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vol.10 第二編 長崎遊学

■はじめてのオランダ語

 それから長崎に出かけた。一八五四年の二月、、二十一歳の時やった。
 その時、中津では横文字を読めるやつはおらんかっただけじゃなく、そもそも横文字を見たことあるやつすらおらんかった。都会やと、百年も前から洋学はあったんやけど、なんせ中津は田舎やから、その類のものは一切なかった。
 ところがその頃はちょうどペリーが来た頃で、アメリカの軍艦が江戸に来たていうことは田舎でも皆知ってて、同時に砲術のことがえらい議論されるようになってきてた。

 砲術を学ぶやつは皆オランダ流で学ぶんや。その時に兄貴が、「砲術を学ぼうと思たら、絶対原書を読まなあかんわ」とかいうてて、正直わしは何を言うてんのかわからんかった。

「原書って何?」て聞いたら、「原書ていうのはオランダで出された横文字の本や。今、日本に翻訳書ていうのがあって、西洋のことが書いてあんねんけど、ホンマのこと知りたいならやっぱり元のオランダ語の原書を読まなあかんわ。お前トライする気ない?」と返ってきた。

 漢文読んでても、わしの右に出るもんはおらんかったし、オランダ語でもいけるやろと思って「人間の文字なんやったら、横文字でも何でもやったんで」と返したんや。
 そんなことがあって、兄貴が長崎に行くのに同行させてもらってん。長崎に着いて、はじめてアルファベットを習ったんやけど、これがまた苦労したわ。今じゃそこら中に横文字なんて溢れているけど、初め見たときはかなり苦戦したもんや。アルファベット二十六文字覚えるのだけで三日もかかったんやから。でも、毎日やってたらすぐに慣れたわ。

 ちなみに、この時長崎に行ったのは、オランダ語なんてどうでもよくて、くそみたいな中津を出たいってのが本音やってん。何でもええから口実にできるもんがあったら、利用して出たろて思ってたし、この時はほんまに嬉しくて、全く故郷に未練なかったわ。二度と戻ってくるかボケ!、て思って唾吐いて出てきたんを今でも覚えてる

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