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LEBECCA boutiqueは確実に、わたしの「推し」だった

LEBECCA boutiqueが、ブランド終了の発表をしたのは4日前。さまざまな媒体での、えるさんの言葉、LEBECCA boutiqueのスタッフの皆さんの言葉、LEBECCA boutiqueを愛している皆さんの言葉、この4日間、その一つ一つを追いかけ、反芻していた。そしてわたしも自分の想いを言葉として残したいとそう思い、このnoteを開いた。


わたしがLEBECCA boutiqueと出逢ったのは2019年の4月のこと。ブランドディレクターである赤澤えるさんの、とある一つのツイートだった。

このツイートに載っていたワンピースの写真を見たとき、ただ単純に〝めちゃくちゃ可愛い!!着たい!!〟と思った。自分の着る服に無頓着で、大量生産されていて1000円ほどで買えるような服しか着てこなかった自分が、心から〝着たい〟と思うワンピースに、そしてそんな服をつくるブランドに出逢えたことは本当に運命のようなことだったと思う。



わたしは、根っからのヲタク気質であり、物心ついたころから好きなアイドルや自担、推しがいた。考えてみれば、初めて自担を好きになったときから一日も欠かさずに、自担や推しのいる生活をしている。それのない人生を経験したことがない。何かを大切に愛することにこの上ない幸せを感じ、誰かに沢山の愛を注ぐことを生き甲斐としているのだろう。そんな風にしか生きれないことに、時には自己嫌悪を感じ、時にはそんな自分を愛した。それが自ら捨てることのできない、纏わりついた自分の性だった。だからこそ、新しく好きになったグループで自担が見つかるまでは何かよくわからない歯痒さを感じていたし、自担から降りようかと迷ったときはどうしようもなく生き辛かった。そして、その気質はアイドルや自担や推しに留まらず、それ以外の自分の好きなものやことにまで発揮されていた。


自分自身でそれに気付いたのが正に、LEBECCA boutiqueのブランド終了のお知らせだった。

ただ呆然として、〝寂しい〟〝悲しい〟〝ショック〟以外の言葉が見当たらなかった。そして、えるさんのnoteの文章やツイートの言葉、さまざまな人が、LEBECCA boutiqueに向けて贈った言葉の数々を拝見し、涙が溢れた。そのことに自分で驚いた。〝あ、わたし、LEBECCA boutiqueも一つの「推し」だったんだ〟と。

赤組にも入っていないし、持っているワンピースも本当に数着である。好きだという割に何も持ってないじゃん、と本当に文句を言われそうだ。たった一万円ほどのワンピースであっても、高校生のわたしには手が届かず、大学生になったこの一年も、自分で買えたワンピースはほんの数着だった。いや、手が届かないというより、手に入れる努力をしてこなかったのだと思う。だからこそ、ブランド終了のお知らせを知り、思わず涙が溢れた自分に自分で驚いていたし、これほどに好きだったんだ、他の自担や推しと同じように沢山の愛を注いでいたんだ、わたしなりの生活の一部のような存在になっていて、LEBECCA boutiqueにも生きることを支えてもらっていたんだ、ということに気付かせてもらった。



わたしはずっと、えるさん、そしてLEBECCA boutiqueの皆さんの仕事への向き合い方に感銘を受けていた。

この投稿を読んで感激したわたしは思わず母に、この投稿を読んでみて欲しい!LEBECCA boutiqueというブランドがつくる服だけでなく、えるさんやLEBECCA boutiqueの皆さんの姿勢が好きなんだと伝えた。読んだ母には、「仕事をするってそういうことだと思う、これは当たり前のこと」と返され、想像していた反応をされなかったわたしは少し寂しかったけれど、もし母の言うことが本当にそうなのだとしたら、まだ何も知らないわたしが、「仕事をすること」について知った瞬間だった。そう思うと嬉しかった。何より、自分たちはこういう姿勢で仕事をしているということを丁寧に伝えてくれたえるさんのことが更に好きになった。



手に入れることのできた服はほんの数着だけど、一つ一つに大切な思い出と自分なりの愛がある。初めて手にしたのは荻町さんプロデュースの「出会いを届けるワンピース」だった。

このワンピースのデザインを見たときに一瞬で心を奪われ、リリースするにあたっての荻町さんの一連の投稿を読んで更に〝絶対に手に入れたい〟という気持ちが強くなった。綴られた文章を読んで、当時高校3年生だった自分と何か重なるところがあると烏滸がましくも思ったわたしは、初めて直接DMを送り、感想を伝えたりもした。1000円ほどで買える服しか着てこなかったので、このとき初めて親に「一万円するけどお願いだから買って欲しい」と、涙を流しながら伝えた。最初は反対されたが、LEBECCA boutiqueの魅力や、このワンピースに込められた物語を必死に伝えながら、最終的には買ってもらうことができた。いま思えば、一着のワンピースが欲しいために、泣きながら説得する自分はなんて滑稽なのだろうと笑いが溢れそうである。

でもこれが、いつだってわたしの生き様だと気付いたとき、どうしようもなくまた涙が溢れた。

ヲタク気質を発揮し、好きなものに一生懸命になって、沢山の自分なりの愛を注ぐこと。そして、自分自身のそういう行動や感情、時間によって自分の人生を支えていること。LEBECCA boutiqueも例外に漏れずその一つであったのだ。



LEBECCA boutiqueと出逢ってからわたしの夢は、レベッカの服だけを着る生活だった。大学生になってアルバイトを始めたわたしも、そのお金を何に使いたいですか?と聞かれたら、「好きなアイドルや推しを応援すること」と、「LEBECCA boutiqueの服を買うこと」だと胸を張って答える。逆に、それ以外にお金を使いたいものが見つからない。4月から新たにバイトを掛け持ちし始めるわたしは、レベッカのお洋服を一着でも多く買えるようになりたいし、好きなアイドルの公演の遠征のために使いたい、と心を弾ませていた。何の疑いもせず、「お知らせ」を楽しみにしていたわたしはいま思えば、間抜けだった。そして、レベッカのお洋服でクローゼットを満たし、毎日レベッカの服を着るという夢は叶えられないのだろうかと、ショックを受けた。生きている限り当然のことながら服を着なければならないし、この先、着る服がないとは言わないが、もう〝心から着たいと思う服を着れなくなるのかな〟なんて考えるとどうにも嫌である。



でもこのお知らせを知ると同時に、叶えたいと強く思う、いや、叶えなければならないと思う夢もまた一つ生まれた。

それは、「LEBECCA boutiqueの赤いワンピースを纏って、自担に逢いに行くこと」である。これは元々、わたしが今年の夢の一つにしていたことだったが、叶えなければいけない夢になった。LEBECCA boutiqueといえば、赤というイメージがわたしにはあって、レベッカのつくる絶妙な赤が好き。レベッカにしかつくれない、あの赤が好きだ。ただ、わたしは赤色のお洋服をほとんど着たことがないし、似合うかどうかも分からない。赤いワンピースにずっと憧れていた一方で、果たしてそれを纏うことができるのだろうか、と思っていた。

そんなときに出逢ったアイドル、一人の自担の、メンバーカラーは赤。運命だと思った。これはもう、レベッカの赤を纏って自担に逢いに行くしかない、と。インスタに保存したお気に入りのレベッカの赤。その赤いワンピースで満たされた画面を見ながら、レベッカの赤を纏って自担に逢いに行くことを、夢見ている時間はこれでもかと思うほどに幸せで、その夢を絶対に、叶えなければならないという決心がついたように思う。絶対に叶えたい。



自分の着る服に無頓着だったわたしが、初めて心から着たいと思った一着のワンピース。えるさんの言葉通り、LEBECCA boutiqueのお洋服には衣としての服以上の、価値があることに気付かせてもらった。時にはLEBECCA boutiqueのワンピースが、気弱なわたしを包む心強い存在になってくれることも知った。本当に魔法のようなお洋服をつくる、わたしの中での世界一のブランドが、終わる。



わたしの好きな言葉がある。

〝Some things are more precious, because they don't last long.〟

思えばこの数ヶ月間で、ずっと大好きだったアイドルグループは活動休止をした。今の自担は活動自粛をし、もう一度アイドルとして生きることを選んだ。大好きなブランドは終了する決意をした。この数ヶ月のうちに、自分の「推し」たちが揃ってこの言葉の意味を改めて感じさせてくれた。終わりがあるから、わたしが好きなものは、他のものより貴重で大切で眩しくて、宝物のように思えるのだと。LEBECCA boutiqueと自担、「推し」で満たされた自分のインスタの投稿欄を見て、本当に宝物のようで、なんだか涙が出るほど幸せな気持ちになった。


LEBECCA boutiqueが与えてくれたものは、服だけではなかった。LEBECCA boutiqueのつくるお洋服にときめきを感じ、そのときめきを実際に自分の身で纏うという経験。そして、自分の大好きなものに精一杯の自分なりの沢山の愛を注ぐという経験。その意味でLEBECCA boutiqueは確実に、わたしの「推し」だった。宝物をまた一つ貰った。好きなものが、沢山ある人生は本当に豊かで幸せだと思う。そして好きなものに、一生懸命に愛を注ぐことのできるわたしを、わたしは素敵だと思う。そんなことを改めて感じさせてもらった。



最後に、

わたしはLEBECCA boutiqueが本当に大好きだ。自己肯定感がこれっぽっちもないわたしも、LEBECCA boutiqueのお洋服を纏っている瞬間だけは、自分のことを少しだけ好きで居られる。LEBECCA boutiqueのお洋服を纏うと幸せになれる自分を、LEBECCA boutiqueに対するわたしなりのこの想いを、わたしはずっと忘れたくない。手に入れたほんの数着のワンピースを、ずっとずっと大切に着続けたい。

LEBECCA boutiqueというブランドは、終わる。それでも最後の最後まで、LEBECCA boutiqueを愛し、存分に纏って生きていきたい。そして、いつまでも〝好きなものに、一生懸命に自分なりの愛を注ぐことのできるわたし〟で在りたい。


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