見出し画像

私的1月16日(火)の独り言



「モノの捉え方」捉われない生き方とは?何なのでしょう?あなたは何に生きがいを感じますか?あなたはメディアの中の先人に言い負かされていませんか?

例えば「なぜ生きる?と問うこと」は、「高尚であると同時に愚問でもある」と思う。
「知的障害をお持ちの方の達観」であっても尊敬に値すると思うし、世界的な宗教家の思考(嗜好?)に疑問に思うことがない訳ではない。
何を持ってすれば尊敬され、あるいは疎まれるのか?情報の送り手の伝え方も受け手の気分もその時々で如何様にも変化するものです。

如何様にも受け取れる言葉を、『言葉そのものの大きさに頼る表現』では、伝える意味は半減します。「虎の威を借る狐」に終わらない為にはどうすればいいのか?難しい局面に時々突き当たります。言葉が一人歩きする・・居心地の悪い事この上ない。私はありのままで等身大の自分で正直でいたいそれだけですが・・心そのものは言葉だけでできてはいない。だから私は絵を描くのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?