3回名前を呼ばせて

2023年8月4日、とある愛おしい悪魔が新橋演舞場にて誕生した。その名をビートルジュースと言う。ただそれはミドルネームで、名前はローレンス。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
絶賛BJロスで、気がつけば虚空に向かって「ビートルジュース、元気ですか?そちらは暑いでしょうか?ご飯はしっかり食べてる?新しい友達はできた?」と田舎のお母さんがしたためる手紙みたいなことばかり考えてしまっています。元気です。

ミュージカル「ビートルジュース」は、原作の映画が1988年に公開、ブロードウェイにて2019年にミュージカル版が上映。
今回、ノンレプリカ版(基本となる台本やスコアはオリジナルと同じで、上映される国ごとに新しい演出やセットが加えられたりする)として日本初上陸となった。

不慮の事故で命を落とし幽霊となったアダム(勝地涼)とバーバラ(愛加あゆ)夫婦は、死後彼らの家に引っ越してきたチャールズ(吉野圭吾)と後妻のデリア(瀬奈じゅん)、娘のリディア(清水美依紗)を追い出すべく、死後の世界の厄介者であるバイオエクソシストのビートルジュース(ジェシー)の力を借りることに。

ビートルジュース 公式HPより


私個人の話をほんの少しだけ。
8年前にエリザベートという作品を通じて京本ルドルフに出会い、それがきっかけでこの世界にどぼんした私にとって、彼らを見つめてきた時間よりも長く愛してきたミュージカルという存在。
その愛すべき板の上で大好きなアイドルが主演を務めるという事実。

突然聞こえた「おいおい、初っ端からバラードかよ?」の声がもう知らない声で、ずっと鳥肌と涙が止まらなかった。
最後にキャストの皆さんに3回名前を呼ばれて、少し素に戻った表情ではにかみながらステージの真ん中に登場する姿がひたすら眩しかった。
大好きな人が、ミュージカルを、目の前で演っている!この感動は何にも変え難い宝物になりました。

ありがたいことに複数回観る機会があり、観るたびに「このキラキラと輝くエンターテイメントのイデア」をリアルタイムで応援できている喜びを感じてたまらなくなった。
そして日々カンパニーの方々から発せられる言葉から、どれだけこの27才の座長が愛されているかも知ることができた。
同時に、愛されるだけの魅力と努力と、人を愛する力に満ち溢れた人だということも再認識した。
詳細を書き始めると時間と私の涙腺がおしまいになるのでここでは割愛させていただく。

この約2か月間の感動を忘れないために、「ビートルジュース」というキャラクターに照準を絞り、備忘録を残しておきます。読み返して感じたのですが、非常に偏りのある感想だなと思います。
(他のキャラクターや、舞台そのものについてもっと話したい…いずれ体力があれば…)

諸々を許容してくださる寛大な心とお時間があればぜひお付き合いください。ここ違うよ!があればそっと教えてもらえると嬉しいです。


◾️人ならざるもの

ビートルジュースは「バイオエクソシスト」だ。
彼が高らかに歌う曲(The Whole "Being Dead" Thing)の一部から引用して説明をすると「ゾンビバージョンのジーザス」つまり、ゾンビ(死者)を人間から守る役目。
と高尚な立ち位置として言っていいか怪しいが、死者の世界に迷い込んだ人間を脅かし排除することを生業にしているようだ。

ケタケタと顎を鳴らして陽気にウクレレを演奏したり、上機嫌に有名人のモノマネをしているかと思えば、次の瞬間にスッと真顔に戻る。

普段の「中の人」とは全く違う、ゴムのような、はたまた蛇のような、長い腕をだらんと垂らしてそこにいるだけで「人ではない」と感じる立ち姿。
そして時にその手脚がその動きに追いつかないくらいに踊り狂う。私が同じことをしたらちぎれる。

そもそも関節や重力という概念にはこの人、いやバイオエクソシストには無いんじゃないか?と錯覚する動き方をする。

ふっと息を吹きかければ消えてしまいそうな繊細な声で歌っているかと思えば、喜びを爆発させた時に雷が轟いたような咆哮に近い歌声を響かせる。
BJ「俺の新しい…Best Friend!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」私「本当に……ありがとうございます……(泣)」
(※びりびりと肌で感じる音圧にただただ感謝を述べるしかない人の図)

「聞こえるか?That beautiful sound」
「悪い奴の笑い声が」

2幕「That Beautiful Sound」より

そして1番はここ。
しっっっかりと、畏怖の感情を覚えた。

同じ"透明人間"のリディアに「俺たち友達だろ?」という問いかけを否定され、1人取り残されたビートルジュース。手に入れたと思ったものはそもそも彼の手の中にはなかった。

「リディアと結婚して生き返る」という新しい目的を嬉々としてクローンたちに話しつつも、わなわなと体を震わせながら「俺を裏切った…罰だ…」と声色がどんどん黒く染まっていく姿は、めきめきと異形に姿を変えていく化け物のよう。
友達だと思っていた少女とさっきまで楽しく歌い踊っていた曲を、「」を自覚したビートルジュースが歌うとこうなるのか、と背筋がゾクゾクした。
人よりも深めに裂けた口角を手でなぞり「笑顔」を作る姿は紛れもなく悪魔だった。

手に入れたかった「本当に自分を理解してくれる存在」は今や側にいない。
たくさんの「自分」に囲まれ、一心不乱に踊り狂う姿は激しくもただただ孤独に見えた。


◾️あべこべ

死んだらどうせそのうち忘れられるから

1幕「The Whole "Being Dead" Thing」より

「透明な俺に味方はいない」
誰が気づけよ ほら、ここにいるよ
「嫌われて消えていく煙のように」「不公平だろ?こんな人生 忘れられてく透明な俺

1幕「Invisible」より

「残酷な世界よ もう2度と戻ってくるもんか」
語り継いでくれ 俺の物語を

最後の台詞

1幕冒頭で私たちにへらへらと「死んだらどうせ忘れられるから」と言っていた本人こそが「誰か俺に気づけよ」と虚空に手を伸ばしている天邪鬼さ。
そして、残酷なこの世界と別れを告げることに決めた人が最後に望んだのは「自分の物語を語り継いでもらう」こと。最後まで「誰かに気づいてほしい」と願っている存在だった。

「俺には何もない、話し相手もいない、友達がほしいんだよ」「生きてても死んでても俺のことを本当に理解してくれるやつなんていない」「孤独で自分に価値を見出せず、悲しくてやけ食いして太っていくだけ…」

1幕「The Whole "Being Dead" Thing」後に続く台詞より

「BJはセクシー!BJは賢い!高学歴の天才!」
彼は役に立つ どんなことも解決してくれる
「随分と高評価だろ?俺と組む気になったか?」「友達だろ?リディア!」

1幕「Say My Name」より

自分に「何もない」「価値を見出せない」からこそ「自分と友達になるとこんなメリットがある」で釣ろうとしていたのも印象的だった。
「友達」を対価交換で得ようとする悪魔。自分と組むメリットをちらつかせて契約を交わそうとする姿はあまりにも「悪魔的」だけど、その根本的な欲求が「承認欲求」という人間らしさ。



◾️孤独

「君はパパが嫌いなんだろ?俺はママが嫌いなんだ!」「"私も家を出ればよかった"って!」

屋根の上から飛び降りようとするリディアを見て、ビートルジュースは「俺たちは似ている」「同じ透明人間」と「友達(取引相手)」になろうとする。
あっけらかんと話すけれど、母親に「(父親と同じく)私も家を出ればよかった」と言われた過去を乾いた笑いを溢しながら話す姿は、地獄の悪魔というより家に置いて行かれた子どもだった。

そもそもリディアは「パパ」ではなく「ママのことを忘れ、私のことを見てくれないパパ」が嫌いなのであって、ビートルジュースの認識には誤差がある。

しかしふと考えてしまう。
ビートルジュースも「ママ」ではなくて「俺を見てくれないママ」が嫌いなのではないだろうかと。
「俺を見てくれるママ」との感動の再会が果たせなかった彼は、大きな蛇に彼女を食わせてしまった。
「俺たちのママ、2人とも死んだな」と軽い口調で話す彼の心の内はわからないままだ。

B)いい響きだ That beautiful sound
L)偉そうな大人たちはもう邪魔しない
B&L)悲鳴も泣き声も最高 これでもう
L)1人だわ
自由よ 私を見て 透明じゃないこの私を
大人たちは怯えて消え去った
B&L)なんて美しいThat beautiful sound

2幕「That Beautiful Sound」より

リディアとビートルジュースが大人たちがいなくなった家で歌い踊る青春讃歌のような曲がThat Beautiful Soundだ。ここで2人はさまざまな人を脅かし、その悲鳴を聞いて「自分(たち)は透明人間じゃない」実感を得る。
その歓喜が声や、表情や、何もかもから溢れて大好きなナンバー。

しかし、ここでリディアだけが「1人だわ」と歌うところがなんとも切ない。苦しい。
隣にはおそらく人生(悪魔生?)で初めて得たであろう友人を無邪気に喜ぶ存在がいるというのに。

B「俺たち友達だろ?」
L「私はママを生き返らせたいの」
B「じゃあ俺は何をすればいいんだよ!?

そしてリディアに「友達」を否定された時に咄嗟に出てくるのが「俺は何をすれば(≒何をあげれば)いいんだよ」という言葉なのが、なんともいじらしい存在だった。友達作りがへたっぴなところがいとおしい。

その後「ママにまた会える」とリディアを騙し、バーバラはじめ全員を人質にして結婚を迫るビートルジュース。
しかし彼女はその手をすり抜けてネザーワールドに飛び込み、またしても「友達」も「自分が生き返る手段」も手に入れることはできなかった。

なんでみんないつも俺を置いていくんだ?
「よし、プラン変更!お前ら全員…ぶっ殺してやる!今!」

That Beautiful Sound同様、ここでまた「悪魔度」がめきめきと高まるわけだが、それに火をつけたのが「なぜ自分はいつも置いていかれるのか」という疑問。

我儘で、破天荒で、自分の承認欲求のために周りの人間を利用し、下世話な発言も連発する悪魔。
そんな存在であるはずなのに、どこか風が吹けば簡単にぼろぼろと崩れて消えてしまいそうな繊細さが見える瞬間がある。
そのひとつの理由として、彼を1番近くで観察し、共に生きた本人の言葉をお借りするのが1番だと思う。

「寂しさが強い人なのかな。それが本性なんじゃないかなと思います。だから、ふざけた欲もあるけど、生き返って心残りを消化したいというか。友達をもっと作っておけば良かったと後悔もしてるはず(笑)」

バァフアウト ! 2023年8月号


◾️感情のジェットコースター

「死んで初めて分かる 人生の大切さを」
幸せと痛みを全て 幕が降りるまで死ぬ気で楽しんで 人生を」

「What I Know Now」より

ネザーワールドに飛び込んだリディアと父チャールズが出会ったのが手首に傷があるミス・アルジェンティーナ(死後の世界の案内人)と新人死者たち。
彼らが生者である2人や私たちに歌うのが「What I Know Now」だ。
かつて「私もママと一緒に死ねばよかった」と父親にぶつけた少女に、死者たちが「生きたい」と迫る光景は明るい曲調ながらも凄まじかった。

この「ビートルジュース」という作品を観る上で、生と死、そして私たちの人生は切っても切り離せない存在だ。
リディアと共に、観客である私たちもそれらについて改めて触れていく。
生きる喜び、そして苦しみ。平穏で孤独なネザーワールド(死後の世界)では決して得られないもの。

戻ったリディアと形式上の結婚式を行い、ひとときの人生を得たビートルジュース。
少し脱線するが、この結婚(という名のBJ追い出し作戦)で歌われるのが「Creepy Old Guy(キモおじ)」だ。
チャールズの大根芝居にも当然気づき、リディアが言う「愛と人生」にも訝しげな顔をしていたビートルジュースだったが、徐々に絆されていく姿が可愛らしかった。

「オーマイガー ファンシーに着飾って」
「花嫁を抱ける日が 来るなんて」

「Creepy Old Guy」より

元々本人が計画し、頑なに「形式的なやつだよ、国際結婚みたいな!」とあくまで手段の一つとして話していたリディアとの結婚だが、どんどん幸福に浸かっていく様子があまりにもピュアで。

その後生き返ったビートルジュースは再び殺され、新人死者となってしまうが、リディアをネザーワールドへ連れ戻そうとするジュノに対し「この子の人生は奪わないでくれ」と懇願する。

「生きるって大変だな!まるで感情のジェットコースターみたいだ!天国みたいに幸せ〜と思っていたら次の瞬間地獄に突き落とされる!」「それが人生なんだ、全ての瞬間に価値がある

たったの数分の人生、しかもそれを与えた人間に再び殺されるという顛末。
短い「生」の時間を通じて「全ての瞬間に価値がある」と悟り、そしてその機会を与えてくれた少女を実の母から庇う。
ビートルジュース、君は絶対に幸せになれ。頼む。


余談だが、作中に度々登場するフレーズがある。

Daylight come and me wanna go home
(夜明けが来たらうちに帰りたい)

 

初めて耳にするのは「Day-O」(2幕ラスト、バナナを数える歌)だ。ジャマイカの労働歌であり、日本でもカバーされたヒット曲とのこと。(このミュージカルで初めて知り勉強になった)
2幕冒頭でもこの曲のアレンジから始まる。そしてビートルジュースを追い出し、無事平和な朝を迎えることができたアダム・バーバラ・チャールズ・デリアが歌う「Jump in the Line」終盤でも聴こえてきた。

思えばこの作品において「」という存在も「死」と同じくらい大切だと思う。

同じ家にいながら父と分かり合えず、思わず「私に家なんかない」と声を荒げたリディア。
自分の全てだった妻を亡くし、だからこそ一からスタートを決めたものの娘の「家」になれていなかったチャールズ。
一見スーパーポジティブに見えるけれど、波瀾万丈な人生を過ごし、幸せを求めていたデリア。
今までの自分たちと決別し、新しい人生(幽霊生?)を新しい「家」で送ることを決めたアダムとバーバラ。

5人がきゅっとひとつになって「I'm Home」と微笑むエンディングがたまらなく好きだ。
今ごろどこかで自分探しの旅を続けているであろうバイオエクソシストの彼にも、いつかそんな居場所ができることをそっと願っている。


◾️3回名前を呼ばせて

ここからは、いちオタクとしての感想を。
(今までも十分にオタクらしいように思えるが、目を瞑っていただきたい)

このブログ冒頭で「8年前に京本ルドルフに出会って…」となんとも大層なことを書いたものの、私がこれまで観た作品数は日々生まれ続けている量に比べたら本当にちっぽけなものだ。
ただこの「ビートルジュース」という作品は、これまでの・これからの自分の観劇人生において欠かせない大切なものとなった。

目線を集める存在感、オーラ、0番が似合う人。
同時に感じたのが、膨大な台詞量、圧倒的な歌唱力、激しく動き続ける体力と思わずぎょっとする身体能力、余白でも「ふざけ続ける」こと、そして目の前の人を笑顔にしたいという欲。全てを満たしてこそ生まれるキャラクターだった。

東京公演千秋楽の挨拶で、監督から「毎公演アドリブ変えててすごいよね」とあった時のこと。
ビートルジュースがすごいだけです
そう謙遜している姿が印象的だった。そんなやわらかい人が演るからこそ、余計に愛らしい存在なのかもしれない、とその時に思った。

始まる前は不安や緊張でいっぱいな様子が伝わってきていたが、東京公演が終わる頃には本人から「再演」という言葉が聞こえてきた。
後々のインタビュー(東京楽後)で「飽きるまでビートルジュースを続けていきたい」とも語っていた。
日々あなたのことが大好きだよと思っている人間にとって、これほどまでに嬉しいことはない。
どうか(そんなことを言う人ではないが)「もうお腹いっぱい!もう充分!」とあなたがお手上げになるまでビートルジュースが観たい。色んな人に観てほしい。

そして、観劇のたびに直接拍手を届けることができることが幸せでたまらなかった。
「あなたのおかげで今日からまた頑張れる!」そういう気持ちを必死に込めて手を打った。
今の時期に、大好きなアイドルのために直接できることが限られている己の無力さと、そのうちの1つができる喜びを同時に感じていた。

たくさん笑って、たくさん泣いた。この残酷な世界の美しさや辛さに価値を見出してくれた1人の悪魔のために、私も強く生きなくてはと思った。

どうかまた、厄介で繊細でいとおしい悪魔が、私たちの目の前に現れる日が来ますように。
そしてまた笑顔で3回名前を呼ばれ、むず痒そうな、でもほっとした表情を見せてくれますように。
それまでどうか名前を呼ぶことを許してほしい。

ビートルジュース!
ビートルジュース!
ビートルジュース!