偏差値45の私立中学校に受からなかった話
私は学校の勉強が苦手だった。 (というか未だに苦手)
3-4年離れた兄二人は賢くて
教育ママ?だった母ちゃんは、兄達が学校のテストで100点取ってこなかったら怒っていたが、私が80点とったら褒めてくれた。
兄二人は不公平だと言っていたが、「まぁ、俺も本気出したら100点とれる」とか根拠もなく思ってた
でも、本気が出せなかった
というか本気出してたんだろうけど、最高でも80点が限界だった。
50点切ることも多々あった。
単純に勉強が苦手で、嫌いだったので
絵ばかり描いていた
授業中も気がついたら落書きしてるような子供だった
図画工作だけはいつだって真剣だったし、飛び抜けて上手かった。
でも、高学年になると学校のテストで安定して50点を切るようになってきたので
心配した母ちゃんが、地元の塾に入れてくれた
兄二人はお受験のために浜学園(進学塾)に行ってたけど
私は入ることすら出来ないレベルだったので
私が入ったのはFランク大学卒の怪しいおじさんが経営してる塾だった
そりゃまぁ酷いもんで
生徒のレベルも低かったが(お前が言うな)
先生のレベルも低く
何言ってるか全然わからなかった
宿題忘れたら、体罰されるのだけは覚えている
今だったら刑事事件じゃねぇかと思いますが
宿題忘れは2回目からはスタンガンを1秒当てられる
常習犯は5秒くらい当てられる
ホント嘘みたいな空間だった
私は宿題忘れの常習犯だったし
成績は全く伸びなかった
6年生の秋頃に三者面談があって
おじさん講師が「頑張れば〇〇中学なら行けるかもしれません」と言った
偏差値45くらいのところだったと記憶する
うちの母ちゃんは「そんなとこ行かすくらいなら地元の中学行かせます」
と言って
それ以来その塾は辞めた
勉強嫌いな私は、ラッキー!と思ったが
一方で、少し自分自身に不安になったのと
母ちゃんが負け惜しみであんなこと言ったんじゃないかと思ったのもあって
「頑張って勉強して〇〇中学受かったら行かせてくれる?」
と聞いてみた
母「さっきも言ったけど、あんなとこに金払って行かす意味なんてないから、行かせへんよ」
私「でも、地元の中学なんて俺よりアホなやついっぱいおるし、ヤンキーもおるやん。それよりは少しでも賢いところ行った方が、将来賢くなれるんじゃないの?」
母「偏差値45の私立には偏差値45のやつしかおらんねん。確かにそれよりアホはおらんかしらんけど、それより賢いやつもおらん」
私「そんなんわからんやん。今は45でも、3年勉強して70とかなるやつおるかもしらんやん」
母「おらん」
私「なんで?」
母「もしそういうポテンシャルがある子なら、親がそんなところに行かせないから」
母「地元の中学は、どうしようもないヤンキーもおるかしらんけど、東大京大行くような賢いやつもいる。ほんでまたそういう色んな子らの中で揉まれるのも勉強やねん。社会に出たらヤクザから医者弁護士までおるやろ?
自分が勉強したいと思ったら賢い子と付き合ったらええし、別にそこそこでええと思ったら、そこそこの子らと付き合ったらええ。どれになるかはお前次第やけど、そんな子らを知らないとなられへんわな」
私「、、、」
母「お母さんはお前を賢い子やと思ってるから、あんな中学には行かせません」
結局中学受験はしなかった。
したところで、落ちていただろうし。
で、実際地元の公立中学校3年間で色々あって
なんとか成績は伸び
高校は進学校として有名なところに入ることが出来た
すると母から
「お前は兄二人と違って勉強の出来ひんコなんかと諦めてたとこあったけど、よー頑張ったな!」
どないやねん!(笑)
「お前は美術的な才能が抜群やし、本人がやりたいならそっちの道行ってもええかな思ってたんやわ。ま、勉強が出来ることは悪いことじゃないからええやん」
まぁ、でも結果
私をそこまで伸ばしたのはお母ちゃんのあの時の言動が影響してることは間違いないし
文字通り上から下まで色んなやつらに揉まれて
自分自身人間の幅が広がったなと、今になったらよくわかる
自分が親になってから改めてこのエピソードを思い出した時
親の一挙手一投足が子供にとって大事なんだなと思うので、浅はかな言動で子供を潰すようなことだけは避けたい
PS:ちなみに長男は非常に成績が良かったが途中で潰れてしまって中学受験を失敗し、反省した母は次男にお受験を辞めさせて地元の公立に行かせたという経緯があっての私のエピソードだということを追記します。
サポートいただいたお金は、こんな僕を育ててくれた母ちゃんに還元したいと思います。