テアゲス(知恵について)–3
今回も引き続き彼らの話について行く。これまでのおさらいとしては、
・生物は、生まれさせるのは容易だが、生まれさせた後の育成は容易ではない
・何かについて議論する場合、そのテーマについての理解を共通のものにしておく(今回は知者)
・知者とは、その人の造詣のあることがらについて知識のある人。
・知識とは、何かを支配・抑制することを目的として持つ。
こんなところだろうか。プラトンの作品は、読み進める過程で様々な気づきがある。そこら辺の本との大きな違いである。
123E
(テアゲスの求める知恵が、人間を制し、支配するためのものであることがわかった。そこでソクラテスは次に、その支配が、どのような人間に対するものなのかを尋ねていく。(病気の人間を支配するのは医術、体育の練習をする人を支配するのは体育術…)テアゲスは、そうした特定の人間を支配する術ではなく、国家社会のうちにある全ての人間を支配する術を知りたいのだと答える。)
支配の対象から、「支配する」という内容の具体化を図ろうとしたソクラテスの問い方は、まさに相手の言わんとしていることを明らかにしよう、この一点のみを追求した知的活動になっている点は見逃せない。常に相手が言葉を通して指し示そうとする内容、それを理解しようと努める姿勢は、見習うに値する。
124C
次にソクラテスは、テアゲスのいう「全ての人間を支配する」人間の性質について尋ねる。
まずソクラテスは、アイキストス、ペレウス、ペリアンドロスのような人々の行う支配、これがテアゲスの求める支配の術であるかどうかをテアゲスに問う。テアゲスはこれに同意したため、続けて、上記の人々のような人間をなんと呼ぶのかを問うた。
テアゲス「独裁君主という呼び名だと思います。」
ソクラテス「そうすると、その国のうちにいる全ての人間を支配しようと望むものは皆、この人たちがおこなったのと同じ支配、つまり独裁支配を望み、独裁君主たらんことをのぞんでいるのではないかね?」
テアゲス「そのようです」
ここがテアゲスとしてはもっと考えてから解答してほしかった。支配のありようについて、必ずしも僭主制をとる必要はないこと、そしてそのような支配の術を、自分が望んでいるのかどうかについて。ソクラテスの出した今回の問は、論理的必然性を必ずしも持っているわけではないのだから。(知者の定義は、曖昧な回答を許さないすばらしい尋ね方だったが。)
まとめ
今回は決定的な帰結がもたらされなかったので、まとめはなし。
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