全球独一无二的快速崛起,使中国朝野都失去了对全球贸易格局的理性思维。经济全球化能够让中国永远成为全球的唯一赢家吗?正是在这个关键问题上,多年来北京当局一直有一种战略误判,因为它不了解全球贸易格局的基本原理和演变趋势。

第一,中国错估形势:认为自己还有成本优势。

大概从2005年开始,中国的土地价格与人力资本上升,外商对此已经啧有烦言。但中国当时对这一点没有足够的警觉,由于从来就没有“双赢”概念,还制订一些事后看来错误的限制外资并购的政策。之所以说是错误,是因为中国希望引进高素质外企,所图的是这类外企的资源、技术和品牌——这是中国企业缺少的几大要素;而跨国企业在中国所图的则是巨大的消费市场和销售渠道。正是在这一点上,中国与跨国企业缺少利益契合点。

2006年8月,中国商务部、国资委等6部委联合发布《关于外国投资者并购境内企业的规定》,限制外资收购“影响国家经济安全”的企业,在核电设备制造、发电设备、输变电设备、造船、齿轮、石化通用设备制造和钢铁领域等7大重点制造行业中,限制外资绝对控股或相对控股。此规定一出,几起筹划多年的外资并购,如美国凯雷收购徐工,德国舍弗勒收购洛阳轴承集团,都因被指有害“国家经济安全”而告搁浅。这一限制外资并购的规定严重妨碍中国的产业结构升级。

与这条政策同时制定的还有2008年开始实施的“两税合一”政策,提高税率意味加大外资成本之举,东莞等地大量港台资本从那时就开始撤资前往东南亚,越南也就是在那时迎来了第一批外资企业进入的高峰期。

与此同时,外商对在华投资必须付出的企业监管成本(指政策、法律不透明等引起的费用与损失)和外部成本(比如知识产权的保护,商业信用等),均发出抱怨之声。基于以上原因,中国不再被跨国公司视为“投资福地”,但因为在世界上,暂时没有找到比中国更好的成本洼地,中国还保持了一段发展中国家最大吸引外资国的优势。据中国国家统计局数据,2017年外资在中国固定资产的投资额仅为2146亿,与2011年的5087亿相比较,短短6年时间下降了57.8%。许多外资在观望中犹豫,原因是找不到与中国同样的“投资宝地”。

第二,用“以市场换技术”为名,对外企的知识产权巧取豪夺。

中国对美国知识产权的巧取豪夺,日呈公开之势。以下是政府指导下的大致经过:1984年3月22日中国国务院在批转国家经委《关于做好技贸结合和旧设备选购工作的报告》的批语中说,“把对外商品贸易与引进技术结合起来,实行技贸结合,用我们的一部分市场换取国外的先进技术,这是加速我国技术进步的一项重大方针”;1998年4月中共中央、国务院就进一步扩大对外开放、提高利用外资水平提出若干意见,其中有两处明确提到,要实行“以市场换技术”;2000年中国准备加入世贸组织,而世贸组织明确禁止强制外资转让技术,中国修改了相关法规,字面上不再提这个口号,但于2008年设立了“千人计划”;加入世贸后的18年,“以市场换技术”从明的变成了暗的,由地方政府出面,继续要求外企交出技术和图纸。而最近以《中国制造2025》计划为代表的向高端制造业进军的计划,提出了短短几年内实现“世界工厂”技术升级的目标,为了达成目标,“获取”外国技术的种种活动日益活跃,因此也把侵犯和保卫知识产权变成了中美之间的争执关键点。

中国侵犯知识产权,对美国造成极大损害,公司在中国只能乖乖服从,回到国内就抱怨多多,到了2018年,知识产权成了美国发动对华贸易战的主要原因之一。

恰好就在这段时间,越南开始改革开放,而且将引进外资作为本国经济发展的关键点。

(文章只代表特约评论员个人的立场和观点)

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