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「アシタを忘れないで」に囚われている話
⚠読む前に⚠
この記事は、舞台「アシタを忘れないで」のネタバレを含んでいます。
まだ舞台を見ていない方は、記事の閲覧をオススメしません。
いつか何かしらの形(オンライン配信や円盤化)で舞台を見ることができた時、ネタバレ無しの状態で見た方が良いと、心の底から思っているからです。
可能性は低くとも、その小さな可能性を私は信じています。
この記事を書き始めたのは、終わってから1ヶ月経った頃でしたが、なかなか言葉がまとまらず、1年経ってしまいました。
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囚われている話
↑※存在しないページとなっております※
さて。有岡くんが初単独主演、プロデュースをしたナゾドキシアター「アシタを忘れないで」の公演が終わり、一年ほど経ちました。
「囚われている」というのは、言葉の意味通りです。事あるごとに、アシタくんを思い出し、干渉に浸っています。
理由について、舞台の内容を少し振り返りながら語っていきたいと思います。
最初から説明していくと長くなってしまうので、物語の主要な部分を言います。
配慮の話
私の記憶違いだったら、とてつもなく恥ずかしいのですが、
この舞台では「彼女」ではなく「恋人」や「その人」「この人」といったような性別が明確に分からないような表現が使われていました。
また、容姿についても何も明言がありませんでした。
恋人が観客であるという演出をしていたからか、容姿のみならず、性別に関しても違和感を感じさせないような脚本になっていたのだと思います。
確かに、男女その他関係なく観劇に来ますよね。想像できる幅の広さ、解釈の余地があり、感情移入しやすいことに感動を覚えました。
物語は続いてる
というよりかは、アシタくんの人生は続いていると思うのです。
スマートフォンから協力してくれた、あの天才は誰だったんだろう?もしかして…?
みたいなことがあったと思います。
恋人が別世界線(私達の世界)で生きていて、アシタくんの世界線とは違うけれど、奇跡的につながった……。だから、協力して謎を解くことができた。
私たちもアシタくんと同じように記憶を失くし、新しい誰かとして別世界線に生まれ落ちた。新鮮な気持ちで謎を解いたのも、記憶がないから。
私たちは、新しい誰かとして生きているから、アシタくんとの記憶を思い出すことはできないけれど、確かにその世界線ではアシタくんと恋人だったのかもしれない。
そうだとしても、舞台という場所でしかアシタくんを観測することはできない。これが別世界線で産まれたが故の制限か……と。
アシタくんは別世界線で存在するんじゃないかと信じてしまうのです。
まぁ、全部妄想ですが(一刀両断)
記憶の儚さ
「アシタを忘れないで」という題名で言われているからか、「忘れたくない」という気持ちがあります。
しかし、記憶というのは儚いもので、また「明日」が来ると、記憶を更新してしまうのです。明日の積み重ねが、記憶を薄めてしまっています。
現に、私は少しずつ忘れていっています。「覚えている」と思っている記憶も、脳の補填により、原型とは異なるものである可能性は十分にあります。
鮮明に覚えていたい記憶を思い出せなくなるのは、悲しいですね。
しかし、新しいこと・面白いことを更新し続けている人がいるからこそ、もっと良い思い出が更新されているのです。
それは悲しいことじゃないと思うんですよ。
全てを忘れるわけじゃないので、「忘れないで」という言葉には応えられているんじゃないかと思います。そう、思いたいですね。
最後に
公式サイト、Twitterが消えてしまったことに、当時はショックを覚えました。
ここはwithさんの全文レポートに頼るしかありません。
全部は思い出せなくても、その時間が素敵なものであったと、心に刻んでおきたいですね。
閲覧ありがとうございました。
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