読んでもらえそうもないレポート

【まえがき】

いま書き終えたこの文章、長いし、言い回しは硬いし、たぶん同じことの繰り返しに読めるので、こんな文を最後まできっちり読んでくれる人は現在の地球上に7人くらいかなと思います。でももうこれ、今の誰かに読んでもらってどうこうとかじゃない気がしてきました。何十年後、何百年後の誰かへ向けたレポート提出です。今日のこの時点で、私こんな風に考えてましたっていう記録。わからないことも、自信ないことも、そのまま書いて、判断は後世の人にお任せします。

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⒈ 私の理想の国会

私は議会制民主主義にあまり興味がないのですが、あえて「理想の国会」を考えるとしたら、党に属さず、その都度その都度自分の信念と良心(それは、その議員に議決権を信託している人々の信念を反映している)に基づいて審議し議決に臨むことのできる自立(自律)した議員が圧倒的多数を占める国会が理想です。党など組まず、一人で立ち、自分の信念をそのまま行動と直結させて、なすべきことをなす、という代表者が、法案や予算案、内閣の信任/不信任など個別の案件ごとに賛成したり反対したり、自分で考えて行動する。当然、審議される法案ごとに多数派の顔ぶれはバラバラになります。

もっというと、その「自分の信念と良心」は人間から出たものではなく、人知を超えたところから与えられたものであって欲しい。そういう政治システムを実現するための選挙が実施されている社会なら、私は喜んで身を置きたいです。

でも、今の国会はそうなっていません。例えば選挙で、ある候補者を「この人なら」と選んでも、国会では「その人であること」がほとんど活きていないように見えます。最終的な議決が多数決なので、多数派にならない限り、なすべきことをなし切れないからです。マトモな人が代表質問でどんだけマトモな追及をしても、どんだけマトモな指摘をしても、最後は多数決だから追及された側は痛くも痒くもない。適当な答弁、嘘だらけの答弁でのらりくらりかわしてれば済んでしまうという、あり得ないことがまかり通ります。

⒉ 「戦略的投票」で選挙を乗り切っても

今、選挙に行こうって頑張って声を上げている人は、「だから、マトモな人を多数派にするために、もっともっとリベラル勢力に投票しないと。野党勢力が多数派になるよう、戦略的に投票しないと」って考えなんだと私は認識しています。

でも、そうやって、「戦略的投票」による数合わせで多数派になれた「政党」の中にはマトモじゃない人も混じっているし、もともと個別の細かい政策が異なっている党同士が内輪揉めを始めたり分裂したりするのは時間の問題という疑念がぬぐえないのです。数合わせのためにくっつけただけだから、とってももろいんじゃないかと。

例えば増税反対を訴えた勢力が多数派になり、増税止めました!バンザイ!でも、代わりの財源どうする?って話で「ここを削るべき」「いや、そこはダメだ、こっち」「止めただけじゃダメ、消費税廃止だ!」「いやいや廃止はあかんやろ」って、一向に足並みが揃わない。それぞれの支持者層の代弁をしなきゃならないんだもん、揃うわけがない。その結果、分裂。新党結成だ!あっちの党に寝返った!そんな事例をこれまでにも山ほど見せられてきました。今度こそ変わる、今度こそ変わる、で、何か劇的に変わったことあるかなぁって。

徒党を組んで、その党と党による多数決で国会が運営される限り、「この人なら」と票を投じた人の思いが反映されにくい。っていうかほとんど反映されてない。これが私の現状認識だけれど、私はなにか重大な見落としや勘違いをしているんでしょうか。

⒊ 投票して当選させたはずの議員の顔が見えなくなる現象

国会の個別の委員会とかで良い働きをしてくれている議員は決して少なくないと思うんだけど、でもそれが最後の最後で活きないのは、党議拘束によって一人ひとりの考えや選択が消されちゃうからだと私は認識しています。

「マトモな人の感覚や能力が活きる場面もなくはないから、少しでもそういう人を国会へ送り込んだ方がいいでしょ!」と言いたくなる気持ちはわかる。でも、今の選挙制度の中で、「この人」をピンポイントで支持して国会へ送り込むことは非常に難易度が高い。ほぼ無理といっていいんじゃないのかな。そうでもないのかな?

一人ひとりの有権者がよく考えて「この人のこの政策」に投じた「清き一票」が、いつの間にか「党への一票」としてまとめられ、「多数派への一票」に組み込まれ、「この人のこの政策」とは似ても似つかぬ法案を可決成立させてしまったりする。本当に、ぜんぜんダメなシステムです、こんなの。少なくとも私はダメだと思っています。

多数決のために組んだ「政党」が一人ひとりの議員の顔を見えなくしてしまうようなシステム。一人ひとりの議員の能力を活かせず、人気取りと数合わせがモノを言うシステムそれ自体に対して、「私はこんなの望んでません!」という意志表示をする手段がどこにもないなんて、ものすごい欠陥じゃないですか?

票を投じたら、どっかの党を支持したとみなされてしまう。

票を投じたら、こんなシステム自体を支持したことになってしまう。

冗談じゃないですよ。おととい来やがれです。

今、選挙で多数派になれるのはいい政策を持った人ではなく、PRに金をつぎ込める人々ですよね。私にはそう見えます。だから候補者や政党がエネルギーを注ぐのは知名度アップ、民衆を飛びつかせるための扇動、宣伝。それはリベラルだろうがなんだろうが、同じだと思います。議員の顔を見せるのは選挙の時だけ。

⒋ 棄権=与党支持って、ほんとに?

「棄権は、与党を支持したのと同じことです」
「棄権するってことは、現政権に、好きにしていいですよと白紙委任したことになるんですよ?それでいいんですか?」
「消費税が10%になっても20%になっても、憲法改正されて子供が戦争に行かされても知りませんよ?棄権した人は、自分がそういう未来を選んだってことですからね?!」

こういう脅し文句で他者の罪悪感や恐怖心を煽ってる人、よく見かけます。「何もしないってことは多数派の思う壺で、多数派にお任せしますってことで、そういう動かない人のせいで現状が変えられないんだから、結局は現政権を支持してることと同じなんだ」って、理屈はわかる。けど「票を投じない」こと=「現政権支持」っていうのは、今のダメ選挙システム、ダメ国会自体を黙認している人たちの理屈です。

「どっち系の党が多数派かを選挙で決めて、その多数派に議決権を委任するということ」が嫌な人は、そんな考え方がどうしてもできない人は、無理やり投票に行けと脅されたってなにに投票すりゃいいんですか。ほんと、賢い人誰か教えて。

⒌ 投票率をあげるのが怖いのは

メディアに広告を打つのもカネ次第。お金をかけてアピールをうまくやった人たちがたくさん得票して当選するシステムの中で、今の世の中の「空気」だと、最終的に与党勢力のアピール力が上回って多数派になる可能性は限りなく高いです。「空気」がデカい顔して、当然のように存在を認められているうちは、たぶん変わらない。私を含め一般大衆は、ほんと、そこまで勉強してもいないし、自分の頭で考える訓練もされていないと思います。保守派に組織票入れてる人も、気分でリベラルに入れる人も、どっちも。

こんなことが起きるのは、行政権を持つ内閣に対して国民が意思表示する方法が「世論」しかないとされているからです(参議院のページに明記してあります)。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kids/html/shikumi/index.html
その内閣の信任/不信任をするのが国会だから、その議員を選ぶ選挙では世論の操作や扇動にみんなこぞって力を入れる。確かに筋が通っています。そりゃそうなります。

自分の投票先ではない与党勢力が多数派になってしまったとき、あの、カンペ棒読みにもかかわらず斜め上の誤読を披露することでおなじみの某マリオネット氏が、「こうして国民のみなさまの信任を得て」というセリフを吐くのを聞かされるのは、私にはとても耐えられない。上げてしまった投票率が、そのヘドが出るようなセリフのニセ根拠として利用されるのは本当に嫌なんです。

「誰もこんな茶番など支持していないし、認めてもいませんからね!!」と、言いたい。どうしたらいいんだ。選挙前日の私は、いま本当に困っているんですが、こんなとこで騒いだところで、友人知人ですら、親身に話を聞いてくれる人も話を聞かせてくれる人も少ないのが現状です。それでも、数人でも居てくれるので、私はきっと恵まれているんだと思います。そのことには本当に感謝しています。

⒍ 人がガバッと減るまでの期間を耐えしのぐには

あと十何年かもしくは何十年か経って人が少なくなったら、ほっといてもシステムは崩壊するし、少なくとも今みたいな状態を維持できるとは思わないから、それまではもう、ごまかしごまかしやるしかないと思うんだけど、、違うのかな。

「国民のほとんどが多数派を支持しています!」とかいうインチキ印象操作をするための材料(高投票率)は与えず、「別に国会にいる人たちは私らの代表だとは思っちゃいませんからね!」って言い続けるというか、こっちも決定的なカードは与えないようにのらりくらりかわしながら、来たるべき人口激減社会に望みを託すしかないんじゃないか。

それと同時に自分の生活圏でできることはやる。私よりずっと長く生きる予定の若い人たちが、今のダメ国会は脇に置いて「理想の政治システム」について考え続けられる環境を整備するのが、老いていくものに課せられた役割かなと思っています。ダメ国会の中に埋もれさせられている「自律できる議員」の存在にきちんと目を向けられるようにするとか、そもそも自立する自律するってなんだ、とか、信念と良心の在り処とか、そういう問いから若い人を遠ざけている障害を一つひとつ無効化していきたい。あとは政府を頼らずにやれることを増やす。人々の依存先を増やして分散する。そういうことに、限られたエネルギーを注いでいきたいと思う参院選前日の朝です。

【数日前に書いたこの記事とも関連があります】
「3ヶ月後でも1年後でもいいので、教えて欲しいこと」

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