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vol.02 親父はおらへんけど家風は正しい

~もしも福澤諭吉が関西弁で「福翁自伝」を書いたら「わし、こんなんやで」~

■親父はおらへんけど家風は正しい
 わしらの兄弟は、幼少のときに中津のやつらと方言とか服装が違ったから、結構大変な思いをしたんやけど、家風はめっちゃ良かったんよ。
 厳格な親父は死んでたからおらへんねんけど、おかんと子供でなかよく暮らして、兄弟喧嘩なんか一回もしたことない。「世間と同じようなしょうもないことことはしたらあかん」て育てられたんや。何か特別な教えがあったわけちゃうし、おかんも別にやかましい人ちゃうかったのに、自然とそうなったんは、やっぱり親父の教えとおかんのセンスやろなぁ。
 具体的な例を挙げたら、三味線なんか聞こうとも思わへん。あんなもんわしが聞くべきもんちゃうわ、ていう考えを持ってる。
 例えば、夏になると中津には芝居があるねんけど、その時には藩から通達が出るんや。
「藩士たるものは、芝居なんか絶対見たらあかん。住吉の社の石垣より外に行ったらあかんで」とかいう内容が書いてあって、一見えらい厳しそうに見えるけど、まぁ言うてただの通達やし、しょうもない士族らは脇差を一本指して、変装して芝居小屋に入るんやわ。
 もしそれを見つけて悪くいうたりしたら、逆ギレしよるから、怖がって誰も何も言われへん。一般人は金払って行っとんのに士族は変装して、威張ってタダで見とるんや。
 そんなしょうもない奴らもおる士族の中で、芝居小屋に行かへんのは、うちの家くらいやったわ。絶対行かへん。「ここから先進入禁止」て言われたら、絶対行かへん。何があっても。
 おかんは一言も芝居のことなんか子供に言わへんし、兄貴も見に行こやって言わへんから、うちの家では全くそんな話にならへん。そら夏は暑いからもちろん涼みには出かけて行くで。でも、その近くで芝居がやってても、見ようともせえへんし、どんな芝居やってんのかな?とも思わへん。そんな家柄やったわ。

 前にも言うた通り、死んだ親父は役人として勤めるのが不本意やったんや。せやったら中津なんか無視して、外に出たらよかったのに、全然そんな気はなかったみたいやわ。どんな不満があっても我慢して、安い給料に甘んじてたのは、まぁ当時の時代背景考えたら自分で働き先を決めるということが出来ひんかったのもあったんやろな。正味、今でも親父は気の毒やったなぁて思ってる。

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