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「幸せになりたい」という言葉に私は抵抗感がある


「幸せになりたい」

この願望は、現代の人間の生きる意味だし誰しも、願わないはずがないだろう。

人は幸せになりたいから生きている。人生の究極ゴールが「幸せでいたい」と答える人も多い。

とても純粋な願いだ。しかしこれは、社会学的に考えると文化的な受け方に影響されていると考えることも出来るのではないだろうか。

現代のこの社会的な構造が、私達にこの願望を抱かせているという、いわば幻想ということはないだろうか?

幸せになりたい、という考え方は西洋的な考え方だという。人々は自分の好ましくない状態を神に願って叶えようとした。その為の宗教をみつけ、独自の幸せ追求に徹する。神から提示されるお告げというビジョンと、その為に自分が成し遂げるミッションが重要視された。

一方で、東洋思考的はゴールを見つけず、世界観の追求を目指していく。茶道だって、花道だってあらゆる武道の根源的な考え方だ。

つまり有り様や在り方を考えるという事。有り様を続けていくということに重きを置いている。

よくDoingが西洋思考とBeingが東洋思考だと言われている。

そして、「幸せになりたい」という言葉は 

「状態+want(願望、欲求)」だ。

これを口にだしたら同時に、幸せな状態では今ない、と。だからなりたい、という現実の否定に繋がる。最高幸せ度数は表せないというのに!


とまぁそんな事を考えて私は、東洋思考の有り様を追求の方が、無理をせず自然体でいられると思っている。なので、今は東洋思考を採用している。文化的な思考ではなく、どっちの、思考が現在心地いいのかで考えたら楽になると思う。

だから私は、「今幸せですか?」という問いに対して、ある意味思考停止させた状態で「幸せです!」といいきり、今ここの現在に意識を集中させていきたいと思います。

なんか幸せの話しすると、スピリチュアル感あるなww

今日はこの辺で!




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