穿

お父様のお父様がどういった方だったのか、わたくしは覚えておりません。

            む        、

が  ぐ
       は        な
           ム

   わわ               む


いつもこうしてお一人ですか。


煮ょ      と       炎

         さ  ャ   /(^o^)\さ   と   ら
。    4                 ぎ
            な

    ほ              妻


近頃は非常に寒くおいででありますね。深い眠りにつくことというとのは非常に幸せなこと

        と存じておりま    すゆえ、2ヶ月ほど前に
あらたしく蒲団を  かい      たし

たのでありますが、 これがまた温かくなんだかやさしい香りのいたします。空閑。


空                       


お拭きいたしますね。お父様の顔というのは、肉というより、原子という感慨を懷きますわ。つまりね、とてもきめ細やかで、無駄なところがなくて、けれどまじまじ見ているとどんどん焦点が合わなくなってくるのでありますね。どこかお父様には確率的なところがございます。お父様には確率的なところがあるのね。きっとそうだわ。

最近本をお読みいたしましたの。題名は忘れたんですけれどもね、面白い本でしたわ。内容は忘れたのだけれどもね。


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お父様

音というのは、どうしてこんなに不器用なのかしらね。というのもね、音というのがある種の波形とそれの感知だとするとね、これは非常に不合理ではありませんこと。だってね。宇宙は無音なわけでしょう。この宇宙では、音があるところより、音がないところの方が多いのでありますね。にも関わらずね、私たち生物というのはたかが数億年かそこらで、ううん、もっと短いわね、もっと短くていいわけですね。きっと数千万年、数百万年で、音というのに親しんだわけよね。たとえばね、目がありますね。目は、分かりますね。目ですね。目は、合理的ですね。というのも、物体というのが必ずあるわけです。たとえあなたがあなた以外何もない場所にいたとしても、そこにはまだあなたがいるわけですね。その点で、あなたがいる以上物体というのがかならずある。とすると、この物体の感覚として、目が養われるわけですね。だってあなたという物体がいるんですから、そして物体というのは位置と形を原初として持つわけですね。そうすると、この位置の性質の表象としての目がでてくる。たとえあなたに目がなくともあなたは今私が"ここ"にいるという悟りがある。ですから、そうなるわけですね。"今ここ"から"一秒前のここ"が演繹され、位置が演繹され、それらが頭脳の中で立体地図として知覚された瞬間に、私は私を客観的な"視"点で"見る"ことになるわけですからね。勿論こういう言い方は進化論として良くないんだろうけどね、いいじゃないですか。ね。ですから目は合理的ですね。ただ耳というのはどうにも非合理ですね。なにせ音というのは悟りではないですね。盲目の人間はそれでも位置を知るだろうけれども、聾唖の人間は音を知らないでしょうね。彼の世界からは音というのが奪われている。というよりもね。お父様、音というのは世界の要件ではないですね。だって音がない場所があるんだもの。位置がない場所というのはありませんけれども、音がない場所があるんだもの。だから音は世界の要件ではないですね。なのに、どうして我々は音に気付いたのかしら。なぜ私は今こうして話しているのかしら。思うにね、命は、他者への志向性を持っていますね。というのも、内なる目だけでなく、物理的眼球を持つのは、やはり自分以外の何かへの警戒心でしょうからね。それにおさまらず、音というこのより遠隔の手段も命は備えたんでしょうね。命は他者を無視できるようにはできていませんね、恐らくね。ですからわたくしも今こうしてここにおるのでしょうから。そうですとも。そうでしょうとも。ですからこうしてここにおるのですよ。また海に行きたいですね。海でございますね。海であるわけですね。海は涼しいから。



海                       夢






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