ベネチアの亡霊 感想

オリエント急行殺人事件があまりにすごすぎた。あれは神がかりのものだった。でもベネチアの亡霊は頑張ってた。「ベネチアの亡霊」ということでホラー的な映画であることもあいまってカットはいつもよりアクションが抑えめで、序盤は特に気合が入った美しいシーンが多かった。

ポアロはホームズとはまた違った解決法を用いる。ホームズは理論的だ。ホームズは所謂「アブダクション」、帰納法と演繹法どちらの要素も持った独特な演算をする。ホームズは結論が導かれるまで決して自分の推理を口にすることはない。事件の状況からそれを説明する仮説を頭の中で生み出し、部屋を隅から隅まで這い回り見つけた証拠から仮説を検証していくとともに、また新たな仮説を生み出し……。そうして最後に残った一つの仮説は、真実となって我々の前に姿を表す。一方ポアロは感情的だ。状況から予想されるいくつかの仮定的推論をもとにして、その場に居た容疑者たちにあわせて不利な推論を突きつけ詰問することで精神的に追い詰め、彼らを動揺させ、本心を吐露させる。作風の違いもあるだろう。ホームズは推理小説だ。つまり、ホームズと犯罪者との知的対決の話だ。一方ポアロには群像劇めいたところがある。事件が起こったその場に居た全員には秘密にしてきた過去がある。ポアロにおける事件の解決とは、そうした人々の心の傷を癒やすことでもある。つまり、ポアロの傷は癒やされることがないということだ。それでもそれに向き合っていくという、そういう話だ。

ベネチアの亡霊は頑張っていた。しかし良かったかと言われれば疑問符がつくかもしれない。ポアロの推理は面白みに欠ける。それが状況の不気味さの演出に一役買ってはいるが。しかし私はオリエント急行を思い出してしまう。彼の推理と知識の冴えは実に見事だった。乗客たちの秘密を瞬時に見破り、圧倒してみせた。そして何よりオリエント急行においてその完成度を高めているのが、音楽だ。いい映画にはいい音楽がつきものだ。後の二作にはそれがない。雰囲気に合わせた音楽程度のものでしかない。見終わったあとつべでサントラを検索したくなるようなものではない。ラストシーンのピアノの旋律が頭から離れない。音の粒が目と耳から私の脳の中に入っていって、今でも増殖を続けている。そんな音楽は簡単には生まれない。だから仕方ない。

仕掛けはしょうもない。予想の下を行った。ある意味で驚きではある。男の子も、どうなんだ。びっくりしたけど、うーん。そういうこともあるのかな。


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