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サブカルコラム:サブカルと世相の相互影響関係

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【はじめに】

 今回の内容に於ける記載情報の類は公開時点(2022年2月)のものであり、月日経過で適応しなくなっている場合もあります。
 とりわけ『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』はスタートしたばかりで、数ヶ月後には本格的な玩具商戦を展開して記載情報とは実情が一転してしまいました。
 ですが、この辺りまで修正してはキリがありませんし、大改訂にて本文自体が変質してしまいます。
 なので〝そのまま〟投稿としている点を御了承下さい。
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 もう番組改編期ですね(2022.02下旬現在)。
 というワケで『機界戦隊ゼンカイジャー』も『トロピカる~じゅプリキュア』も終了です。
 私的に『ゼンカイジャー』は期待していたよりもアニバーサリーとしては作品像や勢いが弱かった感も否めなくもあり……ですが『明るく楽しい作品』だったのは間違いありません(好きです)。
 で、この『底抜けに明るく楽しく賑やかな作風』というのは『トロプリ』も同じで、オープニングから最終決戦まで〝カラフルな賑やかさ〟に彩られてひたすら陽気。
 では何故〝こうした作風〟が同時期オンエアされたかと分析すれば、コレはおそらくコロナ禍で世相が暗かったからだと感受しています(況してや前年のスタート期には「いつまでコロナ禍が……」という閉塞感も蔓延していましたし)。

 この『サブカル』と『世相』というのは、実は密接な相互影響下に在って、過去にも『暗い世相』を反映して『問答無用に明るく楽しい作品』が登場する現象は幾度か見受けられています。

 代表的なのは『ウルトラマンタロウ』ですか。
 言うまでもなくシリーズ唯一無二の『トンデモ演出』の作風で、ともすれば現在でもアンチから「こんなオチャラケは『ウルトラマン』じゃねえ!」と叩かれたりします。
 まぁ〝宇宙から落ちて来た〈酔っ払い怪獣〉にバケツ水をぶっかけて帰すだけの話〟とか〝月から地球の餅を食い荒らしに来た臼怪獣を親子餅つきで懲らしめる話〟とかですから無理からぬw
 でも、この否定主張は視野の狭い御門違い。
 この『タロウ』の製作時期はオイルショックの影が徐々に濃くなって世相が暗くなっていたんです。
 だから「せめてテレビを観ている三〇分ぐらいは子供達を楽しい気分に染めてあげたい」という優しい想いから『現代のおとぎ話:SFメルヘン』として企画されました(だから、おとぎ話の主役法則に則って〝太朗〟という命名説もある)。
 この辺は他作品と比べても〝ファミリー感を前面に押し出した作風〟が如実に物語っていますし、だから〈タロウ怪獣〉はユーモラスに擬人化も為されて、それまでの〈ウルトラ怪獣〉が〝羨望の畏怖異形〟であったのに対して〝楽しい遊び相手〟の感が強くなっている。
 加えて言うなら、こうした独特の暴走作風が強調されるのは中盤以降で、序盤は結構『ウルトラマン』という枠内でのファンタジックさに過ぎませんでした。これは私的考察の域ですが、スタート期が〝オイルショックの影が射していた〟のなら中盤辺りは〝深刻化してきた辺り〟じゃないんでしょうか?
 そして、後期~次回作『レオ』に至るまで怪獣キグルミの出来が劣化したのは、オイルショック影響で材料費が掛けられなくなったからなのです。
 ともあれ「こんなメルヘン志向なのは『ウルトラマン』じゃない! ウルトラマンはコアなSFだ!」なんてのはナンセンスな難癖。
 だったら〈ガバドン〉〈ギャンゴ〉〈シーボーズ〉〈ヒドラ〉〈ウー〉〈カネゴン〉〈M1号〉etc……同じく否定排斥しなきゃ。
 出来るの?
 オイラはイヤだね。
 どれも『ウルトラ』だ。
 そして「だから大好き」だw


 さて、もうひとつ顕著な例。
 カルトヒーロー特撮作品『超光戦士シャンゼリオン』です。
 これまた唯一無二の作風で……ゴメン、チト説明し辛いwww
 この作品は実際に観てもらう事でしか伝わらない。
 端的に言えば『実験志向に何でもあり』で、その暴走っぷりは『ヒーロー作品の定石』を破戒しまくっています。設定演出やエピソードどころか、時としてエピソード構築構造さえも破戒します。
 コレは〝変身ヒーローのカッコよさを宣伝する〟という玩具PR意向が大前提の『特撮ヒーローもの』としてはタブーにも近い。
 でも、本作はしれっとやった。やりまくった。
 私的に本質部分は『おそ松さん』や『銀魂』に近いと分析しています。
 で、この作品も序盤は(飛ばしてはいたものの)『ヒーロー作品としての枠内での挑戦的意向』だった節が見受けられます(軽薄主人公の〝内に秘めた陰〟を仄めかす演出シーンがあったり)。
 が、やはり中盤から暴走、大暴走。
 この作品が製作されたのが1999年──つまり『ノストラダムスの大予言』のタイムリミットです。
 一応、世相は「あんなの当たらないよ」と大人視点で振る舞っていましたが、日本人誰しもが心底で「もしかしたら」という〝if〟を拭えなかったのも事実です。信心深い層なら尚の事恐々を抱いていた。
 さて、歴史を振り返れば末法思想にて流行ったものがありますね?
 そう『ええじゃないか』です。
 捨て鉢ヤケクソにバカ騒ぎして(無理にでも)明るく笑い飛ばそうという思想です。
 おそらく本作は途中から『ええじゃないか』にシフトし、だからあれだけの大暴走に染まったのだと思います。
 最終回の〝パラレルワールドとの交錯〟という着地は「本来は、こういう方向性に進む可能性があったんだ!」というスタッフの主張であり『失われた〝if〟との対比』というメタフィクションだったのだと私的分析しています。


 また同年の『ウルトラマンガイア』にても『ノストラダムスの大予言』は影響を及ぼしており、本作では宇宙から来訪しつつある絶望的な脅威〈破滅招来体〉と怪獣表現。
 最終回ラストシーンでは「この地球は滅びない! ウルトラマンがいるかぎり!」というメッセージテロップを表示するという露骨ながらも異端な演出が為されました。
 言うまでもなく、テレビの前のチビッコ達を安心させるためでしょう(ともすれば『タロウ』と同質の〝優しさ〟です)。

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