人は、言語化できない痛みには寄り添ってくれるものではありません

人は、言語化できない痛みには寄り添ってくれるものではありません

好意的誤解に頼ることも危険です

私が言いたいことは
「人間関係に困っている皆さんに、まず言葉磨きをして自己弁護したくないとしても、ご自分をお守りください
」という事です

私には愛あればこそ、死を望んだ過去があります
私自身の独善的見解が含まれていたにしても、弁解の許される人間関係作りを構築するべきだとそれは教えてくれました

かつて私は憎しみを抱く代わりに
相手を思いやりや愛で癒してきたつもりでした
私には本当に虚栄心の欠片もないのでした

どう思われても構わないと
相手に居心地に都合よく嘘をついてまで、、、
自分自身の立場が悪くなっても構わないと自分自身以外を庇い続けたのです

ですが、最近ではの転院の際
生い立ちを話すことで古傷はぱっかりと開いてたまらなく苦しくて
この魂が肉体という牢獄から抜け出したいと願う悲痛な感じになりましたのでこの文章をしたためる事に致しました

何故なら
たった今この人生からは痛み以外感じないせいです

夫の優しさで蘇生したかに見えた私の魂ですが、この人生で負った傷は再び暴かれ激しく身体中を痛みが走って心を引き裂く様でもあります

ここで私自身の体験した事をお話し致しましょう

若い頃の話ですが、
私の魂はとある“人物Aの”何気ない嫌味な(!)微笑により全てを察してしまったのですが
その人物が母に陰湿な嫌がらせをする事でその人物は何か得たのだろうか?とふと思います

私は憎しみを抱く代わりに思いやりや愛に変えて時間の限り傾聴したのです
幾日も幾度もです
ですが私の中で限界は私の中で爆発的に訪れた為に
後には偽りの優しさは自分自身への罪だと悟りました

そしてとある“人物B”は私の痛みの正体を推測で冷笑して
私の真実を欠片しか傾聴せずに
「レベルが低いわね」と私の痛みをしたり顔で鼻で笑ったのでした

ですが、私はその人物の人生を良い所を讃え労り傾聴しました
しかしながら言葉のキャッチボールにはならなかったし
次第に距離を置くことにせざるを得ない事態になりました
それから私は心を開くことが難しい人間になってしまいました

それは私自身の心を守る為でもありました

母の度重なる病の毎にに父は孤独に堕ち酒に走ったのでした
そしてとあるカルト事業への信仰心に走ってその信仰に馴染まぬ家族を罵っていたのです
それが私が小学生、中学生の頃からででした

かつて鍵っ子として育った引っ込み思案が特徴的な母は、病のせいか孤独に拍車がかかり、優しい姉兄にも心を開かない人になりました

貧しい侘しい日常でしたが娘の私は必死になって彩りを添え励ます

ですが、度重なる病により両親の関係が悪化して
信仰心の様なもののせいでに固執して母を病院に連れて行かせない父と私は諍いになりました

父自身には悪意は無い事も知っている私には
父と距離を置く事と病の母を病院に連れて行く決意の無理から次第に脳(精神?)の誤作動が始まりました

その予兆に私の中では
親友との交流を絶ったのですが
それにも悲しい理由があります

私は友人を労り傾聴しても友人は私の話を全く聞かない人だったからです

更に過去に関係性を悪化させた知人達が、魔女狩りの様に私への侮辱的解釈をばら撒き、シカトして存在意義すら否定してきたという過去があり、悪意ある人しか私には近付いて来ないという妄想が働いて牢獄の様な学生生活がありました

とても悲しいですが、人は言語化できない痛みには寄り添ってくれるものではありません

私達が社会生活を送る上では自己弁護する語学力と健康的な脳が如何に必要か思い知らされました

まず睡眠と栄養補給が鉄則です

私が言いたいことは「困っている皆さんにまず言葉磨きをして自己弁護したくないとしてもご自分をお守りください」という事です
私自身を含めて、申し上げておりますが皆さんには幸せで豊かに過ごす権利を手放すべきではありません

長くなりましたが、どうぞご自分を守ってより良い人生を構築してまいりましょう

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