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Vol.19 原書を盗み出す


そんな話がある一方で、一つ大仕事もした。
 というのはこの時、奥平壱岐も長崎から帰ってきてたんや。だから、まぁしゃあなしで挨拶に行った時に、あいつが本を一冊出して来て「この本、長崎で買ったんだけど、オランダの築城書の新刊なんだぜ」とか言い出した。わしは大阪の緒方先生の適塾生やったから、医学書とか物理の本は見てたけど、この類の本は見たことなかったんや。この当時はペリーが来たこともあって、世間では海防軍備の話で盛り上がってたし、「絶対価値あるやん」て思てめちゃ読みたなったんや。
 でも、貸してくれ言うて貸してもらえそうもない。しかも、「これめちゃ安く買えてん。二十三両やで」とか言い出して、ほんまドン引きや。買えるわけないし、貸してももらわれへんから、どうしようかなと思ったんやけど、ちょっと悪知恵が浮かんだんや。


「これめっちゃ凄い本ですね。とてもイッキに読めるもんでもないし、もしよかったら目次と図だけでも、一通り見てみたいのですけど、それでも時間かかりそうなので、四、五日貸してもらえませんか?」と聞いてみたところ、「うん。いいよ」と簡単に承諾されたから超ラッキーやった。


 それから、家に帰って、すぐに墨と紙を持って、その原書を全部写し始めてん。二百ページくらいあったんやけど、これを写してることなんて誰にも言われへんどころか、他人に見られてもあかんから、ずっと家の奥に引きこもって朝から晩までひたすら写した。
 この当時、藩へのお勤めもあって、当直とかもあったから、調整が大変やってんけど、時間見つけてはとにかく写しまくった。写しまくってる間はとにかく誰かにバレへんかとひやひやしてたんや。これバレたら、もちろん本は没収されるけど、そんなんじゃ許されへんし、相手はご隠居の息子やしで、マジでビビッてたけど、なんとか最後まで移し終えた。
 で、間違いがないか読み合わせをせなあかんかってんけど、当時の中津でオランダ語を読めるやつが一人しかおらんかった。
 そいつは医者なんやけど、そいつがまだ医学生やったころに、うちの親父が相当面倒見てやってたんや。だから、まぁ断らんやろと思って、こいつに頼みにいった。そしたら、「いいよ」て言うから、そこから毎日そいつの家に行って、読み合わせをした。そしてとうとう完璧な写本の完成や。宝物が手に入ったみたいに、もう嬉しくてたまらんかったわ。

 で、その後、しらばっくれて壱岐のところに本を返しに行ってん。
「いや~、これめちゃくちゃ凄い本でしたわ~。私みたいな貧乏人には手が出されへんものです。ホンマにありがとうございました」て言うて、しれっと帰ってきてん。いい思い出やわ。

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