今の記憶力は不十分の恣意

 運転しながら考えたことです。

安全運転の要は何?

 安全運転の要はいくつもあるでしょうが、その一つに記憶力を上げます。
 短期記憶と長期記憶の二つとも重要です。

短期記憶

 左折しようとしている交差点の手前に、人が歩いていたのか、自転車が走っていたのか、それを追い抜くときに見ているはずです。
 歩いている、走っている、その速さはどれくらいと見ています。
 でも、いざ交差点を曲がろうとするときに、その記憶を基に判断しているでしょうか?
 安全運転を意識している人は、記憶も使っているから「危ないかも」と心配になり、左後方を振り返って確認します。
 さて、もっと優れてくると、一瞬見た歩行者や自転車の動きを憶え、自分の左折に影響するかを判断し、安全に左折します。まあ、念のために左後方ノック人はするでしょうが。歩行者がいつ走り出すかわかりませんから。

 高齢化とともに短期記憶は衰えます。
 左折の例はほんの一部です。
 短期記憶は、記憶から現在と近い未来の周囲の状況を判断する材料です。
 これが衰えると、当然、安全運転はあやしくなります。

長期記憶

 通いなれた道は事故の確率が低くなるでしょう。
 通勤のように決まった時間での決まった道ならさらに低くなります。
 慢心や油断という大敵がいることは確かではありますが、自己の確率は低くなるでしょう。
 同じ道を、時間も同じだから回りの車もいつもの車が多い状況は、記憶に残ります。
 このカーブは少し抑えめに、あの車は車線変更が多いから後ろにはつかない、あのトラックはあそこの脇道に入る。
 この経験が(少しこじつけですけど)長期記憶であり、内容が正確になるほど安全運転は確実になります。

 さて、昔はロードマップや旅行雑誌で道を調べ、渋滞しやすい時間を調べていました。今はカーナビが全てをやってくれますが、それでも事前に調べることは安全運転や渋滞の無い快適な旅行には欠かせません。
 事前調査内容をどれほどの正確さと量の多さで覚えているかは、安全運転やスムーズな運転のかなめになります。

 もっと上に行くと、ボーっと見ていたニュースの渋滞や、何気なく読む雑誌の記事を憶えているものです。
 これが運転の時に役立ちます。

記憶力の進化

 記憶力の良い悪いがあります。
 ここで言う記憶力は、文字についてではなく、五感全てのものです。
 文字を含む映像、映像を含む動画、動画と一体となった音や触感。
 それらの記憶は、毎日蓄積されます。
 覚えようと意識するしないに関係なく蓄積されます。
 この記憶をいかに的確に思い出すことができるのか。
 実際の記憶力は、この検索力にかかっているとも考えられます。
 記憶力が進化すると、より鮮明な記憶が残り、それを的確に思い出すことができるようになるのでしょう。

演繹力

 左折するときに、直前の歩行者や自転車の動きの記憶があるだけでは不十分です。
 歩行者や自転車、それにほかの車がどう動くのかを的確に推測する能力も欠かせません。
 記憶はたとえ短期記憶でも過去の情報であり、演繹はそれを活用して今という未来を予測するのです。
 演繹力が無ければ、いかに記憶力が優れていても無意味でしょう。

記憶と演繹の相互作用

 さて、ここまでくると、すごいことが始まることが分かるでしょう。
 精密な記憶が可能になり、それから推測をする演繹が精度を増し始めると、とんでもないことが起こります。

 何気なく見ていたニュースやネットの渋滞マップの記憶が、無意識に繰り返し演繹され始めるのです。
 演繹されたものは、最新の状況と比較され、演繹方法が改善されます。
 この繰り返しで、まるで道路渋滞の予言ができるような人が現れる可能性があります。

 記憶の高精度化と、演繹力の高度化だけでも素晴らしい能力になります。
 さらに、演繹結果と現実の結果を見比べて評価し、演繹の方法自体を逐次改善してゆく能力が加わると、これはもう「人間以上」の世界です。
 この三つが発展して行くと、それはもう超人の世界でしょう。

 別に情報収集しているように見えなくても、世間の動向に詳しい。
 直感で行動しているようでも、記憶と演繹で的確に判断して成功をおさめ続ける。

 外観は人の姿であっても、そのような人は、人間の次に来る種族なのでしょう。
 動物の記憶と判断力に人間が優れているように、火kれらは人間を動物と思わせるような神業的な判断を続けてゆくでしょう。

bye

ありがとー