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Vol.11 活動の始まり

■活動の始まり

 長崎に行って、初めは光永寺っていう寺を頼ったんやけど、そのうち山本物次郎ていう地元長崎の役人で砲術家を見つけた。しかもそこに中津藩の家老の息子、奥平壱岐っていう奴が砲術を学んでるっていうことがわかったから、その縁で、山本の家に居候が決まったんや。


 これが私の本来の活動の始まりや。もう正直なんでもやったわ。先生が目が悪いから、代わりに時勢論とか漢文で書いてある書大家の本を先生に読んであげたし、またその家に十八歳の一人息子がおって、そいつがまたあんまり賢くないからそいつの家庭教師をしたのも仕事の一つや。


 山本の家は貧乏やったけど生活の水準は高かった。借金もあったから、その借金の期限の引き延ばしとか借り換えとか、書類の代筆とか全部わしがやった。召使が男女一人づつおったけど、どっちかが休んだらその代わりをやったし、掃除はもちろん、先生の背中を流すのもわしの仕事やったんや。
 また先生の奥さんが猫も犬も他の動物もめっちゃ好きやったから、その全部の世話もわし。もう全部の仕事を引き受ける、超便利な人間やった。しかも愛想も良いから、だんだん山本家から気に入られ始めて、ついには「養子にならへんか?」て先生に言われる始末や。
 わしは物心つく前から、叔父さんの養子になってたもんやから、それを言うたら「なおさら俺の養子になれよ。絶対面倒見たるから」と何回も言われたのは懐かしいわ。


 ほな、当時の一般的な砲術家について説明したるわ。彼らはノウハウが詰まった本の写本を持っててそれを秘伝にしてるんや。その本を貸すのに高いレンタル料を取るのと、もし内容を写したいて言われたら追加料金をとるていうのが、彼らの収入やった。で、この砲術書を貸すのも写すのも、先生は目が悪いから全部代わりにわしがやってたんや。


 色んな藩の人が来て、「出島のオランダ屋敷に行ってみたい」とか「大砲を作るから図面を見せてくれ」とか言われるんやけど、もちろん全部わしが対応。もともとわしはド素人やったから、鉄砲を撃つのすら見たことなかったんやけど、図面を書くのはもう慣れてもうてた。さくっと図を書いて、説明をする。諸藩の偉いさんが来ても、まるで十年以上、砲術を学んでる専門家みたいな顔して、全部わしが一人で対応してた。そのうち、わしを山本家に居候できるように手配してくれた奥平壱岐と立場が逆転してもうて、いつの間にか、わしが家老のせがれみたいな扱いになってたからオモロかった。壱岐はもともと漢学者で要領が良いだけの器が小さい人間やったんや。田舎の藩やったけど、有名藩士の子供やったから、どうしてもわがままにもなるし。
 わしはオランダ医学の先生の家に通ったり、オランダ語通訳の家に通ったりして、ひたすら原書を勉強してた。原書とか初めのうちは、何書いてるか全くわからんかったけど、五十日、百日と続けてたら、だんだんわかってくるようになる。一方で壱岐はボンボンやから、こんなもん読めるはずもない。
 そのうち、あいつとの間に圧倒的な差がついてもうたんが、不幸の始まりや。壱岐は別に悪人じゃないねんけど、まぁいわゆる金持ちのボンボンで頭も悪かった。この時にうまくわしを手なずけて手元に置いとくようにしてたら、代々家来同様に扱えたかもしらんのに、アホな嫉妬が先にきてしもて、わしを中津に帰らせるように仕組み出したんや。ほんでこれは中津なんか二度と帰りたくないと思ってるわしにとっては一大事になった。

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