ラーメン屋でラーメンを売る商売は失敗する

 よほどの天才でない限り失敗する。

食べるのは価値

 ラーメン屋で食べるのはラーメンではなく、食べる側の価値観である。
 高級フランス料理店で、『紳士淑女』が食べているのも、価値観である。

 例外はもちろん有る。
 ラーメンではなく、食事を売っている近所のラーメン屋さん。
 ラーメン屋と言いながら、作っているのは食事であり、近所の根強いリピーターで成り立っている。
 もう一つの例外は、本当の天才料理人の場合である。まあ、これはまれにしかいないし、天才料理人でも経営には凡人である場合が多いので、長続きはしない場合が多い。

 元へ戻ろう。
 話題のラーメン屋で食べているのは、ラーメンではなく雑誌の評判や高評価、その他もろもろであり、それを読んで価値観を感じた客が来店する。
 その客は、期待をもって家を出て、電車に乗り、不慣れな場所を訪ねてやってきたのである。
 彼は、彼女は、高評価なラーメンという評判を食べ、旨いと納得し、自分の行動に価値があったと満足する。

 つまり、評判のラーメン屋では、そのラーメンの価値観が食べられている。

 極端な例が高級レストランである。
 星いくつとか、明治時代からの老舗とか、歴史の偉人がご贔屓だったとかという価値。
 高級な店構えと躾の行き届いた従業員。
 高価な食器に、インテリアと家具。
 周囲の客さえも高級感を醸し出す上流階級の雰囲気。
 フランスから空輸された食材。
 そこで食べているのは、高級という雰囲気であり、それを好ましく感じる価値観である。

テーマパークとしてのラーメン屋

 つまり、高級レストランは、飲食店ではない。
 高級感というテーマパークであり、着飾って来店する客たちは旨い料理だけでなく、高級感に酔っている。
 自分が価値を見出す高級感という価値に酔っている。
 同じように、ラーメン屋もテーマパークなのである。

ラーメン屋が旨いラーメンを出すのは当たり前

 ラーメンのたとえに戻る。
 旨いラーメンを出すのは当たり前なのだ。
 商売として成功するためには、他の価値が必要なのだ。
 今までなかった〇〇味。
 一週間煮込んだフォンドボーも顔負けの極上スープ。
 大量の背油が醸し出す背徳感が増幅させる満足感。

 つまり、コマーシャルで言うキャッチコピーである。

 ただ旨いだけのラーメンでは人は集まらない。
 集めるためには、旨いラーメンという価値に追加される価値が必要である。

売っている商品が良いのは当たり前である
それに加えて客に価値を感じさせえる商売でなければ失敗する

bye

ありがとー