本山らのガチ恋できない問題。
本山らのとガチ恋したいか。
したい。
かのキツネとしての出会いは五月あたまでした。
彼女はバーチャルラノベ読みVtuberという触れ込みで突然現れました。
突然というのも変な表現ですね。現れるときは常に突然なのだから。
予告されてから登場するということはありえないのだから。
最初思ったのはやられた! ということでした。
かわいいバーチャル女の子がライトノベルを紹介する。
自分の好きなもののジャンルのVtuberが現れとして、ここで推さない人間がいるでしょうか。
動画を作るのは大変なことです。動画を作るのはほんと重労働。一生懸命完成させたとしても、再生されるのはほんのちょっと。いやはや、成果が努力や能力に足りる足りないは抜きにして、わりと脱落しやすいジャンルだと思います。
というか恥ずかしながら実際に脱落した経験があるのです。
大多数の動画勢は長くは続かない。この事実を文字にするのはつらい。
そして習慣と紐つかない投稿は、心理的にとても大きい。
しかし、アップロードしたものに反応があると、とても嬉しい。
死ぬほど嬉しい。
想像してるそれを遙かに越える嬉しさがあります。
それを知ってるからこそ、応援するってなるなら、なるべく反応するようにしてました。
直接言うのもいいし、きっとリツイートとファボだけでもいい。
やりすぎないように、慎重に。そんな思慮ありげな雰囲気だけだして、その実特に考えてはいなかったのですが、クソリプでも送らないよりましだと。
それがその意図通りに届いていたかどうかは置いておいて、定期的にアップロードされる動画を楽しんでいたのでした。
順調に成長を遂げていく本山らのを見るのは、とても心地の良いものでした。
無事習慣づいたのか、どんどん動画があがっていき、それにつれて認知度も上がっていく。
応援している身としても嬉しかった。
快活でさえあったと思っていたのです。
しかし、そんなファン人生は変換点を迎えたのです。
きっかけは2Dの身体を得たとき、なぜかボクはとても残念に思ってしまったのだ。
facerigによる2Dモデル。ひょっこひょっこ動いててかわいい。
でも、これは違うなと。
残念? 違う? どういうことだ? 本山らのはお前のものでなないのに。
自分の感情が理解できなかった。
突然の公式が解釈違い。
この失望感はなんだ。そもそもこれは失望感なのかがわからない。
お前は本山らのを推しているのではなかったのか。ああ、推している。
推しているのに、それを否定するのか。
創作者の結果を否定するのか。
いつものように、よくやったぞと煽て奉らないのか。
理解できないまま、しばらくを過ごしました。
単に半分忘れていて、半分考えないようにしていたともいうのだが。
複雑な問題を考えるときは、まず簡単な事柄にしてから考える。
で、あるならば、これはこういう疑問ということではないかと考えたのです。
ボクが好きなのは、本山らのの身体か魂か。
考える。
ボクは本山らののどこが好きだろうか。
性癖って意味で、ケモミミ好きってのは100%ある。
3Dでひょこひょこ動くのが好きってのは絶対ある。
トラッキングの仕組みが透けて見えるのなんて最高にフェチい。
しかして、それに加えて、そう。
本山らのの声が好きだ。
オタク気質なところはシンパシーを感じる。
文字読みの業を背負ってるところが好きだ。日常生活で語彙の差で通じなくて困る経験持ってそうで好きだ。
本山らのの動画が好きだ。
徐々に技術がアップしていくところなんて、それこそ目を細める。
さてこうなると、だんだん理解してくる。
もう認めるしかない。
ボクは魂のほうも好きなのだということを。
もし、彼女の身体だけが好きというならば、それこそアセットストアで買ってこればよいのです。
そんなことを考えながら半年記念放送を聞いていたら、もう、いままでの理論武装とかどうでもよくなりましたね。
ここまで書いておいて全部ひっくり返すのかって話ですけど、ひっくり返ってしまいます。ごめんなさいね。
推しが尊い。
それ以外で表しようがないのだもの。
この表現考えた人は天才だと思います。語彙力消失案件ですよ。
その半年記念放送に送るための992文字のマシュマロ書くのに1週間ぐらい推敲繰り返してた期間があったのです。
1日、ひとりの人間に対して思考を時間をそれだけ費やしていたら、そりゃ好きになりますよ。
動物としての習性だから仕方ない。
推しを好きになることのなにが悪いか。悪くない、うん。
ファンとしての節度を持って好きになっていこう。
無難なことしか言えなくて申し訳ないけど、結論はここに落ち着く。
VRの世界は時間の流れが早いという。
もはや、本山らのは単なるラノベ好きな新人Vtuberではない。
堂々たるVtuberのひとりである。
つまり、すでに追いかけられる側になっているということだ。
Vtuberを名乗り始めた理由は彼女とは全く関係なかったのだが、今やボクは彼女の背中を追いかけてる。
追いかけられている実感など微塵もないだろうけど、勝手に追いかけている。
いやはや、まだまだたくさん勉強しないとならない。
そんな日常の活力の糧のひとつになっている本山らのに感謝の気持ちがたくさんある。
ありがとうございます。
がはは、2018年、最高の年じゃったな。
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