小山田と小林を同列に論ずる愚を恣意 小山田問題はいじめの根源である

 オリンピック開会式の2名が問題となった。
 マスコミは二人を同列に扱っているように見える。

・小山田の過去のいじめ問題
・小林のユダヤ人問題

小山田の罪ははるかに重い

 某県の元知事の「国際問題に発展しかねない小林案件」を深刻視する意見がある。
 しかし、深刻さでは逆なのである。
 小山田案件の方がはるかに深刻である。
 そして、小山田問題を小林案件でスルーする某元知事などの評論家の態度は、被害者への思いやりが無い「加害者の意見」でしかない。

 さて、小山田のいじめ、いや、実際は残虐な暴行事件、あるいは、暴行の教唆である事案は、現在でもトラウマを持つ複数の人間を作り出している。
 小山田の言を信じるならば『誠意をもって謝罪』したくとも面会すら拒否するほどの強度のトラウマを持った人たちが現存しているのである。

 確かに、小林案件のユダヤ人問題はヨーロッパ的な大事件であり虐殺であった。それをギャグに使う点では問題があるだろう。
 しかし、小林の脚本の続きに「テレビで放送できない」という趣旨のセリフが付け加えられているほどに、小林自身も事の「まずさ」を認識している。

 それに反して、小山田の行動は、雑誌インタビューですら、つまりその発言が公にされることが明らかでありながら、暗に自慢をしている、あるいは誰でも若い頃はやんちゃだよね 的な、事態の深刻さを把握していない態度が見られる。

 いずれにしても、小山田案件は、小山田の行動や教唆で極度のトラウマを持たされてしまった犠牲者が多数、フラッシュバックを背負いながら生活をしている
 ユダヤ問題に例えれば、虐殺から辛うじて逃れ得た人たちに対してヒトラーが生存しているに等しい問題である。
 ヒトラーは既に亡く、ドイツ政府も、ことあるごとに謝罪を繰り返し、賠償を行っているのである。

 小山田と小林を同列に扱うことは、異常である

 小林案件は、たとえ国際問題になろうが、日本人の甘さを正式に謝罪すれば、まだ何とかなる問題である。
 そして、正式な謝罪はユダヤ人社会には受け入れられるだろう。
 それに対して、小山田案件は、謝罪することすら、被害者から拒否されている。そして、それに対して真摯な行動がとられている気配もない

国際問題であろうがなかろうが、
苦しむ人たちがいる
現在生活していることが
重要なのだ

 2つを同列に扱う、あるいは小林案件を国際問題に絡めて重要視することには、大いに疑問があり、被害者への考慮や思いやりが全く感じられないものだと悲嘆している。

 そして、日本では、このような評論家が多すぎることにも嘆きを感じる。

bye

ありがとー