HesitationSnow カバーを受けて

 2023年1月14日土曜日、「fripSide phase3 FAN MEETING in Yokohama -後夜祭-」が開催された。FC会員専用のイベントで、筆者は参加していないのだが、イベントが終了したと思われる時刻にTwitterを見ていると、次のような文字が流れてきた。
「ヘジテ」
ん?

一瞬フリーズするも、脳はすぐに事を理解した。理解する事を拒もうとしつつも、おそらくは「HesitationSnow」が3期メンバーにより歌唱されたという確信に近い予感は電撃のように頭を駆け巡った。
その後はタイムラインに張り付き、確実な情報を待った。
セットリストを確認すると、初っ端に「HesitationSnow」の文字があった。

ついに来てしまったのか。

これが僕の抱いた最初の感情であった。

そして脳みそをブン殴られたようなショックと、冷たい感覚が広がっていった——。

 今回大仰にnoteなど書いているが、僕にとってnoteというのは「お手軽なブログ」ではなく「長いTwitter」で、呟きがクソ長くなるからnoteを書いているだけなのでそこはご理解ください。またこのnoteは現行fripSide及びそのファンを含め、特定の人物を批判するものではなく100%ただの主観である事をご了承ください。

 先ほども述べたように、ヘジテがカバーされたことに対する僕のファーストインプレッションは「ショック」であったが、何日か経ってもこの事について考えてしまう事があり、一時的な衝撃だけではなく様々な感情と思索が渦巻いていた。なのでこの事について自分の考えている事をまとめようと思ってnoteを書くことにした。

 ヘジテに限らず、fripSideが過去の楽曲をヴォーカルを変えてカバーすることには賛否両論がある。ここまでの記述からすると僕はどちらかと言うと否の立場にいることが想像できると思うが、実は必ずしも全面否定派ではない。

 そもそも(fSにおける前phaseの楽曲の)カバーというのは、前任のヴォーカルがユニットを去ってしまった後も当該楽曲をライブで聴いたり、新たに編曲し直したりすることができるもので、本来これ以上拡張の余地がなくなってしまった楽曲に新たな展開を可能にするものである。また3期以降にfripSideに出会ったファンに過去の楽曲を知ってもらえるチャンスを増やすものとも捉えられる。
だから、カバーを歓迎する事はごく自然なことに思われる。
 だが、それは同時に、原曲に慣れ親しんだ人間が「想い出をわざわざ引っ張り出して変えられてしまった」と感じる可能性を孕んでもいるものである。「想い出」と呼べるほどその曲に思い入れのある人間が、それを神聖化して改変してほしくないと思う心理もまた、不思議なものではないと思う。

 このように賛成と反対は面裏一体であることが多く、一概に是非を問うことは難しい。

 しかし僕は「HesitationSnow」のカバーにはマイナスな感情を抱いてしまう。
 これは前述したように100%主観的な感情である。はっきり言って、fripSideが過去の楽曲をカバーする事を客観的に悪だと言える要素はほとんどない。何の権利も侵害していないし、カバーなど他のアーティストもごく普通に行う一般的な行動だ。

 ところが、fSにおいては、「公式の同じ名義で違う後任のヴォーカルがカバーする」という現象が起きる。ここが僕にマイナスな感情を抱かせる点である。
 そもそもfripSideの過去のヴォーカルは二人とも、現在もソロで歌手活動を続けており、しかしfripSideは脱退している。「歌えなくなった」わけではないのに後任のヴォーカルに後を譲っているわけである。すると、亡くなったわけでも歌手を引退したわけでもないので物理的には彼女らもこの曲を歌うことが可能な状態で、しかし彼女はステージに立つことはなく、ライブでは彼女の後釜が彼女たちの曲を歌っている、という状況が起きる。
 この状況に身を置くと、彼女らは既にfripSideからはいなくなってしまって、自分の知っていた(1期時代はリアルタイムで知らないが)fripSideが過去のものとなりつつあることが如実に理解できてしまう。また「自分のよく知っているあのヴォーカルではなく、後任のヴォーカルが歌っているのか……」といったことがどうにも頭をもたげ、純粋にライブを楽しむ気持ちを阻害してしまう。
 これは、fripSide3期のファーストライブである京都公演に参加したときに実際に感じたものだ。

 それどころか、ライブ現場に行かなくとも、カバーされたという事実そのものに対して、(自分の知っているオリジナルの)その楽曲が過去のものになってしまったという気持ちになる。
 これが僕の受けたショックの多くを占めていたのである。

 また、一般的にある得ることとして、「リアレンジされた楽曲に対し、編曲が好みでない」ということがある。しかしヘジテについてはカバーは(現在)音源化されておらず、またライブでの披露も僕は聴いていないので、そこは今回の件には関係がない。実際に聴いてみるまでコメントは難しい。

 しかし、また同様に考えられる「ヴォーカルが原曲の方が好み」については、これもまた僕がヘジテのカバーについて否定的になってしまう要因である。実際に聴いて見ないことには断言できないが、僕はHesitationSnowにおける南條愛乃の歌唱も、楽曲というひとつの作品の中の大きな部分を占めていており、またそれが今までの3期新ヴォーカルの歌唱から推測するに、その僕が好きだったヘジテの歌声を代替することは極めて難しいと予想されるからである。これはシンプルながら大きい部分である。

 もちろん、編曲についてもヘジテのサウンドは本当に好きなので、実際に聴いて編曲が気に食わなかった場合は大きなマイナスポイントになり得るが、これについては断定できないので、今回は大きな理由とは言えない(ヴォーカルよりは想像しにくいためなんとも言えないということである)。

 総括すると、僕はカバー、リアレンジという行為を客観的に否定する意図は何らなく、完全に個人的な考えとして、原曲が本当に好きなためそれを改変して欲しくないという気持ちと、ヘジテという楽曲、自分の知っている2期のヘジテが過去のものになったということをより明確に思い知らされたことによる悲しさと、気に入っていたヴォーカルが変更されて恐らくは僕の好みから外れてしまうだろうという予想の3点があると思っている。

 また、HesitationSnowは僕の中では本当に最愛の楽曲の一つとしてすぐ名前が挙がるほどの存在であり、fripSideにハマってから約6年半ほどに渡って聴き続けてきた楽曲であるから、今回の衝撃は大きかった。
 6年半など古参のオタクの皆さんからしたら大した時間ではないかもしれないが、現在20歳の僕にとっては人生の1/3近くを共にしてきた楽曲である。
 また、1期の好きな楽曲については2期から既に一部カバーされているが、これについては僕がfSにハマった頃から既にカバーが始まっており、最初からカバーされてしまうものなのだと思っていたこともあり、純粋にヴォーカルが合わないなとか音が昔の方が好きだなとかは思っていても、カバーが発表されてものすごいショック、ということはなかった(あぁ、またかと半ば諦めのような感情であった)。
 しかし、いよいよ自分が現役時代をよく知っている2期の楽曲もカバーされ始めたことで、ショックを受けるようになったのだと思う。

 結局、単に僕はfripSide2期卒業という事実を受け止めきれていなかったのではないだろうか。

 これを機に、僕としてもfripSide2期卒業と向き合い、今後ももちろん最愛の曲たちは聴き続けながらも、ライブ現場については他のアーティストへ目を向け先へ進んでいく事をより真剣に考えなければならないなと思った。なお、もちろん6/17のfripSide All phaseフェスには参加したく思っており、今後も同様にfripSide1,2期再集合のチャンスがあれば必ず戻って来たいとは思っている。

HesitationSnowは本当に世界一いい曲

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