サムネイル

vol.03 門閥制度は親の仇や

■門閥制度は親の仇や

 親父の生前にこんなことがあったんや。
 今から考えたら、福澤家は「長男に相続させたらええ」、ていうのが親父の考えやったんやけど、5人目にわしが生まれてしもた。
 生まれたときは痩せとったらしいねんけど、骨格がしっかりしとったから、産婆が「この子は乳さえやったら、絶対でかなるし、立派な子になるで」て言うたらしいのよ。ほな親父がめっちゃ喜んで「ええやん。こいつが大きくなって十歳くらいになったら、寺に出家さすわ」て、いつも母に言うてたみたいやねん。
 そのことをおかんがたまに、わしに話して「お父さんがなんでお前を坊主にするて言ってたんかはわからへんけど、今お父さんが生きてたら、お前は寺の坊主になってたはずやわ」て言うとったわ。
 大人になった今、その時の親父の言葉の意味を考えるとわかる気がするんや。
中津では身分が全てを決める封建制度で、箱の中にきっちりモノを詰めたように秩序立ってて、何百年経っても全く変わってへん。家老の家に生まれたやつは家老になるし、足軽の家に生まれたやつは足軽になるし、先祖代々、家老は家老、足軽は足軽、その他のやつらも一緒。いつまでたっても変わらへん。何をしても名前を残すようなことは出来ひんねん。
 そんな中、寺の坊主というのは、何でもない魚屋の息子が大僧正のような偉い坊主になったていう例が何個もあるんや。だから親父がわしを坊主にするて言うたのは、そうやって生まれつきの身分以上に息子を偉くしてやろうという親心やったんやろなぁ。
 こう思たら、父の生涯、四十五年のその間、封建制度に束縛されて何もできんと、むなしく不満をもったまま、この世を去ったことはホンマに残念や。また小さいわが子の行く末を思って、これを坊主にしてでも出世させたろうと決心したその辛さと愛情の深さ。わしはいつもこのことを思い出しては、身分家柄絶対の封建の門閥制度にむっちゃムカつくとともに、亡き親父の心を察して、ひとりで泣いてまう時があるねん。わしにとったら、門閥制度は親の仇や。
 知っての通り、わしは坊主にならへんかった。坊主にならんと家におったから、学問をせなあかんかったんやけど、誰も世話してくれる人がおらんかったんや。わしの兄貴やいうても兄弟の年の差なんか八歳しかないし、その間はみんな女の子や。おかんも一人やし。
お手伝いさんを雇えるような家でもないし、おかんが一人で飯を炊いて、食事を用意して、五人の子供の世話をせなあかんかったから、なかなか教育の世話までは手が回らんかったんや。
藩の風潮で、ちっちゃい頃から「論語」を読むとか「大学」を読むくらいのことはするけど、どんどん奨励するようなやつは一人もおらへん。本読むのが好きな子供なんておらんやん?わしが特別本が嫌いやったわけじゃないで?子供はみんな嫌いやん。まぁ、わしは中でもめっちゃ嫌いなほうやったから、超サボってたけどや。まぁ実際、読み書き全くやらんかったからね(笑)

サポートいただいたお金は、こんな僕を育ててくれた母ちゃんに還元したいと思います。