気持ち悪い~小室圭・真子妃殿下の報道に思う

先日、秋篠宮殿下が「娘」である真子妃殿下について、結婚は認めると発言をしたという。お相手の小室圭氏、そしてその母親をめぐる金銭トラブルなど、まぁ我々の考える皇室にはそぐわない話ばかりが飛び出してきたこの件だが、小室氏の金銭トラブルなどは、正直さしたる興味がない。報道が事実だとするならば(事実のようだが)、小室氏親子の金銭感覚は、我々一般庶民から見れば相当にアレなわけだが、そんな人間は腐るほどいる。小室氏が皇室の縁戚になることについて、それも天皇陛下の義兄になるという気持ち悪さは、多くの人が抱いていることだろう。

それよりも私が気持ち悪く感じるのは、真子妃殿下だ。「好きな人と一緒になりたい」。この気持ちは解る。しかし、それが許されるのは一般庶民においての話ではないだろうか。皇室と言えども一人の人間というならば、皇族として受け取ってきた様々な恩恵についてはどう考えているのか疑問が残る。

皇族の方には、ほぼ自由な生活はあり得ない。生まれた時から特別視され、周囲の人々の期待に応えることを余儀なくされる。自分が望んで生まれたわけではないと言えばそれまでだが、その対価は受け取っているはずだ。さしたる生活の苦労もなく、美術展に行けば、混雑を避け、館長自ら案内し、心ゆくまで鑑賞できる。どこか地方に行けば、その土地の代表者が最敬礼をもってもてなす。こうした行為を受けるのは「我々のような気楽さもなく、国民と国家の安寧を祈り続ける」という、皇族への対価であるように思う。

真子妃殿下も、生まれてこの方、そうした尊崇の念を受けながら暮らしてきたはずだ。そして国民の多くは、皇室には気高くあってほしいと思うからこそ、そうした対応にさしたる不満も抱かない。好意を抱くという感情は、理屈ではないため、真子妃殿下が小室氏を好きなのは自由だ。しかし、そこには制限がある。かつて秋篠宮殿下が発言したように「国民の多くが祝福する状況」があって、初めて結婚もなされるべきなのではないだろうか。

この件に関しては小室氏に対する報道(概ね批判的だが)は溢れかえっている。しかし真子妃殿下の考え方に対しては、一切の批判も報道されていない。これこそが皇族というものであり、世間と隔絶された特別な存在である証だ。

昭和20年以降、皇室は「国民に愛される存在」であろうとし続けてきた。上皇陛下御夫妻などは、それを体現されてきたからこそ、皇室という存在に対して多くの人が肯定的な感情を抱いている。今回の真子妃殿下の行動は、そうした感情すらも破壊しかねない、極めて危険なものだと思う。

皇族の方には申し訳ないが、やはり皇族は我々とは別の世界で生き続けてほしいと思ってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?