婚姻制度って…

先日、唐突に夫に
「俺、前世でお前と兄妹だったんだと思う。だから放っておけないし、でも気に食わないし存在が鬱陶しい。縁が切れない」
と言われた。
気に食わないやら鬱陶しいとは、全く失礼な話である(笑)
ただ、気持ちはわからなくもない。
夫がいきなりしっくりきてしまった様に、私もしっくりきた。
だって、私だって気に食わないもの、あなたの事。

さて。どうでも良いが、兄妹のような夫婦という事で話を進めよう。
家庭内でのパワーバランスを考えると、どう考えても私が姉である。
しかしそれは勘弁してほしい。
なので
「おにいちゃん」
と呼んでみた。
「おう」
若干嬉しそうなところが、もう鬱陶しい…笑

そう、上記のやりとりをしているように我が家の夫婦仲は別に仲は悪くない。
でも、深い話が出来ないのである、私たち。

そこで思う。
夫婦ってこんなもんなの?
いつも疑問に思う。
そしてよく言われる。
「夫婦ってそんなもんじゃない?」
私がここ数年よくぶつかる壁、そして疑問。
そんなもんって何?
妥協して続けていくのが結婚生活というものなの?
籍を入れる必要ってあるの??
離婚するとキズ物って表現てどこの立場から来てるの??
というか、結婚してれば偉いの?
守る物がある者は強い、社会的信用…わからなくもないけど、時代錯誤な感じもする。

そもそも、こんな事を思う私は婚姻に向いていないのだと思う。
そして、他人様の婚姻やら離婚やら、全く関係ない話であって、そこに思考を深く持っていかれている場合ではない。
なのに、結構考えることがある。


20代前半で結婚して、子どもは2人。
一見順風満帆。

結婚したい人からすれば贅沢な悩みなのかもしれないけど、当時から私は苗字を変えることにものすごく抵抗があった。
正直、今でも新姓はあまり好きではない。
どの位抵抗があったかというと、入籍の時に号泣した位。
今思えば、結婚する事が嫌だったのかもしれない。
今まで築き上げてきた私がどこかに行ってしまう様な、そんな気がしたのを覚えている。

その時点で、適正なし!と、辞めればよかったのかもしれない。
しかし、夫にしろ私にしろ、長く付き合ったら結婚する。
という思い込みがあった様に思う。
幼い頃からの摺り込みというか。
とにかく『普通』は結婚するよね。という、常識というか定石というか…

婚姻によって失われる
キャリア、生涯年収の差、出産育児のブラック面、そこんところをもっときっちり考える機会があったとして。
そうしたら、私は入籍していただろうか。

たらればになるけれど、おそらくしていないと思う。
こんなに自分の時間がないと知っていたら。
他人との関わりのない閉塞的な時間が何年も続くと知っていたら…
日本は、そういう婚姻、妊娠出産子育てに対するマイナス面を教育しなさすぎだと思う。

共働きも今や『普通』
保育園に預けてフルタイムも『普通』
だけど、どちらかが家に入るとなった時に女性(又は母親)がキャリアを諦めるのも『普通』の世の中だと思う。
なので、例えば夜に出かける時に、私は夫や子どもの夕飯の心配をしなくてはいけないし「子ども達は置いてきて良かったの?」とか「大丈夫だった?」とか『普通』に聞かれる。
夫は、接待などで飲みに行く時に家族として予定が入っていないかの確認はするけれど、子ども達のご飯やお風呂や次の日の用意の事を考える事はないし、実際出かけた時に「夜でてきて大丈夫だった?」と聞かれる事もないだろう。
私も、男友達と会う機会があったら多分聞かないと思う。
それが『普通』である。

そこで、本題に戻りたい。
一体入籍とは何なのか。

今の私には『拘束』『執着』といったマイナスワードの方が多くが浮かぶ。
社会的保障だったり、いざという時に連絡がきたり、相続だったり。
確かにメリットはある。
しかし、相手がいる事に胡座をかいている感は、夫も私もある。
もし、入籍していなかったら相手にいつまでも好かれる様に努力したりするのかもしれない。

くどくどくどくど書いてみたけれど、我が家は割と仲の良い夫婦だし、家族みんな健康で現状特に大きく困っている事もない。
ごく一般的な家族なのである。
だけど、お互いに兄妹と思わないとやってられん!と思っているし、
相手に対して嫌気がさしているし
いなくなればいいのにって思うこともある、結構ある。
それでも、戸籍で繋がっており、かつ戸籍から互いを抜くほどには今は嫌っていない。
しかし、これから先の人生、ずっと一緒に生きていく…と思うと、少々、いや、かなり気が重い。

今は子どもたちの親として、共に責任を果たして貰わねば困る。
一緒に居たいという気持ちではなく、責任感と義務で繋がっている様にも思う。
親子にしてもそうで、そうなってくると…婚姻とは。
ではなく、家族とは。血縁とは。と更に壮大ななにかになってしまう。

結局入籍しようがしまいが、きちんと“家族”としての話合いを持つ。
妻だから、夫だからこうであるべき、という自分達以外の決めた『普通』に捉われず、2人の『普通』を作り上げるべきなのだと思う。

自分の中の『普通』が確固たるものになれば
独身だろうが既婚だろうが結婚しようが離婚しようが
幸福を感じられるだろうし、自分を保っていられるんだろうな。
とそう思う。
そして、早く多様な『普通』がある日本になればいいのになって、そう思う。

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