アスリート貴族と眷属にうんざりして、冬季五輪の札幌の皆さんに警告します

 五輪でも優遇されるアスリート達。
 一般人は制限してでも交通の便を取ってあげる。
 一般人は我慢してても、バブルの中なら制限緩和は仕方がない。
 濃厚接触者でも、最新PCR検査が陰性なら競技、つまり仕事ができる。

 余裕があれば、そして、度を越さなければ笑顔で譲るものでしょう。
 頑張ってきたアスリートに、思いっきり実力が発揮できる環境を提供してあげましょう。
 ・・・余裕があればです。

もう我慢の限界が近い

 しかし、コロナでの一般人の我慢は一年以上続いています。
 自分は良くても親としての自分が、夏休みを楽しめない子供、キャンプにも行けない子供、給食をパネルに囲まれて談話もせずに黙々と食べる子供を持つ親だったら、我慢の限界が近いのです。
 自分の事よりも、子供の苦労は耐え難いのです。
 アスリートの親が、「今まで頑張ってきたのだから、せめて」というのは理解できると思います。
 子供を持っていれば当然の感情と理解します。
 しかし、アスリートの親は他の子どもたちの苦行を考慮しているのでしょうか?
 全国の小中学生の生活は、体のいい極度の管理生活です。
 そう、塀の中の生活にも似ている生活です。

 コロナ対策をしていても営業制限される飲食店はどうでしょうか?
 山梨県のように前向きな行政は「認可されていれば営業する」・・・とは違って、人手が足りないとか人口が違うという言い逃れをして、十パひとからげで制限しようとする無能な国と地方行政犠牲になっています。
 コロナ対策をしている飲食店も、今では無法といっても良い深夜まで営業する一部の悪徳店のせいで悪者扱いされます。
 これも我慢の限界です。

 夏です。
 当然プールの季節です。
 でも、東京の区内のプールは人数制限で、朝に並んでも入れるのは午後の五時 六時は当たり前になっています。
 五輪のアスリートたちは炎天下に並ぶ必要も無く、道路も専用や優先道路ですいすいと移動でき、最新設備のゆったりとしたプールで泳いでいるのにです。

 五輪ボランティアも危機に面しています。
 アスリートには優先的にワクチンが接種されています。
 でもボランティアへの接種を組織委員会が考慮し始めたのが、つい最近という体たらくです。どう言い訳しても現実がそうです。。
 ボランティアはバタバタと感染しても交換が利くとでも考えているのでしょうか?
 組織委員会や五輪大臣からは多数のボランティアでも、個人から見れば大事な一人です。
 今になって五輪大臣が苦しい言い訳をする。
 組織委員会からは謝罪の意思すら見えません。

 五輪村に特設された医療設備にも疑問があります。
 東京都は重症者増加におびえているのに、五輪専用の治療設備が高額な予算を使ってアスリート専用に用意されています。

眷属が腹立たしい

 五輪貴族と呼ばれる各国の『五輪への貢献者』たちとその家族。
 五輪に名をかりてうごめく業界人やスポーツ評論家
 そして、取材で手柄を立てることに目の色を変えている日本や世界のジャーナリスト達
 彼らはアスリート貴族達の眷属です。

 百歩譲ってアスリートへの優先は我慢しましょうか?
 しかし、なぜジャーナリストに入国での優遇や特例を認めなければいけないのでしょうか?
 何故、15分だけはバブルから抜け出せるのでしょうか?
 小学校では室内ではマスクを外すことすらできない雰囲気なのに。

 コロナ感染で苦しんでいる入院患者や自宅療養者の神経を逆なでするような、スポーツ評論家たちのはしゃぎよう
 五輪の話題が増えればスポーツ評論家の出番が増え、当然、キャリアアップや収入増につながります。
 元テニス実力者の高身長評論家。なでしこサッカー評論家。
 枚挙のいとまがありません。
 そして、負債だけを残した長野冬季五輪の会社関係者だった評論家は五輪は特別だからと言い張って、五輪に文句を言う人たちを見下します。

 アスリート本人が優遇され、好成績を皆が喜ぶのは理解できます。
 しかし、なぜそれに群がるスポーツ評論家やジャーナリストまでがはしゃぐのでしょうか。
   感染の症状で苦しむ
   家族の感染で心配し苦悩し
   早すぎる親族の死に直面する苦悩と絶望
   感染での経済悪化で苦しむ弱者
   感染の自粛生活で精神を蝕まれて苦しむ
   ひいては自殺まで考え・・・
 ニュースでも取り上げられている『惨状』にもかかわらず、はしゃぎ、興奮を盛り上げようとするスポーツ評論家やジャーナリスト。

 アスリートたちよりも、これらの『眷属』の所業は、我慢を強いられている一般人の神経を逆なでします。

札幌の皆さん まだ間に合うかもしれません

 日本が経済成長期にあった時、まだ貧しかった時、そして戦争の影を引きずっていた時の五輪は意味があったのでしょう。
 しかし、豊かになり、経済も世界基準で言えば(アフリカや南米や中近東を見てください)回っている日本で、あえて『意味のない、言葉だけの平和の祭典』を開催する意義があるのでしょうか?

 感染症が続く可能性もあります。
 ワクチン接種がいきわたるのは今年2021年内(年度内ではありません)は無理でしょう。
 さらに、変異株がワクチンを凌駕する可能性もあります。
 極端に言えば、別の感染症すら考えられます。

 単に恐喝しているのではありません。
 人の行き来、人流を基本とする五輪は、感染症にとっては絶好の感染媒体なのです。
 五輪を契機に観光業で経済活性化する?
 移動と宿泊と外食、そして、非日常で興奮することを前提とした観光業が感染症に対応できるようになるには、まだ数年はかかるでしょう。
 それも、観光業界が本気で取り組んだ場合です。
 今のコロナ禍が少しでも静まれば、のど元過ぎれば・・・で、感染対策への取り組みは急減速するでしょう。
 そして、一般市民の意識も急速に低下して、コロナ以前の無防備な生活に戻ります。

 世界基準で言えば豊かになって経済が回っている今の日本に、一般市民にこれほどの我慢を強いる五輪が必要なのでしょうか?
 利潤を貪る少数の者たちは、五輪は特別だから、アスリートのためだからという美辞麗句を武器に開催への道を推し進めます。
 でも、日本全体はそれで利益を得ているのでしょうか?

 日本の経済ではありません。
 日本人の生活が利益を得ているのでしょうか?

 子供たちが夏休みを謳歌できていますか?
 人生で一番楽しめる二十前後の時期なのに、コンパすらできない若者たちは人生の素晴らしいピークの一つを逃しているのではありませんか?

 国民の生活であり、経済ではなくもっと広い意味で、
五輪は利益になっていますか?

 経済負担や将来の負債を考慮して五輪を辞退するところも増えています。
 市民の反対で断念するところも出てきています。

一部の業界の経済や一部の人たちの名誉だけでなく、
市民全体の生活、子供の生活として
五輪は『良いものなのでしょうか?』

 これから冬季五輪が開催される札幌の皆さんには、一考の時期だと恣意します。

bye

ありがとー