奇跡三神

・点の神。視点そのものを表す。または手の81(終わり)。手とはあの手その手の『手』であり、手がつきたという意味を持つ。ひいては究極太極図を見ている存在であり、その視点はなくなれば次の『視点』へと継承される。

・線の神。スリットや文節、あるいは区切りなどを表す。または背の81。背とは究極太極図内部から出たところによるスクリーンと観測者の目の接点を意味する。観測者が究極太極図から出終わったときには、物理的に線の神は観測者の目とまぶたの裏との空間になるのである。

・面の神。究極太極図の一枚の紙(神)や観測者の目を表す。または目の81。目とは、究極太極図からしてみれば造化三神が延々と広がっているにすぎないが、そこに観測者がいるとしたら、その観測者そのものが目と化すのである。そしてそれは面の性質でわかるように、目の裏と表にその目が存在していて、裏は自身の目の内部によって――その実は目であるがゆえに、それは面の神にとっては究極太極図を見ているだけのことでしかないのである。しかし、そこに究極太極図から出た者がいれば、面の神の目には裏が存在することになる。それこそが究極太極図外から観測しているものにすれば、表の目となっているのである。

・――したがって、では観測者が観測者ではなくなると、あるいは虚無ですらなくなった観測者が何になるのかというと、推察ではあるが、これまでに記してきた『キ』なる概念になるのかもしれない、ということであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?