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幸運は自分の人生にも在る、ということ

美 少年の横アリ初単独公演に足を運んだ。一年ぶりの美 少年のライブだった。まずは、初の横アリ単独公演ほんとうにほんとうに、おめでとうございます💐 ライブが選曲も演出も構成もMCも歌もダンスも、どれをとってもほんとうに素晴らしくてとってもたのしかったことは言うまでもなく、ただこの人生の幸運をきちんとここに残しておきたくて今日はnoteを書きます。


振り返ってみれば、しあわせなことしか起こらなかった横浜の2日間だった。ちょっとこわいくらいに。わたしはこれほどの幸運を貰ったことがなく、そしてこれまでの人生でこんな幸運を貰える側の人間だと思っていなかったので、あまりにも自分の人生において起こるはずの出来事ではなく、なんというかただ信じられなかった。そんな人生じゃなかったでしょ、という気持ちになった。そんな2日間だった。



アイドルのファンサ。わたしにとってのそれは、見ることがうれしくてたのしいものだった。自担がファンサをする姿が好きだ。なぜなら、アイドルであることが如実に表れる瞬間の一つであると思うから。ファンサをするりゅうがくんの姿は眩しくていとおしい。やさしい顔で、ファンサをすることが大好きという表情で、一つ一つのうちわに丁寧でありながらもたくさんのファンに応えていくりゅうがくんを見るのが、ライブの楽しみの一つであり、大好きな瞬間だった。
でも、ファンサを求めることに対しては消極的だった。わたしは自分自身の容姿を好きになれず、ずっと自信がなく、これほど長くジャニーズのオタクをしていて、何度もライブに足を運んでいてもファンサを求めることをしようとはしなかった。自己嫌悪とネガティヴにまみれたような人間で、自担の視界に入りたくないという気持ちすらある。ライブの空間でファンサを求めてうちわを持っている自分を想像するだけでも、自己嫌悪の感情が勝らないことはなく、ファンサうちわを作ろうとしてこなかった人生だった。ファンサをもらえるほどの席に入ったこともなければ、それがさらに、やっぱり自分はファンサなんて求めちゃいけない人間なんだと思う気持ちを強くさせていった。

今回のアリツアでは有難いことに何公演か入れることになり(これも人生初の多ステだった 多ステってまだ言いますか?ジュニアの界隈だったら当たり前のようになっていますか?)、せっかくならうちわも作ってみようかなという気持ちが少しだけ沸いた。入場するまでは席も分からないし、席によって持つか持たないか決めればいい、当日の気分で待たなくてもいいや なんて思えると、作る気になった。人生で初めて作るファンサうちわだった。作り始めたものの、これを持つ自分を想像するとやっぱり自分で自分を気持ち悪いなって感じたり、やっぱり自分には無理だ〜なんて思ったりもした。抵抗感を拭いきることはできなかった。
当日入場して画面に示された席はスタンドの上のほうだった。うちわを作ってきたものの、今日は出番はないかなと思った。連番した大好きなフォロワーが、もしスタトロがあったとしたらここを通るんだよって教えてくれた。レポを見て来なかったわたしたちは分からないまま、もしあったとしたら、それはやばいよね〜なんて話をしていた。

ライブが始まった。それは後半戦だった。うきしょくんがメンステの方から上がってきて、スタトロがあると悟ったとき、わたしたちは驚いた表情で顔を見合わせた。ほんとうに来るの?!やばい!!と思った次の瞬間にはもうスタトロがスタートしていた。りゅうがくんが来ると思った瞬間、きっとこんなチャンスはもうないんだって思った。これまでのわたしが思っていたこと、ツイッターで話したことと矛盾も甚だしいほどに、ファンサを求めている自分だった。りゅうがくんは奇跡のようなタイミングでこちらを見てくれた。わたしのうちわの「龍我くん」という文字が目に入ったようで2秒くらいうちわを読んで、ニコッと微笑んでくれた瞬間だけが頭に残っている。バチっと目が合って感電したような感覚だった。震えた。放心状態とはこのことで、正直その後の数曲の記憶はない。ただ隣にいる大好きなフォロワーと顔を見合わせて喜び、泣き崩れた。

終演後会場を出るとき、ほんとうに息をするたび心臓が痛くて(笑)、ふらふらになってしまいそうな感覚があった。人間って、幸福を浴びすぎると危険なのかもしれない。思い返せば、少年たちで初めてステージに立つりゅうがくんを見た日も同じ感覚だった。

わたしはあの瞬間、あれほどに見るのが大好きだったりゅうがくんのファンサを自分のこの身に向けて、貰ったのだった。大好きだった笑顔がただ一つ、自分にだけ向けられた瞬間。単純にしあわせだと表現するには勿体ないほどの、幸運としあわせを浴びた。ほんとうにうれしかった。

ファンサってすごい。あの瞬間、わたしは肯定された気がしたのだった。わたしも龍我担でいていいんだって思えた。つよくはない人間だから、自分で自分を肯定することはむずかしい。これまでもりゅうがくんへの思いや熱量に自負はあったけれど、正直自担からもらうファンサ以上に、龍我担である自分を肯定できるものは、わたしにはなかった。それはりゅうがくんがくれたつよい肯定だった。ずっと一方的な関係が変わることはないし、変わってほしいとは全く思わないのだけど、あの瞬間だけは届いた、そして貰えたという感覚。こんなにうれしくてしあわせなことはない。りゅうがくんを好きでいる日々を幸せだと思わなかったことはないけれど、ただりゅうがくんを好きでいてよかったなぁと思ったり、これからもりゅうがくんをずっと好きでいたいと思ったりした。



幸運なことはこれで終わらなかった。次の日の公演で引いた席はアリーナだった。たかがアリーナ席かと思う人もいると思う。アリーナ規模でアリーナを引くことはめずらしくないのかもしれない。でも、わたしにとっては13年ぶりに入るアリーナ席だった。13年前、人生で初めて行った嵐のライブだった。今回のことで思い出したけれど、一時期めちゃくちゃアリーナに入りたかった時があって(笑)、当時嵐垢で仲良かったフォロワーとお互い絶対にアリーナ入ろうね!入れるね!なんて言っていたのを思い出して懐かしかった。でも結局、叶わなかった。身近な友達や家族がアリーナを引いているたび、羨ましく思う気持ちは止まらなかった。わたしにはきっとそういう幸運は巡ってこないんだって、そういう星のもとには生まれてない人間なんだって思うことでしか、気持ちを消化することはできなかった。そういう幸運が巡ってこないたびに、思い込む気持ちはつよくなった。ずっとそう思っていたし、信じるしかなかった。

席から近くで自担を見たとき、MCで話す6人を肉眼で見たとき、曲で舞い上がるキラキラを浴びたとき、「美 少年!」という名を叫んで降ってくる銀テを見上げたとき、それを掴んだ瞬間、これまで味わったことのないしあわせを感じた。ずっと羨ましがることしかできなかった、叶えたかった場所に、わたしも行けたんだと思った。



自己嫌悪と悲観のつよいわたしは、変えられない自分自身の性格に、何度だって自分のことがきらいになる。わたしの人生ってなんでこうなんだろうなっていつも他人を羨ましがることをやめられない。いつも届かない幸運を羨ましく思って嫉妬して、そこに辿り着けない自分は置いていかれてるような感覚があった。ファンサもアリーナ席も、わたしにも起こってくれたらいいのにって思っては苦しい日が何度もあった。

美 少年は、りゅうがくんは、この横浜で、そんな幸運がわたしの人生にも在るということを教えてくれたアイドルだった。わたしの人生はそういうものなんだって決めつけて思い込んでしか生きられなかったわたしの、自己嫌悪と悲観の呪縛をゆっくり 少しだけ解いてくれたような2日間だった。これまで他人を羨んで自分を悲観して生きてきたけど、あなたにも幸運がちゃんと在るよって自担が教えてくれたことがうれしくてうれしくて、何度も泣いた。

りゅうがくんと、美 少年と、歩む人生は幸運なものなのかもしれないなと思った。彼らがくれるしあわせが大好きだと思った。それだけでも嬉しくて、絶対に忘れることのできない思い出になった。



これからもきっと自己嫌悪と悲観という自分の性を、自分の思い通りに失くすことはできない。それでもこれほどの幸運がわたしにも在る人生だと教えてもらったこと、幸せをもらったことを無駄にしないように、自己嫌悪と悲観に走ってしまうときには、少しでもこの横アリの幸運な2日間を思い出したい。人生の分岐点に立って将来の重要な選択をしなければいけない今年は、大変なこともたくさんあると思う。でもりゅうがくんの笑顔を思い出すだけで、きっと大丈夫大丈夫って思える。きっとがんばれる気がするよ。あ〜〜生きれるなぁ(泣)(泣)って思ったこと、ずっと憶えていたい。そして、これからはりゅうがくんと美 少年がくれたこの幸運なわたしの人生を大切に歩んでいきたい。


改めて横アリ初単独ほんとうにおめでとう!
そして、溢れるほどのしあわせをありがとう。
りゅうがくんと美 少年をこれからもずっと好きでいたいです。


念願の横アリまで連れてきてくれてありがとう
一年前の春と同じ構図で


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