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Xで話題になってる「放置子」ポストに思うこと

写真は「みんなのフォトギャラリー」から、検索ワード「独り」でヒットした、Tome館長さんの作品をお借りしています。

最近「X」(Twitter)で話題になっている、放置子との付き合い方問題。
最初にお子さんが放置子に気に入られてしまってトラブルとなりつつある保護者の方々からのポストが幾つか有って、それに応える形で、元放置子だったという方々からのポストが出てきて話題になっています。
以前は「放置子」でなく「鍵っ子」と呼ばれていましたが、これは昔からあった社会問題で、どの人が最初でどのポストに対してやり取りがなされたというよりは、それぞれの方々が自分の経験に照らして思い当たることを書く形で何人かの方が書かれてます。私も今回は同じように、どのポストに対してということでなく、自分の経験に基づいて書いてみます。

私は北陸の地方都市育ちなのですが、そこが県庁所在地でもあり、今ほどの少子化でなかった自分たちの子ども時代には、義務教育で通う学校には比較的選択肢がありました。従って、日常的に接する子どもたちの境遇にもバラエティが有るのはおかしなことではなかったです。
受験や、少子化による親の育児への注力度合いによるフィルターが有ると、お子さんたちの行動へも大きな影響が出るため、そのフィルターで濾されてきた子どもたちには一定の傾向が出てくるものですが、母体数が大きければ例外も多いというか、例外が多過ぎて対応出来ないためフィルターが機能しないといったような、なし崩しの状況となるのかも知れません。

個性的な子が居てもとにかく「普通」の範疇にカテゴライズされるということは、本当に突出(良くも悪くも)した者が見過ごされ易いという弊害も有りますが、一旦何かではみ出したことで雪だるま式に何もかもがはみ出してるに違いないと決めつけられる危険性は薄いので、敗者復活が比較的要因であるという利点は有ります。
放置子の背景には、片親、貧困、親の保護者としての資質に問題が有るなどの、放置される子の方ではどうしようもない問題が有る場合が多く(稀に子ども本人がとにかくじっとしておられず徘徊するケースも有る)、こういった問題を抱えていても「普通」の中に紛れていられることは、本人たちにとっては大切なことだったろうなと思います。
レッテルというのは、周囲からのみ貼られるものでなく、本人が意識してしまうとなかなか剥がし辛い。他の言い方だと「スティグマ(烙印)」と言ったりもします。自らの運命に自ら責任を負わせられるような、辛い覚悟が、日本の場合は美徳になって来てないでしょうか。

私自身は、そのような地元で公立の小学校を転校して2校経験し、また家が家業をやっていてきょうだいも多かったので、こういう表現は我ながらどうかと思いますが、事実を表す言葉としては「危なげのない放置子」だったなーと思っています。危なげの無い状態から危ない状態へ片足を突っ込みそうになった時期は何度か覚えていて、ある時は、家がうるさくない子どもたちの溜まり場になっていた資材置き場(ドラえもんみたいな話ですが「土管」でした😅)が有って、危険じゃないかとか近所で問題にはなってたのだけど、とうとうそこで浮浪者の遺体が見つかったという事件に発展し、新聞記者からの取材まで受けたということもあったし、また、急にものすごい進学塾へ放り込まれたことがあり、後にはに聞いたところ私があまりにもプラプラしてるもんだから忙しくさせる狙いもあったと聞くなど、それなりに色々有った。私だけでなく妹たちも、親にべったりの年齢でなくなった頃に同じようなエピソードを抱えていて、小学校の屋上から体育館の屋根に飛び移る遊びを寸出のところで思い止まったり、万引きグループと一緒にいたとかで補導されたこともあり、ギリギリのシーンを幾つか乗り越えて来て、今が有るのだと思います。

あーなんか上手く書けないな。
というか、特定の問題に直面している/して来た人たちを傷付けずに上手く書くことが出来ない。

放置子が放置子でない子たちを邪魔しなければ、問題の先ず第一段階はクリアしてるのですかね?ということ。
体験者から言わせてもらうと、放置子であること自体が必ずしもダメではないのですよ。放置子が孤独で、大人や犯罪に関わってる年上の子どもから取り込まれるような環境でなく、行き場が有ったり、ある程度の人数が居れば、自助浄化効果が生まれたりすることもある。こんな私みたいな人間の例を言ってもピンと来ないかも知れないので有名人のエピソードを書くと、経済学者の成田悠輔さんも学校行ったり行かなかったりフラフラしていた時期があった旨話されてる動画が有りましたが、あのような出会いや経験は、ある程度放置されていないと体験し得ないわけです。朝ご飯から学校、塾・お稽古、お迎えご飯お風呂と、一日中面倒見られていたら、どこにそんな隙が有るのか。
放置されることが幸せではないし、親に放置されなければ大人物になれないわけではないけれど、もし何らかの理由で放置されてしまっているのならば、そこにその子なりの生き方を見つけ、放置子が暮らせる社会が有れば良いのになと思う次第。

本当は、放置子に執着されて困ってる側の人のことも書こうと思ったのですが、盛りだくさん過ぎるとフォーカスがズレてゆきそうなので今日はこの辺でやめておきます。

いろんな家庭の事情があったり、案外個人の特性が理由で「放置子」状態になってる子、過去そうだった人たちがいらっしゃると思うのですが、
危ない目に遭わず、
劣等感を追わず、
というのは勿論のこと
放置子にしか出来ない良い経験もして、
余裕が出て来たら、放置子になれなかった奴らの社会を助けてやって欲しい。