政治が飲食店にこだわることの考察

 身勝手で、根拠もデータも無い、ニュースだけからの推論なので、非難される場合は、内容の稚拙さを指摘するだけではなく、指摘内容を詳しく教えて頂きたく、また、その場合は大いに感謝いたします。

 最初の疑問は次のとおりである。
 これほど、多人数での会食、ましてや宴会に自粛要請が出ているのに、国会議員・地方議員・知事たちの宴会が繰り返されるのは何故だろう?

 単純に、彼らは疫学に無知なのだろうか?
 しかし、知事クラスであれば感染者推移他の情報には触れているのだろう。
 では、単純に「あれは他人事。俺は特別だから大丈夫」という傲慢さなのだろうか?
 まあ、一部の「田舎オヤジに毛の生えた程度」の議員や知事はそうなのだろう。
 しかし、腐っても知事や国会議員になるためには、相当の知能が必要ではないだろうか(金や縁故の力だけの場合もあるだろうが)

 では、なぜ宴会が繰り返される?

 どうも、集票システムに原因がありそうだ という仮説にたどり着いた次第である。(仮説である 私には証明はできない)

 農業従事者が多数の場合は、昔からの農村の実力者を支持層に取り込めば集票ができたのだろう。
 しかし、農業従事者が減少し、サラリーマン人口が増加してくると、単純に農業把握だけでは集票できない。

 農業集票システムに代わって台頭してきたのが、商店街集票システムではないだろうか。
 昔から、商店街集票システムはあったのだろうが、サラリーマン率の増加で農業集票システムに対して優位になったのだろう。

 商店街集票システムは、言ってみれば、個人経営を核とした小規模店舗が作る経済的な町内会システムをここでは示している。
 サラリーマンの投票傾向は、個人の意見が優先される(だろう)から、乱暴に言うとランダムな投票となり、「有力な立候補者」間で(繰り返す、乱暴に言うとであり、さらに宗教関連は無いと仮定すると)均等に投票される可能性が大きい。
(なお、宗教での集票システムの有効性は国会の与党構成で明らかである)

 つまり、大多数がランダムに投票する中で、見た目は少数でも統率された投票を行う集団は、当選の成否を大きく左右する無視できないものとなりうる。
 極論を言うと、商店街を取り込む者が当選するともいえる(仮説であることを再度強調する)

 但し、商店街を取り込む者が当選しやすいのは、人口規模が小さい、市町村長と議員であろう。
 人口が大きくなる場合は、単純には言えないし考える能力も無いので、大きく飛躍すると「市町村の集票システム」を取り込んでいる『市町村長・議員』が支持する、都道府県知事・議員と国会議員が当選する確率が跳ね上がる(だろう)。

 結局、市町村レベルでの集票システムの基本原理は、ランダムに投票する大多数の中で、少数でも統率された投票をする集団を制するものが当選すると集約できる。(株式でのホールディングの仕組みに似ている)
 さらに、都道府県や国レベルでは、市町村レベルを取り込んだ者が当選できる。

 と、ここまで仮説を作り上げて、ようやく、宴会への出席の理由に納得できた。
 飲み食いしたくて宴会に出たのではない。(当然だろう)
 集票システムを取り込む必要性から「俺は、国会議員さんと宴会ができる」「知事と新年会をやったよ」と自慢したがる「街の有力者」との宴会は、コロナなど無視できるほどに重要なのだ。

 ちなみに、小池都知事に代表される、「議会とねじれている知事たち」は、上記の仮説では説明できない。
 彼らの場合は、特別なカリスマ性や、旧来の知事への嫌悪感など他の要因が当選を招いたものと考えられる。(これも仮説である)

 以上、今まで不思議に思っていた「日本の民主主義と選挙」「立法府であるべき国会議員の立法での無能さ」について、各所で引っ掛かりはあるものの、恣意的に何とか納得することができた。

 最後に繰り返す。
 これは仮説であり、さらに、少なすぎる情報と不十分な解析能力しかない者の愚考である。
 単純に批判するより、愚者を正道に導くために、罵詈だけではなく、愚者でも納得できるご指導をいただければありがたい。
 なお、長文読解は体力が持たないので、長文での「ご指導」は無視する、いや、読まない傾向が多いことはお許しいただきたい。

ー以上ー

ありがとー